9_初対面でトイレを借りるときは
俺は呆然と立ち尽くし、燃える地上を見ている。
幾何学的な効果音の後、どこかで何かが爆発する。
はぁっはぁっはぁっ
どれがけ呼吸をしても息苦しい。
「彩、ナーロ、、
ドゴンとまた爆発音。
「畜生。アイツ等・・・許さねぇ!!」
痛みをこらえ起き上がる。昨日まで青かった空には落ちそうな程迫った月と、大きな―――
□
「ぬおあっ」
目が覚めた。視界に広がっているのは荒廃した大地とは似ても似つかない陰気臭い天井。
「またこの夢か」
最近、同じような、何者かに地球規模で侵略される夢をよく見る。夢にしては妙にリアルだったが、まぁ、あんな
「さて、今日も子守りに行くか」
いつものTシャツとジーパンに着替え、ドアを開ける。呑気な、多分休日の陽光を浴び、体を伸ばす。
「あの~すみません」
背後から声。振り向くとショートカットの女性が立っていた。水色の髪が印象的だった。言うまでもなく知らない顔だった。
「トイレが故障で・・・。よろしければお宅のトイレ貸してもらえないっすか?」
なるほど。その妙な中腰は尿意のためだったのか。俺は彼女を顔から順に審査する。
顔は、美人ではないが悪人でもなさそう。胸は百点のデカさで時期尚早の半袖から伸びる腕は締まっており、腕相撲が強そう。下半身は奇しくも俺と同じジーパン。ぱっつっぱっつと窮屈そうに張っている。
審査結果。
身なり・良
発育・良
顔・並。
「合格、と」
「合格?」
「歓迎します。どうぞトイレをお使いください。歓迎します」
「本当っすか! 助かります! お邪魔しやす!」
お礼を述べながら彼女は玄関を駆け上がり、トイレの向こうへ消えていった。
言葉遣い・△
俺は玄関のドアを閉め、自室へ戻り、トイレのドアに背を預ける。
これは万が一、トイレが爆発するなどの緊急事態が発生した場合に迅速で最適な行動ができるように備えているのであって、決してドアの薄さを利用してせせらぎを聞こうとか
ぶぶっ ぶごっ ぶびゅごごごおおおおおおおおおおおおおお
思考をぶった切る、ぶっとい一発。
そう、トイレのドアは薄い。
繰り返す。
トイレのドアは薄い。
□
「いやーさっぱりした。いいトイレだったっす」
便女が風呂上がりの様にトイレから出てきた。手を洗う便女に俺は声をかける。
「君」
「はい? なんすか?」
「ちょっと来なさい」
手招きし、寝室兼居間の中央へと誘導する。向かい合って座る。
「お茶とかはお構いなくっすよ」
「君」
すぅーと俺は息を肺いっぱいすいこんで。
「大なら大と最初に言いなさい!!」ドンっと畳を叩く。
「さ、最初にっすか?」
「最初にっす! 次からは気を付けて!! わかった?」
「了解っす! おにーさん面白いっすね」
彼女はくすくすと笑う。笑顔・優。
「あ、そうだ。自己紹介がまだっすよね。私は
小学生のような
二十一歳、フリーター。
二十一歳、大学生、ではなく、フリーター。
なんて、なんて心安らぐ属性なんだ。
「俺は
深々頭を下げる。これは礼儀を欠いた俺が悪い。
「マジっすか!? 今月ピンチだったんすよー! あざっす! 透さん、これからよろしくお願いします」ペコリと頭を下げる。
「こっちこそよろしく。ぶぶっ ぶごっ ぶびゅごごごおおおおおおおおおおおおおおさん」
「そっちの音は忘れてください。自己紹介の前に脱糞音を聞かせてすみませんでした」
深々、頭を下げられた。
「すまん。からかいすぎた。じゃあ、今後ともよろしくってことで」
「あぁ、ちょっと! ちょっと待って下さいっす!」
立ち上がろうとしたところを蒼に右手で制される。
「透さんを見た時から、なんかちょっと引っかかってて。以前どっかで会ったことないっすか?」
「それはー、ないと思うな」
俺の脳みそは壊れかけてるから記憶にも絶対の自信はない。けど、こんな水色のショートヘアーと面識があればきっと思い出してるはずだ。
「蒼とは恐らく初対め」
蒼。蒼。さっきまで何も感じなかったのに、今は少し引っかかっている。
蒼、蒼、蒼、赤、蒼、緑。
あ
「今朝の夢。今朝の夢で、俺が『蒼』って言ってた」
「夢! そうっすよ! 夢っす!! 私も今朝、というか最近よく見る夢に透さんが出てきたんすよ! 死にかけの!!」
「俺死にかけてたの!?」
「やっと思い出した! その件について詳しく話したいんですが今から時間ありますか?」
「うーん。ちょっとこれから」
「よければ私の部屋で夢分析しませんか? 未開封の
「喜んで!」
二人で談笑しながら部屋を後にする。
お菓子につられた? それとも若い女の部屋につられた??
甘く見るな。
どっちもだ。
□
「では、どうぞ! 汚い部屋ですが」
「おじゃましまーす」
蒼に続いて玄関をくぐる。足元には畳、頭上には年季の入った天井。彩の部屋とは違い、俺の部屋と同様のレイアウトにほっとする。
しかし、その配色はかなり違っていた。
熊のぬいぐるみやカーペット、布団カバーやテーブルがすべてショッキングピンクで統一されていた。これは少女趣味、というくくりでいいのだろうか。
唯一例外として、部屋の隅に置かれた箱? だけ茶色く異彩を放っていた。中に何が入ってるんだろう。
「あ、やっぱり変っすよね。名前が蒼なのに部屋がピンクピンクしてて」
蒼は照れたように頬を人差し指で掻く。
「でも、好きなんですよ。ピンク色。もちろん蒼って名前が嫌な訳じゃなくて、なんというかその、元気が出るっていうか」
蒼はぬいぐるみを高い高いしながら言う。
「いや、別に変じゃないよ。俺だって
蒼、それにな。お前には部屋の色合いよりも、もっと気にすべきことがあるだろ。
「透さん。ありがとうございます! 布団畳みますからちょっと待ってください! あと
蒼がしゃがんだ拍子にシャツが上にズレ、ピンクの布が顔を出した。
当たり前のことが当たり前に起こる世界に、俺は深く
こういうのでいいんだよ。
しかし、この部屋には一つ、大きくよろしくないことがある。
それは、壁だ。
この部屋の壁にはびっしりと新聞やら雑誌やらのスクラップや地図、自作のポエムなどが貼られている。壁の薄さと相まって、この部屋と隣部屋は紙で区切られている、と言っても通用するレベルだ。
ピンク色の生活具と灰色の壁が水と油の如く分離している。
この部屋にいるだけで三半規管にダメージが蓄積されていく。
ただ、さっきあんな綺麗事を言った手前、「趣味わりぃというか頭わりぃというか頭おかしぃ部屋だなあはは」と一般人の感想を吐くことはできない。
もっと考えて発言するべきだった。ぬかった。
「お待たせしたっす。ささ、座って座って。煎餅もどうぞ」
「あざす!! 頂きます!!」
俺はまがりせんべいに手を伸ばし、遠慮なく袋を開く。
「でも、驚きました。まさか夢で出会った人と現実でも出会うなんて。これはあれっすかね。なんかの暗示か、運命なんですかね」
一口かじる。バリッという爽快な音と共に口の中に醤油味が広がる。たまらん。やっぱり日本人は醤油と味噌だよな。
「あ、でも誤解しないでください。私、オカルトとか迷信とかを妄信してるわけじゃないっすから! どっちかって言うと現実にしか興味がなくて、だからこそ、現実というリアルな世界にどうしてそういった事柄が伝わるのか、ってことに興味があって調べてるんすよ! そして、将来的には月刊ムー的な雑誌の編集になりたいんすよ!!」
うんめぇ。うんめぇ。煎餅うんめぇ。こんなにうまかったっけ? 流石一袋十六枚入りで百八十八円もするだけはあるわ。こんなうんめぇんだから多少高くても買うわ。あー、このボリボリとした食感、たまらん。パンの耳が原始人の食い物に思える。文化開花万歳。
「ところで透さん、あの夢、やけにリアルじゃなかったっすか? 何か巨大な戦艦? みたいなのが攻撃してきて。月は現実みたいに近くまで迫ってきてて。これはあれですかね、現実の月の接近と、最近、
もう何枚食べただろう。仮に十枚食べていたとしても、まだまだ満足していない。もっと食べていたい。まったく何て旨いものを作ってくれたんだ。この規格外のうまさ。これなんて食べ物だ? 今度買うから教えてくれ。
「あのー透さん。ちなみにそのお煎餅、招待特典で無料になっているのは最初の一つだけで、二つ目以降は一つ五百円の有料煎餅に」
「殺すぞてめぇ!! ぶっ殺すぞっ!! 殺すぞっ!!」
いつの間にか立ち上がっていた俺。眼下には呆気にとられた、煎餅の破片まみれの蒼の顔があった。そして俺は最後にこう言った。
「お茶ほしい」
「い、一杯三百え」
「殺すぞっ!!」
程なくして、一杯の麦茶がテーブルに置かれた。
殺すぞっ
それは、人にはあまり教えたくない、すべてが
多用は厳禁———。
あと、自分より弱そうな相手にだけ唱えること―――――。
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