2_隣人に死を
ある晴れた日。多分平日。
俺は一人布団の上で大の字になっていた。
ぼんやり、天井のシミを数えていた。
一、二、三、四・・・・
あれ、昨日より一つ多いぞ。
数え間違いかな。
再度、数え直す。
俺は自由を満喫していた。
□
見た目が不衛生な新居「ノブレス・オブ・リージュ」に引っ越しを済ませた。リビングは四畳半の畳張り。コンロ一つの台所とトイレは玄関近くに設けられているが、風呂は共通だった。大人四人は入れそうな広さだけが救いだった。
次に、重要な臭気についてだが、喜ばしいことに外見からは想像もつかないほど無味無臭。ブックオフに圧勝の清廉さだった。
トイレがあり、コンロがあり、家賃二万、最大の不安だった臭いはなし。
意外にも許容範囲内の新居に、俺は思わず飛び跳ねた。
深夜二時にウイニングジャンプ!! 快音と幸せを下の部屋におすそ分け!!
俺の人生大逆転劇の幕が上がったぞ!!
□
と、数日前の俺は思っていたが、これはなんだ。
真っ昼間から天井のシミを数えるこの日常はなんだ。
そして、毎日シミの数が異なるのは何故だ?
そもそも、今日は何曜日なんだ。
「何もかもがめんどくせぇ」
失業保険の手続きも、住所変更届も、引っ越しの挨拶も、皿洗いも
ぜんっぶめんどくせぇ。
やりたいことは無いが、やりたくないことはやりたくない。
明日でいいや。
幕が上がっても、舞台には誰も立っていない。
眠いから仕方ない。
俺は静かに
「殺すぞ、殺すぞおおおおおおおお! ぜってえええええ殺すうううううううう。孫の代まで殺すうううううううううう」
ドンっとが殴られる。騒音バリューセットに俺の瞼は営業を再開する。
そっか、もう朝九時か。
古本臭さはなかったが、この新居には罵詈雑言があった。
□
初めてその声を聴いた時はめっちゃ驚き、ガバッと飛び起きていた。
最初は目覚まし時計のレアアラームかと思ったが、声は隣の部屋から聞こえていた。
「うるせええええええええええ。黙って死んどけええええええええ。殺うううううううううううう。ざまああああああああああああ」
通報案件だった。
どう聞いても隣の部屋で殺人が行われている。
俺は一市民としての義務を果たすべく、スマホの画面をタッチした。
しかし、あろうことか、充電が切れていた。そもそも契約も切れていた。万事休す。
俺はせめてもの
しかし、いつまで経ってもサイレンは聞こえず、いつまで経っても物騒な声は続いていた。
よくそんなにテンション続くなぁ。と思いながら合掌を続けていると、発狂が響きドンっと壁が殴られた。
その音に俺は
これ、ゲームでグツってるだけだわ。対人オンラインゲームで負けまくってキレてるだけだわ。
そう考えると物騒な物言いも、テンションの継続時間も腑に落ちた。
よかった。ハイテンションで殺された人はいなかったんだね。
よかったよかった、と布団にもぐる。
晩酌の酒がまだ残ってるや。
「殺おおおおおおおすううううううううううう。サ・ツ・ガ・イ! サ・ツ・ガ・イ! サ・ツ・ガ・イ! へーーーーーーへっ!」
眠れなかった。
□
入念な調査の結果。隣人の暴言には法則性があることが分かった。
一つ、暴言はジャスト朝九時からジャスト夜七時まで続く。時間を過ぎることはなく、ぴたっと止まる。
二つ、
三つ、暴言を毎日聞かされてると、顔の知らない相手でも殺意が沸く。
俺は東側の壁を見る。ウエハース並みに薄い壁は隣人の声を素通りさせている。
ちゃんと壁としての仕事をしろ。働けごみくず恥ずかしくないのか。
「隣人、死なねぇかなぁ。一日だけでいいから死なねぇかなぁ」
これが最近の口癖である。
「ぶっっっっっころすうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!! 死ねえええええええええええええええええええ!!」
こうやるんだよ、と隣室から暴言のお手本を示される。
これだけ殺意を込めててもこれほどまでに叫んでも、回線越しの相手には全く伝わらないんだよな。切ないな。
だから、俺は文字に起こすことにした。
前の住人が置いていったであろう古びた2030年のカレンダーを一枚切り離し、裏面に思いの丈を詰め込んだ。マイネームペンで大きくこう書いた。
お前がしね。
すぐしね。
とんだ引っ越し祝いになっちまったぜ。HAHA
明日にでも郵便受けに入れるつもりだ。
□
多分平日。いや、今日はなんか祝日な気もする。
俺はいつもと気分を変えて、天井のシミではなく、畳の境目をなぞ
「うごおおおおおおおおおおおおおおお!! 殺したああああああああ!!
今日も隣人は元気だ。
昨日したためた手紙は昨日のうちにトイレに流した。ケツ拭いて流した。あんなもん送れるわけがない。
隣人が規則正しく暴言を吐き始めるせいで、俺も早寝早起きの生活を強いられている。いい迷惑だ。二度寝が出来なくて何が無職だ。社会不適合者だ。早起きしたって一日が長くなって辛いだけだ昼間は嫌いだ。
「ざまああああああああああみろおおおおおおおお!! カス・カス・カス・カスウゥウゥウゥウゥウゥウゥウゥウゥウゥウゥウゥ!」
狂喜の声に、俺は壁を見る。
この向こうに、俺の、みんなの、無職生活を邪魔する奴がいる。
こいつに全部奪われた。
二度寝も、寝坊も、職も、住まいも。
全部奪われた。
「雑っっっっっっっっっっっっっっっっ魚!! 雑っっっっっっっっっっっっっっっっ魚!! 雑っっっっっっっっっっっっっっっっ魚!! イキってんじゃねぇぞクソガキ!!」
人生を奪われた男はどうするべきか。
奪われっぱなしで耐えるのか。
「はいぃぃぃぃぃい私の勝ちいいいいいいいいいいいいい!! 雑魚の負けええええええええええ!! ウオッツ!! ウオッツ!! 永遠に君を~愛せ~~~なくてもいいか~~!!」
いつだって悪いのは俺以外の奴等だった。
社会、不況、それにオイルマネー、不労所得。
しかし、相手があまりにも強すぎた。
だが、今回の相手は
「ぷぷぷぷぷっ!! もう終わりでちゅかあああああ? ニートは社会のごみなので早く消えてくらはーーーーーーい!! ピカチュウ!!」
立ち上がり、ワンカップを飲み干し、外へ出て、隣室の前へ。
とりもどせ。全てを。
「何がニートじゃ貴様も同類だろがああああああああ!!!!」
ドアを鈍銀の右足で蹴破る。
衝撃で土煙が舞い上がる。
俺は構わず前に進む。
土煙が晴れるとそこには
「幼・・・女・・・だと?」
可哀そうにプルプルと震えていた。
俺は勝ちを確信した。
騒音は嘘のように鳴り止んでいた。
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