スラムで雑魚寝はスタンダードです。
こちらに背中を向けていた野うさぎに向かってスリングショットを構える。多くを教えずとも彼は覚えが早かった。
後頭部に石がぶつかった野うさぎは意識を失い、前のめりに倒れ込む。私達はすぐさま傍に近寄った。躊躇うようであれば私が代わりに仕留めてあげようと思ったけど、それは無用だった。
ヴィックはまだ生きている野うさぎの首筋に刃を当てる。
「そうそう、苦しまないように早く息の根を止めてあげてね」
私の指示通り、ヴィックはギュッと目を閉じて見ないようにして、捕らえた野うさぎにとどめをさした。
命を仕留めた彼はあふれる血液を見て顔面蒼白になっていたが、これに慣れなければならない。私達が頂いている食べ物は皆こうして命を刈り取っている行為なのだ。スラムで生きるからには今までのおきれいな生活には戻れないのだ。
うん、狩りスタイルもなかなか様になってきたんじゃない? 次は皮をひん剥いて内臓を取り出すことをマスターしなきゃね。
鴨を与えたからか、説教したからかは知らないが、ヴィックはゆっくり心開き始めた。
まぁ当初の印象があまりよろしくなかったため、彼に関わろうとする人間はそう多くなかったが、少なくとも私には心開いてくれるようになったと思う。相変わらず口数は少ないし無愛想だけど、彼にはだいぶ変化が起きた。
このスラムで生き抜くという覚悟が生まれたようにも思える。
私が水浴びついでに狩りに行くと言えば黙ってついてきて、頼んでないのに見張りをする。
残飯を探しに行くと言えば、私が襲われないように傍で護衛みたいなことをしてくれる。残飯漁りをする私のようなスラムの人間は理不尽な暴力を受けることもあるので、それをガードしてくれているのだ。
…背中を守ってくれるのは助かるけども、彼は辛くないのだろうか。同じ目で見られることになるが、彼は耐えられるのだろうか。
「これは悪くなってるから止めたほうがいいよ。私は昔から食べてるから平気だけど、ヴィックは止めたほうがいい」
「大丈夫だ、食べる」
身の上話はやっぱりしてくれないけど、私の前ではちょっとずつ会話が増えてきた。
「だからさぁ腐りかけだからお腹壊すって…」
スラムの住民は慣れてるけど、ここに来たばかりの推定坊っちゃんのヴィックにはきついって。医者とかお金なくて呼べないから無難なもの食べたほうがいいと説得したのだが、彼は私の手から奪って食べた。
「う゛っ…!」
「ほらぁ」
案の定彼はその場で嘔吐していた。
だから止めとけって言ったのに。
私と同じものを食べると言って実際に行動に移した彼はお腹を壊した。慣れないと身体が拒絶反応おこすんだよね。馴染もうとする姿勢はいいが、出来ないことを無理しなくていいんだよ。
その後ヴィックは熱を出して早々に床についていた。ちょっと責任を感じた私は看病を申し出て枕元で彼のおでこに冷たい布切れをのせてあげた。
熱のせいで彼はうんうんとうなされていた。悪い食べ物は吐き出していたし、それはあんまり心配しなくていいと思う。この発熱はおそらく環境の変化によるストレスがあるんじゃないかなぁ。
月明かりが差し込む粗末な小屋の粗末な寝具に横になったヴィックはやっぱりスラムに似つかわしくない美しい少年だった。ここに来たときよりも汚れてしまったし、一着しかない服はつんつるてんになりつつあるけど、それでも彼の輝きは収まらない。
望めば金持ちのツバメになれそうだが、そういうのヴィックが嫌がりそうだな。たとえ今よりも楽な生活が出来るのだとしても、彼なら自分の矜持のために厳しい道を選びそう。
「父上、母上……」
小さく彼の口元が動いたかと思えば、寝言で両親を呼ぶ声が聞こえてきた。つぅっと目尻から溢れた雫が顔の横を流れて耳の穴に流れ込んでいる。
──泣いている。
夢の中で悲しいことがあったのだろう。苦しそうな表情を浮かべてヴィックは泣いていた。
彼に何があったんだろう。
どこから来たんだろう。
14歳の子どもがひとりでこんなスラムに潜り込むとか、彼の親はどうしたんだろう。
…本当に何者なんだろうなぁ。
彼を起こさぬよう、頭をそっと撫でる。だけどそれだけじゃ彼の悪夢は晴れないみたいだ。どんどん流れる涙を布切れで拭ってやるが泣きやまない。
どんなに悪環境でもヴィックはここから離れなかった。そして剣の手入れは欠かさず行っており、傭兵のおっちゃんに指導してもらっているのも見たことがある。
なにか、ここを離れられないわけがあるんだろうな、と私も察していた。
もしもスラムの住民に危害を加えるなら、と観察していたけど今の所私達に危害を加える気は毛頭ないらしい。
眠ったまま、しくしくと泣き続けるヴィックを見ていると放置するのも気が引けたので、私は彼のお腹を叩いて落ち着かせることにした。幼子を寝かしつける作戦で彼の涙を止めるのだ。ゴロンと彼の寝具の隣に寝転がると、片腕を枕にしてポンポンとお腹を一定の速度で叩く。
苦しげだった寝息が徐々に正常に戻り、彼は穏やかな呼吸をはじめた。
彼が落ち着くまで傍にいようと思っていたのだが、なんだか私まで眠くなってきてしまった。
襲い来る睡魔に負けて彼に寄り添う形で共寝したのだった。
□■□
「うわぁっ!?」
ひっくり返った悲鳴に私は飛び起きた。
「なに!?」
すわ事件かと思って飛び起きると、寝具の掛け布団をはねのけて転がっているヴィックの姿がそこにあった。
「あ、良かった。調子は戻ったみたいだね」
それにしても朝から元気なことで。
「な、なんで、一緒に」
「あんた熱があったから、看病してあげようと思ったらついつい私も寝ちゃったんだ」
えへへと照れ隠しに後頭部をかいてごまかす。
あぁ、私と一緒に寝ていたのに驚いたんだね。スラムじゃ雑魚寝は当然だから、いつもの調子で寝てたよ。
顔色がもとに戻ったヴィックを見ていると、なんだか熟れたトマトのように赤く色づき始めた。
……もしかして、照れているのか。
そんな顔してシャイボーイなんだね。
すぐに起きようとしていたヴィックをそのままにして、私は食べ物を取りに出かけた。今の彼に必要なのはアレしかない。…もらうのは癪だが仕方ない。
炊き出しの食事をもらおう。
古い教会前で行われている炊き出しの行列に並んでスープとパンと果物をもらうと、そのままとんぼ返りした。
「はいこれ、きれいな食べ物あげる」
私が差し出した食事を見たヴィックは目をまんまるにしていた。
「これは?」
あ、もしかして炊き出しの存在知らなかった? 教えてあげればよかったね。私が施し受けるのが嫌で、炊き出しに通わなかったんだけど、彼には教えてあげるべきだったかもしれない。
「あぁ、この領地のお優しい姫様が下々のものに与えられている施し」
でも、毎回通っている幼馴染いわく最近あの女いないらしいし、回数も減ってきてるけどね。多分そのうち炊き出し自体無くなるでしょう。
スープが入った容器を受け取ろうとしたヴィックの手がピクリと動いた。
「…サザランド伯爵の娘のことか」
それは低く重々しい声だった。
異変を感じて顔を上げると、ヴィックの目の色が変わっていた。
「…そう。…知り合いだったりする?」
やんごとない生まれっぽいヴィックのことだ。貴族の知り合いがいてもおかしくないと思って尋ねたのだが、その反応は思っていたのと違った。
ぎりりと歯を噛み締めた彼の表情は憎悪そのもの。
「……知り合いも何も……! 奴らは私の両親と国を…!」
憎悪をぶつけられた私は目を丸くして固まっていた。
悪意をぶつけられたことはあっても、下手したら殺されてしまいそうな憎悪をぶつけられたことはなかったので、命の危機を感じて後退りしてしまった。
私の怯えに気づいた彼は口元を抑えた。
気まずそうな表情で目をそらすと、バツが悪そうに言った。
「悪い。…君には関係ないことなのに怒鳴ってしまった」
「う、うん…」
目こわっ。殺されるかと思った……
まずいこと聞いちゃったな……そうか、敵の娘、ってことか……うわぁ重い事情…
「とにかく食べな」
ずずいとパンを差し出すと、ヴィックはムッとした顔をする。
憎い女の手のものが差し出した炊き出しに口をつけるのが嫌だって顔に描いてある。
「どうせ、庶民らからむしり取った税金からこの施ししてんだし。食べとかなきゃ損だって」
身体弱ってるあんたはこれを食べるべきなんだ。今は強がっている場合じゃない。
「作ったのはあの女じゃないよ」
ねっ、と言い聞かせて、スープをすくった匙を彼の口元に持っていく。
一口、渋々口にした彼は「…自分で食べる」と言って黙々食事を始めた。悔しそうに食べていたが、残さず完食していた。
サザランド伯爵の娘、キャロライン。
貴族の娘なので、政治などに介入することはないけど……ヴィックに恨まれるような何かをしでかした……
でもあの女、庶民が収めた税金で贅沢してるからなぁ。私みたいによく思ってない人間は他にも居ると思うんだ。
……ヴィックはただならぬ憎しみを抱いている。なにか深い訳がそこにある。
それに私がどうこう言うことは出来まい。
ここのスラムの人間に影響が出ない限りは、この事を私は自分の胸の中にしまっておくことにするよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。