堕落

 旅の途中、とある一神教を信仰する村に立ち寄った。土地柄が平凡にも関わらずその宗教とは縁あるようで、小さいながらも歴史を感じる教会が村の端に建っていた。

 前の町から長く歩いたため、一日か二日で疲れがとれそうになかった私は、しばらくこの土地に滞在することにした。見るものこそ少ないがそれ以外は旅人に申し分なく、私はたいそう満足した。宿や食事は値が張らない一方で、獣の牙や爪、遠方で採れる薬草などは充分な値で売れた。村人も心やさしく親切で、よそ者の私を頻繁に気にかけてくれた。

 そうして数日生活する中で、ひとりの少女と仲良くなった。彼女はこの小さな村に不釣り合いなほど美しく聡明だった。勉学を好み教会に通い、彼女たちの一神教だけでなく、自然神話にも造詣が深かった。都の話に興味を示し、流行の詩を聞かせると喜んで、噛みしめるように繰り返す。そのけなげなさまは愛らしく、私はたちまち心奪われた。

 しかし、彼女にはひとつ噂があった。ある夜、女こどもが遠ざけられた酒場の中で、私はその噂を聞いた。

 かつて彼女は悪魔に憑かれたという。祈りの場で神を呪い、肉体もいっとき異形に堕ちた。皮膚は裂け、骨は曲がり、惨憺たる様相だったそうだ。司祭がなんとか追い払い今は回復したが、彼女の異形を目にした者は――だいたいが教会の関係者だったが――今でも悪魔を夢に見るらしい。

 彼らの結論は割れていて、悪魔憑きの娘には近寄らないほうがいいという声と、教会が守護するこの地にもはや悪魔はいないとする声とが半々であった。どちらにせよ、彼女が立ち入らない酒場の中で他ならぬ彼女の噂話をする村人たちに、私は反感を抱いた。私は悪魔を信じていたが、彼女の麗しさと村人への反抗心から、彼女との交流を止めなかった。

 ある日、彼女に見せたいものがあると言われた。私は楽しげな彼女を愛でながら、手を引かれるままについていった。

 そこは教会だった。逡巡する私に、彼女は「この中にあるの」と言う。教会は村人からたびたび行くことを勧められていた場所だったが、私も別に信仰する神があったので、軽々しく他者の聖域に踏み入ることはしなかった。それに、信徒でない者が入ったところで司祭さまも困るだろう。そのようなことを伝えたが、彼女は笑って首を振り「今は誰もいないから大丈夫よ」と言う。結局その言葉と乞うようなしぐさに負け、私は教会に足を踏み入れた。

 この一神教の教会は旅の途中に見たことがあったが、入ったのは初めてだった。上部に据えつけられた丸窓から陽光が射す。背もたれのついた木の長椅子が二列に並び、正面に小さな祭壇があった。自然宗教の教会とそう変わらない作りだ。

 祭壇の正面で彼女は立ち止まった。なにを見せてくれるのかと興味津々な私の体を、彼女はぐっと抱きすくめた。

 動けなかった。柔らかい肉体と甘い体臭とが私の頭を鈍らせたのは事実だったが、いざこれはいけないと抵抗を試みても身じろぎすらできない。彼女は私を木椅子に座らせ、馬乗りになると淫猥な手つきで体をまさぐった。私は抵抗を続けたが、どうしたことか、私の両腕は彼女の片腕によって完全に封じられていた。

 そのうちに奥の扉が開いた。おおかたの教会と同じように、おそらく司祭の生活空間に続いているのであろうそこから、見覚えのある男が出てきた。村に着いた初日に引き合わされた、この教会の主だ。

「司祭さま、助けてください! すごい力なんだ!」

 彼は妙にゆっくりと近づいてきた。私たちの横に立ち、濁った目で見下ろしてくる。冷めた瞳の奥に、得体の知れないものが蠢いている。

「神父さま」少女が言う。「後ろの椅子に座って」

 彼は――その通りにする。聖域が汚されているというのに、私を助けるでもなく、彼女を止めるでもなく、黙って木椅子に座る。男の視線を背後に浴びて、私は冷たいものが脳髄に刺さったような感覚を得る。少女の愛撫は熱烈になっているのに、体温がどんどん下がっていく。彼女は私の顎をこじ開け、ぴちゃぴちゃと舌をなめながら、視線だけは後ろの男に注いでいる。彼女は楽しげに笑う。

 それからの記憶は混濁している。

 日中、私は暗い部屋にいる。夜だけ祭壇の前に引きずり出され、月明かりの下でみだらな行為を強要される。相手はもちろん彼女で、傍らではあの司祭が私たちを見つめている。

 彼女が私に触れるたび、魂が剥がれていく錯覚がある。精や尊厳だけでなく、もっと根本的なものが、根こそぎ奪われていくような気持ちがする。

 今ならわかる。あの女は悪魔だ。ここは堕落の巣窟だ。

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