お肉が食べたいなら、狩ればいいのよ。
行き倒れの少年はやたら顔が整っていた。
薄い金髪、薄い空色の瞳。そばかすのない白磁の肌で無表情でいると美術品の彫刻のようだった。こんなゴミ溜めのようなスラムにいるはずのない美しい彼は浮いて見えた。
「年は14? …なんであんなところに寝てたの? あんたどこからどう見てもスラムの人間じゃないよね。いいところのお坊ちゃんなんじゃない?」
「……」
私の問いに少年は沈黙した。
──警戒している。別にとって食ったりしないけど、彼からしたらスラムの人間は信用ならないか。
見たところ目立った大怪我はないが、ところどころ怪我してる。これらは移動の際に負ったものらしい。
彼が唯人じゃないと察したのは見た目だけじゃない。彼は立派な剣を持っていたのだ。そのへんの人間には手が出せない高そうな装飾の剣。それこそ貴族か王族が持つような剣だ。
事情を聞こうとしても口を閉ざすだけ。剣を抱きしめて苦しそうに歯を食いしばるのだ。訳ありなんだろうな……変な拾い物しちゃったな。あの場に放置しておけばよかったかも。
うちはそんなに広くない。家族が生活するのが精一杯だったので、スラムにいる元傭兵のおいちゃんを頼って、彼のことを丸投げした。
文句言いつつも彼を受け入れてくれたおいちゃんには今度カエルの差し入れをしようと思う。
翌日おいちゃんの家に身を寄せている少年に会いに行くと、彼はやっぱり警戒した顔で私を見ていた。
「スラムのこと教えてあげる。ここに住むというならスラムのことを知ってもらうよ」
私は無理やり彼の腕を引いて外に出した。すると彼は余計に警戒してピリピリし始めていた。外が怖いのだろうか。夜はちょっと危ないかもだけど、日中はまだマシだよ。大丈夫大丈夫。
スラムを一周グルッと回りながら、水場や集会場を指差す。あっちに行けば中流階級の居住地になる、教会はあっち、この辺には状態のいい残飯が捨てられるだのと説明をする。
渋々付いてくる少年は一応私の説明を聞いているようだが、うんともすんとも言わない。
「そういえばあんた、どこからきたの?」
「……」
身の上話はしたくないらしい。
別に少年の事情は私には関係ないからどうでもいいが、だんまりはやめてほしい。
私がため息を吐くと、彼の肩が小さく揺れた。まるで怯えているようだ。
「……記憶喪失ってことにしておいてあげる。あんたの生まれは知らないけど、ここにいる限りスラムの住民。うちの住民に危害を加えたら、そのときは憲兵呼ぶからね」
詮索はしないでおくけど、問題を起こしたら突き出すと警告すると、彼はちらりとこちらを見て、渋い表情を浮かべていた。
いいか、スラムの人間は平和ボケした能天気じゃないんだぞ。
生きるためならなんだってする貪欲さがあるんだからな。
「名前は? なんて呼べばいい? 名乗らないなら適当に命名するけどいい? ポチとかタマとか…」
「……ヴィック」
名前は教えてくれたので、記憶喪失ではないみたい。
彼は“ヴィック”と名乗った。……なんか、どっかで聴いたような名前な気がしたけど気のせいかな。偽名かもしれないし、あんまし気にしなくてもいいか。
□■□
もしもスラムに我慢できなくなったら勝手に出ていくだろうと思ったが、彼はここに居続けた。他に行く場所がないのだろう。
だからといってスラムに馴染めたわけではなかった。スラムの環境や人との衝突もあった。たとえば与えられる食べ物を拒否した。理由は汚いのとありえないからだと。
まぁ食べたくないのなら仕方がない。彼が空腹でいつまで耐えられるか見守るだけだ。
今までどれだけ恵まれていたのかは知らないが、ここはスラム。甘い世界じゃないのだ。食べないものは餓死する。ただそれだけのことだ。
そういった態度もだが、人形のように整った容姿なのも悪目立ちの原因だった。ヴィックをみた女の子たちが騒ぎ立てるのだ。
そんな彼をよく思わない男子たちに言いがかりを付けられ、喧嘩をはじめたが、ヴィックは負けなかった。一人で大勢の相手をするその動きは素人のそれじゃなかった。
元傭兵おいちゃんが「ありゃあ、武芸を習ったことのある動きだな」と言っていたので、多分以前習っていたんだろうな。
その辺に落ちていた角材で相手の動きを封じると、ヴィックは相手を冷たく睥睨した。彼は口数の少ない人間ではあったが、目がものを言うタイプだったので、それだけで感情が伝わる。
…なんていうか、怒りとか悲しみとか屈辱を混ぜ合わせたような色をしているのだ。まさに憎悪と言ってもいい。
でも多分その感情は私達スラムの住民に向けられるものじゃないんだ。どこか別のなにかに対して、抑えきれない巨大な負の感情を抱えている感じがした。
見た目は華やかな育ちの良い少年なのに喧嘩が強い。怒らせたらヤバイやつ。そんな感じなのでヴィックに喧嘩を売る人はいなくなった。腫れ物扱いで周りから人がいなくなるのも仕方のないことであった。
ヴィックは風呂に入れないのを苦に思っているようだ。清拭も出来ないくらい汚れた水しかスラムにないので、風呂どころか水浴びも出来ないときた。
慣れてしまえばそれが当然になるけど、今まで当然のようにしてきたことが出来ないとそりゃきついよね。私も前世の記憶を思い出した当初は苦悩したさ。
綺麗好きな彼は風呂に飢えていた。仕方がないので、私は彼を連れて少し遠出した。スラムのある街から離れた場所には森林があって、そこには水場があるのだ。
そこは私の水浴びスポットだったりする。
「お風呂はわかせないけど、ここで水浴びしなよ。スラムの水より何倍も綺麗だと思うよ」
さぁ、と湖を指差すと、彼は私を見下ろしなんだかもじもじしていた。
あぁ、見られるのが恥ずかしいのね。正にお坊ちゃんだな。
「じゃあ、私は食料獲って帰るから、水浴び終わったら先に帰ってて」
私は軽く手を上げると、森の奥深くへと進んでいった。
今日の目標は野うさぎである。
カエルもいいんだけど食べる部分が少なくてねぇ。せっかくなら家族でシェアしたいのだ。
私の狩猟武器は原始的なスリングショットである。石をぶつけて気絶させたところで息の根止める感じである。弓矢もいいけど管理がむずい。矢も無駄にできないし、経済的な方法を選ばざるを得ない。
──ビシッ
「しゃあ! 鴨ゲットぉぉ!!」
もう既に野うさぎ二羽ゲットしたあとだったが、水辺に佇む鴨を発見したのでダメ元で放ったらゲットできた。素早く気絶してる鴨のもとに近づくと、誰かの気配がした。
髪を濡らしたヴィックがこちらを見ていたのだ。…水浴び終わったら先に帰れといったのにまだいたのか。もしかして帰り道がわからないとか?
私は彼の視線を受けながら、鴨の息の根を止めた。それを直視したヴィックが顔を歪めていた。それに構わず鴨のお尻から臓物を取り出して下処理をする。
「狩猟が珍しい?」
私の問いかけに彼の肩がピクリと動いた。
育ちが良さそうだから自分で獲物取ったりしたことなさそうだよね。その苦労を知らなそうだ。
「それとも生き物を〆る姿を初めて見たから?」
「……」
唇を噛み締めたヴィックは苦々しい表情を浮かべていた。
「あんたはきっと究極のひもじさを知らないんだね、仕方ないよ」
ヴィックが私達をどう見てるかなんて聞かずともわかった。今は同じ場所で生活しているのに、きっと私達を見下しているんだろうなって想像できる。
だけどそろそろ彼も現実を見て、考えを改めるべきだと思う。
私達が生きるのは最貧困のスラム。いつまでも周りの人が助けてくれるわけじゃないのだ。
「私らもね、好きで腐りかけのものを食べてるんじゃないんだよ。食べなきゃ生きていけないから食べてるの」
食べなくていいなら、腐ったものなんか食べないよ。
でも食べなきゃお腹が空いて力が出ない、いずれ死んでしまう。それなら、どんなものだとしても食べるんだ。
「あんたが私達と同じものを食べたくないなら食べなければいい。誰もあんたを縛ってないから、自由にどこかに行ってもいいんだからさ。それがたとえ餓死への道であったとしてもね」
あんたは自由なんだよ。というと、彼は体の横にぶら下げていた拳をぐっと握りしめて、やるせなさそうな表情に変わる。
本当、瞳が感情を教えてくれるからわかりやすいよね。
できれば言葉でコミュニケーションとって欲しいんだけど。私エスパーじゃないし、あんたの気持ち全部はわからないよ。
「ここの住民はこういう生き方しかできないんだよ。生まれたときから登れないんだ。私達はその日暮らしをして生きるしかないの。……せめて否定しないでやってよ」
別に金をよこせというわけじゃない。
今まであんたが過ごしてきた環境と180度違う世界だから戸惑うだろうけど、これも現実なんだ。否定はしないでくれ。
私達だって人間なんだ。
【ギュールルルル……】
「……」
真面目な話の途中で間抜けな音が聞こえてきた。私は手元の鴨の亡骸から発された音かと思ったんだが、ヴィックが口元を抑えたのを目の端に捉えた。
彼は顔を真っ赤にして目をそらしていた。
「……お腹すいてるの」
「……」
そりゃあほぼハンストして、食べてないものね。肉付きが良かったからこれまで生きてこれただろうが、今のままでは餓死まっしぐら。育ち盛りの男がずっと食べないってのは苦行であろう。
「…仕方ないな……私は薪を集めてくるから、あんたは手頃な石をたくさん集めて」
腐ったものが嫌なら、とれたて新鮮肉ならお坊ちゃんも食べられるだろう。せっかくの鴨ではあるが、野うさぎもいるので今晩の夕飯は問題ない。
戸惑うヴィックに石集めを指示すると、私は森の中から燃えやすそうな薪を集めてきた。
そして水辺にこさえた簡易焚き火で捌いた鴨をバーベキュー風に木の枝にぶっ刺して炙る。ナイフで鳥を捌き、薪に火をおこす私の動作をヴィックは目を見張って眺めていた。
わかるか。人生にはサバイバルが必要なのだ。ちなみにこの知識と技能は元傭兵のおっちゃんに教わった。ここでも前世の記憶は全く役に立たなかったぜ! ハハッ。
じゅわーじゅわーと油をにじませながら鴨肉が焼けていく。いい匂いだ。
するとヴィックの目がキラキラ輝き始めた。空腹が最高のスパイスとなって、ものすごいごちそうに見えていることだろう。
「さっきまで生きてた生き物だよ」
私が意地悪を言うと、彼は息を呑んだ。
「命を頂いて生きるんだからね。命に感謝して食べるんだよ」
ん、と焼けた串肉をヴィックに差し出すと、彼はフラフラと手を伸ばして……そしてガッと勢いよくかぶりついた。
「ふぐっ」
「火傷するでしょ。肉は逃げないから」
「うぅ…っ」
熱いのに慌てて食べているヴィックのためにもっと焼いてあげていると、彼はとうとう泣き出してしまった。
「泣くほど美味しいの?」
それとも火傷が辛いのか。
まともな飯にありつけたとばかりにがっつき、号泣するもんだから私は呆れて肩をすくめた。
「おいしい…」
声を出さなすぎてか細くなった彼の言葉に私は苦笑いした。久々に聞いた声が「おいしい」か。名前を教えてくれた時以来だよ、あんたの声を聞いたのは。
でもそこまで喜んでくれたのなら良かった。
「全部食べていいよ」
新しい串肉を差し出すと、彼はえっと言いたげな顔をしていた。お前は食べないのかって顔だ。
「今日の分はちゃんとあるから」
皮をひん剥いた丸裸の野うさぎ二羽をみせて、私はドヤ顔してやった。まるまる太っているいい野うさぎだろう。
抜かりはなくてよ。私には肉がある。
足りなかったらまた狩ればいいことなのだ。
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