タイムリミットは三十路まで~美少女と頑張る。二十代後半からの社会復帰~

ジョン・アスパラガス

1_新しい人生の吹き溜まり

 




 今日、俺は無職になった。二年働いた会社から去ることになった。


 二十八年間生きてきて初めての経験だ。


 今朝のニュースでは五年後に月が地球に衝突するやら世界から女の子が消えたやら侵略やら異種人やら新大陸やらやたらめったらなことが伝えられていた。


 


 しかし、そんなことはどうでもいい。


 


 重要なのは、俺が無職になった、これだけだ。これはとても重要なことだ。



 これはある意味自由になったと言い換えることも出来る。

 そうだ、俺は自由になったんだ。



 明日から早起きも通勤ラッシュで揉みくちゃにされることもない。働いて貯めた百万円の貯金もある。



 そうだ。俺は自由なんだ。最高じゃん。



「おっしや! 今日は奮発して第四のビールでも飲んじゃおっかな!」


 俺は誰もいない公園のブランコから立ち上がり、コンビニ目指して新しい一歩を踏み出す。


 今日から俺の新しい人生が始まるんだ。


 コンビニには普通に黒ギャル店員がいた。



 □

 


 無職になって二ヶ月。俺の人生は終わった。


 なんか全体的にやる気ないし、100万あると思った貯金はよく見れば10万円だったし、大家には『無職のロクデナシに貸す部屋はねぇ! 』と、今月中にアパートから出ていくよう勧告された。



「お願いいたします。現住所を亡くすわけにはいかないんです。屋根裏でいいから貸してください玄関掃除もしますお願いいたします」と久しぶりにガチ泣きしたところ、せめてもの情けで貧乏人向けのアパートを紹介して貰えることになった。


 だが、如何いかんせん先行きは暗い。



「おじちゃん。邪魔だからどいて」


「ああ、ごめんなさい」

 半袖短パンの子供に言われるがまま、公園のブランコから立ち上がる。


 こちとらまだ三十路前じゃ。

 最終学歴大卒じゃ。

 義務教育も終えてなさそうな顔しやがって。口の聞き方に気を付けな青二才が。



「気を付けて遊ぶんだよ」



 なんか無職になってから短気になった気がする。真っ昼間の公園内では子供が駆け回り、専業主婦が立ち話をしている。

 なんであんなに楽しそうなんだろう。実質、俺と同じ無職のはずなのに。


 五月の空。昼間の青白い月は二ヶ月前より大きく見えた。


 落ちるなら五年と言わず、なる早で願います。



 □




 遂に、部屋を、追い出された。





 □





 昼間の無人の公園。俺は次のアパートへの案内人を食パンの耳を食べながら待っていた。無職になってからこれとモヤシと紙パックチューハイしか口にしていない。



「あの~色無いろなしとおるさんでしょうか?」


「は、はい!」


 突然、東側から声をかけられた。おっとりした柔和な声だった。



 声の方へ視線をむけると、そこには白いワンピースを着た、胸の大きな女性が立っていた。長い黒髪がそよ風にフワッと揺れる。

 いかにも母性本能強めの「ママ・・・・」と呼びたくなる素晴らしい外見だった。



「マ、ママ・・・」口は正直だった。


 ヤバいしまったドン引きされる。ホームレス生活になる。



 どう取りつくろうか考えていると、ママはクスリと笑って



「はーい。ママですよ~」


「ママァ!!」


 授乳されようと飛び付こうとした時、右太ももに衝撃。



 まさかと思った。

 しかし、蹴りを入れられた以外に考えられなかった。



「はーい。ママですよ~」衝撃。


「はーい。ママですよ~」さっきより強い衝撃。


「はーい。ママですよ~」一番強い衝撃。



 こいつ、蹴りを入れる度にどんどん仕上がってきてやがる。



「もう無理痛いっす! 勘弁してください!」

 初対面でママ呼びはいくらママでもアウトだったのか。

 俺は無礼のお詫びに食パンの耳を一本差し出す。今日は夕飯抜きか。



 さぁ食べぃ、と食パンの耳を上下させる。


 さぁ食べぃ



 ぱしん


「あっ」


 女性は俺の好意を右手で弾いた。落ちた夕飯に犬猫が群がる。


 


「あなたが、色無透さんですね?」先程と変わらない柔和な声だった。


「は、はい」


「やっぱり!  言動が無職臭いと思ったんですよ!」


「わ、分かるもんなんですか?」


「分かるもなにも、そんなに無職を垂れ流してるのに、分からない方がどうかしてますよ」女性は手を口元にあてて上品に笑う。つられて引きつった笑みが出た。



 違う。こんなことママは言わない。こんなのママじゃない。



「さて、改めまして。私、マンション『ノブレス・オブ・リージュ』を所有しております牡丹ぼたんレイ と申します」牡丹さんが浅くお辞儀をする。


「ちなみに独身です」


「先程は第一印象でママと呼んでしまいすみませんでした」俺は深く頭を下げる。


「お付き合いしてる方もいません」


「申し訳ございません」


「当然子どももいません」


「はい。仰る通りです」


「妊娠線もありません」


「ありがとうございます」


 あれ、彼氏がいないということは現在フリー。

 つまり、やり方次第で逆玉の輿こしワンチャン

「ありません」


「はいっ。心得ました!」俺は今、コキュートスのせせらぎを聞いた。


「それでは、無駄話もそこそこにして行きましょうか」

 こちらです、と牡丹さんは歩き出す。

 俺は失礼のないように、その三歩後ろを歩く。


 牡丹さんか。



 上品だがとても変わった人だ。そんな人が持ってるマンションで穏やかな生活が営めるのであろうか。



 白いワンピースから透ける黒いブラ紐が、俺の暗い未来を暗示しているようだった。

 


  □


 


 公園を出てから大した会話もなく、ただただ気まずい時間が流れた。

唯一交わしたのは言葉は

「この道、国道なんですよー」

「へぇー。そうなんですか。すごいですねー」

以上。中学生男女の距離感だった。体力よりも気力をがっつり奪われた。

 実際は十分も歩いていないかもしれないが、体感的には三時間半は経過していた。



「到着です。お疲れさまでした」牡丹ぼたんさんが立ち止まり、振り返る。

 久しぶりにその顔を見た気がする。


「こ、ここが俺の新天地。『ノブレス・オブ・リージュ』」


 目の前にそびえ立つのは、二階建ての木造アパート。後方には豊かな林が広がっている。対照的に国道からアパートまでの敷地には雑草の一つも生えていなかった。横長の家屋はボロい訳ではないがなんか不潔で『部屋に入るとブックオフの臭いがしそう』というのがファーストインプレッションだった。あと、よく燃えそうだった。


 これは何かの間違いだ。

 俺の新住所がこんなに臭そうなわけがない。


 てか、マンションって言ってたのに、どう見ても木造アパートじゃん。

 隣室の音筒抜けじゃん。ほとん長屋ながやじゃん。



「こ、ここが俺の新天地。『みそカス亭』」


「違います。ノブレス・オブ・リージュです。どうですか? 腐った現実と向き合うにはおあつらえ向きの場所でしょう? ここから色無いろなしさんの新生活が始まるんですよ」

 大爆笑、といった感じでバンバンと背中を強くたたかれる。



 この人、楽しんでやがる。俺の人生で楽しんでやがる。


 人一倍あるプライドに火が付いた。

 俺は食欲とプライドの高さだけは誰にも負けない自信がある。



「どうですか? 嬉しすぎて言葉もないですか?」


「あの、牡丹さん。ちょっといいですか」

 牡丹さんは、はい。どうぞ、と優しく返した。


「いくつかあるんですけど、まず一つ。これどう見てもマンションじゃないですよね? 鉄骨製の三階以上を有する住居じゃないですよね? 二階建ての木造アパートですよね!?」


「それから二つ目。牡丹さん、あなた俺を助ける風をよそおって、俺の人生を笑ってますよね? 見下してますよね? もてあそんでますよね? ふざけんじゃねぇよ!!」

 俺は足元に転がっていた小石を思いっきり蹴り飛ばした。小石は一度大きく跳ね視界から消えた。アパートの方からパリン、と何かが割れる音がした。


「こっちはな、わらにもすがる思いで、必死に人生立て直そうとしてんだ!! 前を向こうとしてんだ!! それを人の弱みに付け込んで、自分たちの道楽にしようなんて、これが一生懸命生きた人間に対する仕打か!!」

俺は足元に転がっていた小石を思いっきり蹴り飛ばした。小石は一度大きく跳ね視界から消えた。アパートの方からパリン、と窓か何かが割れる音がした。


「答えろ!! 牡丹!!」

 俺は貫く勢いで白い悪魔を指さした。

 

この闘いに正解などない。

 だが、問いたださずにはいられなかった。


 牡丹はでかい胸の前で腕を組み、乳に全部栄養を持ってかれたカスカスの脳みそで答えを練っている。

数十秒後、腕がほどかれた。



 さぁ、答えてみろ。



「あなたの思い、とても胸に響きました」彼女の目元に光るものが見えた。


「色無さん」彼女は噛み締める様に俺の名前を呼ぶと


「嫌なら別にいいんですよ」


「喜んで住まわせて頂きます。お慈悲感謝いたします」

 俺は深く頭を下げた。何度も何度も。

 土下座はしない。それが俺のプライドだった。


「次、文句言ったら一階の西日がガンガン差す部屋に移しますからね」


「それだけは、西日と多湿だけはご勘弁を」


「あと、割った窓代は来月分の家賃に加算しておきますからね」


「そんな。あれはコラテラル・ダメージってやつで」


「違います。自業自得です」


「せめて折半」


「地下牢も一つ空きが出たので、そこにしましょうか」


「払います。耳を揃えて心を込めて払います」

俺は深く頭を下げた。土下座はしない。それが俺のプライドだった。


「それから、あの林の向こうは私の住む豪邸に続いていますので絶対に入ってはいけませんよ? どの道、世界一のへいがあたりを囲んでいるので侵入できませんが」


「はい。心得ました。皆にもそう伝えておきます」

 俺は忘れない様に右手の甲に「林=早死」とマイネームペンでしっかりメモした。


「それじゃあ、お部屋まで案内しますね」


「はい。お願いいたします」


 また、牡丹さんの三歩後ろを歩く。影を踏まぬように注意する。

 アパートの前面にある階段をのぼる。


 俺の部屋は二階らしかった。

 少し嬉しかった。





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