ひずみ

 前世の記憶がある。

 それはここではない世界で(なぜそう言い切れるかというと、魔法の概念があった)、私は今の私の年齢くらいのときに命を落とした。前世の私は騎士をしていて、国の内乱のさなかに殺された。

 私を殺した男も騎士だった。残虐な性癖を持っていて、相手を破壊するのを愛情だと信じていた。私は彼に負け、惨たらしく肉を削がれた。

 今の私は地球という星の日本という国で女子高生をしている。パラレルワールドのようなものかとはじめは考えたけれど、今では前世のこと自体、別の星の出来事だったのかもしれないとも思っている。なんにせよ、今の私とはあまり関係のないことだ。前世の記憶があっても、日常で思い出すことなんてそうない。

 そのはずだった。

 最近、男の人と知り合った。私より十は年上だろう社会人だ。公園でスーツを着てうなだれていたところに通りがかって、心配して声をかけたのがきっかけだった。それからときどきそこですれ違うようになり、いろいろあって仲良くなった。

 彼はおもしろい人だった。リストラでもされたのかと思っていたけれど、逆に結構な地位にいるらしい。しかし生活に面白味がないことを嘆いていて、私と話すのをいい気分転換になると言って喜んだ。私も前世の記憶があるからかどこか周囲とのズレを感じていて、違う価値観を持つ人と話すのは楽しかった。

 私たちは趣味も合った。世代が違うのに好む映画や音楽が不思議と似ていた。流行りのアイドルや芸人がさっぱりわからない一方で、往年のハリウッドスターの話で盛り上がることもあった。歳は離れていたが、私たちは友だちだった。

 彼の目は不思議な色をしていた。黒いのに、なにがきっかけか、一瞬だけ紫色を帯びることがある。彼も同じようなことを私に言った。たまに私の目が緑みがかって見えるらしい。彼の好きな色だそうだ。

 強烈なイメージとともに見たことがある気がするのだ、と彼は言った。しかしどこで見たのかは思い出せない、とも。

 私もまったく同じ印象を抱いていた。彼の瞳の色が一瞬揺らぐとき、強い既視感を抱く。どこかで見たことがあるのだ。この色と、注がれる視線を。

 ある日、いつものように会って話した。暑い日だったのでジュースをおごってもらうことになり、二人で自販機の前に立ったときだ。

「××××はなにがいい?」

「……え?」

 私の名前じゃなかった。ゲームのキャラクターみたいな名前。でも覚えがあった。私の前世の名前だ。

 彼は私を違う名前で呼んだことすら気づいていないようだった。きょとんとした顔つきで私を見る。目は紫に揺らいでいる。

 彼の声で前世の名前を聞いたとき、私を見るその目に色の揺らぎを見たとき――急にすべてがつながった気がした。この人を知っている。ずっと前から。

 ジュースを受け取って元いたベンチに戻る。先に座って、私が来るのを待つ彼を見つめる。

 揺らいでいるのだろうか。今の私の目も。

「どうしたの?」

 彼は開けた缶を持ち、飲まないまま、私が座るのを待っている。声色は優しい。

 あの人もこんな声をしていた。思いやりに溢れた声で、最期まで私の名前を呼んで、私のはらわたを引きずり出しながら、愛していると言っていた。

 あのときも始まりは偶然だった。出会いの印象に反してあの人は結構な地位にいて、それなのに私のような末端の騎士にも優しかった。ことあるごとに気にかけてくれ、ときには相談にも乗ってくれた。どんな些細な話でも楽しげに聞き、興味を示してくれた。

 善意だと思った。でも、本当は待っていただけだった。私たちは昔に会ったことがあって、あの人だけがそれに気づいていた。思い出してほしいためだけに、彼は何も言わずに、ただ側で待っていたのだ。

 どんどん記憶がつながっていく。既視感がある――すべてに。

(前世で――私を殺しましたよね?)

 そう聞いて、もし彼の目の色が濃くなったら? 歪に口元がゆがんだら?

 彼がすべて覚えていたら?

 缶の表面に浮かんだ水滴が指先を伝っていく。水のはずなのに、妙に粘りけがあるように感じる。

 集まりひときわ大きくなった雫が、地面に落ちて音を立てた。

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