5_四畳半のせせらぎ
「そっか。あんた無職なんだ」
「えぇ。まぁそうですね」
「ふーん」
バリバリと明日夏さんがまがりせんべいを食べる。
ちゃぶ台越しに膝を立てて座る金髪の女性は
ぐいっと無職の俺が買ってきたアロエジュースを飲んでいる。
「なんだ。そんなにアロエジュース見て。飲むか?」
「え、ホントですか?」
「ジョーダンに決まってんだろ」
ぐいっと明日夏さんがジュースを飲み下す。
このヤロウ年下の癖に生意気なぁ。
彩といい明日夏さんといい、もっと年上に敬意をだなぁ。
ふと思うところがあって俺は明日夏さんを見る。
ダボダボのシャツから
メイクの落とされていない顔、そして全体的にくたびれた感じ。
本当に、年下・・・か?
「あのー、つかぬことをお伺いしますが」
「ん?」
「明日夏さんは
「あたし? あたしは令嘉五十五年」
「ああ!
令嘉五十五年というと三歳年上か。つまり目の前の女は三十一歳。
三十過ぎとるやないかい。くたびれた雰囲気も納得である。
「なんつってー。実は令嘉六十年生まれの二十六歳でしたー」
てへっ、と明日夏さんが頭を叩く。
「あははそうでしたか。あはは」
その動作で嘘を帳消しにできるのはな、二十四歳までなんだよよく覚えとけ!!
人をおちょくるこの感じ、本当この姉妹はそっくりだな。
ポンポンと不意に肩を叩かれる。見上げるとさっきまでゲームをしていた彩が立っていた。
「おじさん、トイレ行くからどいて」
「お、分かった」
体をずらして通り道を形成する。トテトテと可愛らしい足音を残して彩がトイレへ消えていった。
彩はトイレへ。
居間は沈黙。
このアパートの壁は薄い。
この三つ条件が惑星直列の如く揃ったことにより、俺の耳にはふしだらなせせらぎが訪れた。無論、俺から何か話す気は毛頭ない。
「可愛いだろ、あたしの妹」
「あ、はい、とても可愛いですね」
「敬語はいいって。あたしより歳上なんだし」
「そ、そうですか?」
「そう」
あれ。俺、無職とは伝えたが年齢まで教えたっけ?
「彩からどこまで聞いた?」
明日夏は缶の底を叩き、残ったアロエを救出しようと奮闘している。
「えっと。親がいない事と引きこもりになった理由と将来の夢と」
「将来の夢!? 将来の夢を言ったのか!? あんたに!?」
明日夏はちゃぶ台に両手を乗せ前のめりになった。俺は反射的に身を引く。缶がちゃぶ台から転がり落ちる。
「う、うん。将来の夢は腹いっぱい食べる事って」
「そっか。あの子がねぇ」明日夏が俺の顔をまじまじと見つめる。
「なぁ、あんたに頼みがあるんだが」
「なに?」
「またこうして遊びにきてくれねーか? あたしはあんまり彩の相手してやれねーから。どうせ暇だろ?」
「その前に俺からも一ついい?」
「なんだ? おい、彩はやらねーぞ。あんたが無職だからとか関係なくやらねーぞ!! あんたがあんたである限りやらねーからな!!!」
「いや、そんなんじゃなくて」
「あぁ!?」
「あの、そろそろ姿勢戻して下さい!
「それはすまんかった」 明日夏は
あー辛かった。錆びついた体にあれは
「で、なんだっけ?」
「たまに彩の遊び相手になってくれって話。あの事件以来、彩は塞ぎ込んでてな。ちょっと前まであたしと話すこともあまり出来なかった。カウンセラーの先生も門前払いで大変だったよ」
明日夏は伏し目がちに語る。
「そんな彩が初対面のあんたと普通に接せている。会話ができてる。これは彩にとってもあたしにとってもスゲーことなんだ。だから、頼む」
膝、手、頭。それはどれをとっても
「分かった分かった。お安いご用だから頭上げてくれ。毎日だって遊び相手になるから」
「いや、たまには就職活動もしろよ」
「いぐぬぅ!!」
コイツ。遊んで欲しいのか欲しくないのかどっちなんだよ。
「でも、ありがとうな。少し希望が見えた」
「それは良かったよ。でも、何で彩は俺には普通に接してくれたんだろう。溢れ出る善人感?」
「それはあれだろ。あんたが無職のアラサーだからだろ」
「えー、それはつまり、俺が無職のアラサーで彩と比べると大分終わってるから、彩は下手に緊張とかせずに普通に接することができてると。自分より下の存在を見て精神的優位に立ち、安心し、軽んじてるからこそ素の自分が出せてると」
「正解。文句なし。百点満点。さてはお前文系だろ」
明日夏はにかっと笑う。
「俺、遊び相手になるのやめていい?」
無職にも人並みの心はあるんだよ。ちゃんと痛いんだよ。
「頼むよ。あんたなら大丈夫だよ。なんたって大声を浴びせるくらい彩とは砕けた仲なんだから」
ギクッと体が跳ねた。
「あ、あれは」
「彩が裸を見せるくらい、親しい仲なんだからなぁ」
「ぬぐぬぅ!!」
やばい。俺は今、心を、心臓をこいつに握られている。
「あーやーがー」
「分かりました。全力で務めさせていただきます」
「おう。よろしく頼むな。もし、しっかりやってくれたら、ちゃんとご褒美もあるからよ」 明日夏は露出した肩を悩ましげに上げた。
「がんばります!」
困っている少女がいる。それを救えるのは俺だけ。しかも、ご褒美付き。
立ち上がらない理由がない。
「そうだ。明日夏さん、一つ相談なんですが」
「なんだ? 彩はやらんぞ」
「じゃなくて、あのですね」
「彩さんに『おじさん』じゃなくて『お兄ちゃん』って呼ぶようお願いしてもら」
「私、それは嫌」
このか細い声は
いつの間にかトイレから彩が出てきていた。ぎぃーっとトイレのドアがゆっくり閉まる。
「彩、もしかしてあんた全部聞いてたのか?」
「うん。だってトイレの壁薄いんだもん」
彩はテクテクと歩き、俺の横で止まる。低身長に見下される。陰で俺たちが画策していた事を知り、幻滅しただろうか。
「でも、これでおあいこだよね」彩は俺の耳元に顔を近づけこっそり言った。
このボロアパートの壁は薄い。
脳裏にせせらぎが蘇る。
「そうだな!! なんの事か分からないがそうだな!!」
「これからよろしくね。おじさん」
そのあどけない笑顔は、やっぱり小学五年生にしか見えなかった。
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