名前のない彼女たち
5z/mez
ぼくは恋をしている。
ぼくは恋をしている。
これが恋なんだとようやく思えた。彼女はきれいで、とても凛々しい。気高いという言葉がふさわしいと思うくらい、強くまっすぐに立っているのに、卑怯で、汚くて、鋭く爪を立てて、ぼくの心の根っこの部分を離さない。ぼくはとらわれてしまっている。逃げられない。
彼女は悪いことをしている。そう自分で言っている。ぼくと一緒にいるときは、そんなそぶりは微塵も見せない。ただ戯れに、走っているこどもに足をかけたり、犬猫を蹴ったりするくらいだ。でも、本当は、こんなことよりもぜんぜん、ひどいことをしているらしい。
どんなことをするのか、ある日彼女に尋ねた。ぼくはきみがなにをしていてもいいけど、きみのことがなんでも知りたいから聞きたいと思うんだ。そう言うと、彼女は口元に悪意を浮かべてほほえんだ。
「呪いをかけているんですよ」
その辺をうろついているこわいものを、捕まえて、いじくり回して、放ってやるんです。そうしたらまたこわいものが生まれるから、そのくりかえし。
彼女はそう言って、なにかをこねるみたいに指先を動かす。白い手。細い指。あまりにたおやかで、はかなくて、溶けて消えてしまいそうだ。
うらやましいな。
口には出していないつもりだった。でも、彼女は強い目をこっちに向けて、じっとぼくを見た。
「いいんですよ、あなたがそうしたいなら」
肯定の言葉はひどく甘い。それが好きな相手がくれるものなら、なおさら。
「わたしの呪いになっても」
彼女の声しか聞こえない。耳から入った音が、じっとりと心に染みていく。
彼女はきれいだ。
その目が、その声が。ぼくを掴んで離さない。
「××!」
遠くで声がする。彼女がぼくの後ろを見て、ぼくもつられてそっちを見る。公園の入り口に、少女が一人立っている。
「帰るよ」
少女は肩を怒らせて向かってきて、彼女を一瞥すると、ぼくの手を引っ張って歩いていく。ぼくは彼女のほうを見る。行きたくないのに、足は自然と動く。彼女は手を振っている。ぼくも手を振り返す。
「ねえ、もうあの子と会うの止めてよ」
公園を出て少女が言う。少女の言葉は響かない。ぼくの心には薄い膜がはっている。彼女がくれたものだ。彼女の視線、言葉、刺激――彼女が与えてくれるものしか通さない。そんな体になっている。
「おばさんも心配してるよ」
少女が立ち止まる。うつむいたまま、小さな声でこぼす。
「私だって……」
ぼくは彼女のことを考えている。
いつ出会ったか思い出せない。いつの間にか親しくなった。名前も、学校も、なにも知らない。ただ、彼女がぼくを見た瞬間、ぼくは彼女から離れられなくなった。
ぼくらはいつもあの公園で会う。ぼくの体は家に帰るし、学校にも行くけど、ぼくの心はずっとあそこにある。
だんだん、彼女のそばにいられない時間がつらくなってきている。
彼女に愛されたい。どんなに悪くて、得体の知れない子でも。彼女に捕まえてもらえて、いじくってもらえるなら、ぼくは彼女の呪いになりたい。
「ねえ、聞いてるの?」
明日にでも言ってみようか。ぼくもそうして――きみの呪いにして。きみが捕らえて、いじって、好きなようにして。
あの子に作り変えられることを想像すると、たまらなく気分が高揚した。ぜんぶあげていい。あの子にだったら、ぜんぶあげる。なにをされたっていいし、ぼくであの子がどんな悪いことをしても――ぼくはそれでいい。
想像だけで恍惚とする。脳みそが溶けてしまってるみたい。恋以外で、こんな気持ちになることがあるだろうか。
すごくしあわせな気分だ。
ぼくは恋をしている。
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