第6話 私と「私」と『私』

 ひとたび東京を出ると、延々と田園風景が続いていた。しかし、今はそんな景色に癒されている場合では無かった。見晴らしが良く交通量もほぼ無いので、人や車が通っていると、とても良く見える。


 見晴らしの良い交差点の左方から車が接近している。そして、前方からこちらに向かって一人の女性が歩いている。あの服は――。


「降ろしてください!」

「いいのかい? まだ目的地じゃ……」

「ここで大丈夫です! お釣りはいりません!!」


 一万円札をコンソールボックスの上に乱暴に叩きつけ、タクシーから飛び出した。


 もう一度、交差点から左に伸びる道路を見る。間違いない、赤い車だ。「私」が見えているはずなのに、全くスピードを落とそうとしていない。避けないと。避けて。私は全速力で駆け出した。それで何かが変わるわけではないと知っていながらも。


 真っ赤な車の運転席。ぶつかる直前、フロントガラス越しに見たその人の顔は、驚きの感情が無かった。つまり、意図的に「私」をはねようとしていたということだ。その人は少し、いや、だいぶ歳を取っていたが、特徴は大きく変わっていない、見慣れた顔だった。


 あれは――――






 『私』だった。


 目にした瞬間、全てを思い出した。なぜ、忘れてしまっていたのだろう。

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