第3話 時間旅行の始まり

 案内された部屋に入ると、中央には肘掛付きの木製の椅子と、その前に厚みのある懐かしいブラウン管テレビが置いてあった。


「あちらの椅子へ」


 私は椅子に腰掛けた。


「荷物はこちらへ」


 木製のワゴンがひとりでに向かってくる。荷物を載せると、ワゴンが去って行った。どういう仕組みなのだろう。


「『時間旅行』をするにあたって、いくつか注意事項を説明する。一つ。先程伝えた通り、時間旅行者、つまりはあなたの『時間』を頂く。『過去』もしくは『未来』の滞在時間によって対価として支払う『時間』の長さは変わる。そして『時間旅行』をするに伴い、あなたの『記憶』を我々は拝見する。この二点について、あなたは了解し、異議を申し立てない」


 私は頷いた。なんて仰々しい言い方をするのだろう。


「二つ。これも先程伝えたが、『過去』もしくは『未来』へ行き『現在』に戻る場合、滞在した時間の分だけ『現在』の時間も進む。例えば、『過去』に一時間滞在し『現在』に戻った場合、今から一時間が経過する。この点についてあなたは了解し、異議を申し立てない」

「あの、過去や未来に行ったままっていうのはできるんですか?」

「可能だ。しかし、今まで『過去』に滞在し続けた者はいない」

「未来ならいるんですか?」

「存在する」

「その人、どうなったんですか?」

「問題なく生活はできている。ただ、適応するのに苦労したそうだ」

「それじゃあ、過去に行ったままの人がいないというのは……?」

「それはこれから説明することにも繋がるが、大抵、『過去』へ行きたいと願う者は何かをやり直し、『現在』を変えたいと考えている。しかし、『時間旅行』では『過去』に行ったところで『現在』は変えられない。基本的に『過去』を繰り返すことしかできない。結果的に、『現在』に戻りたいと願うのだ。……注意事項の説明を続ける」

「あ、すみません、何度も質問して」


 時子さんは表情を一切変えずに説明を続けた。


「三つ。『過去』を変えてもその先起こることは変えられない。例えば、あなたの母親があなたを身籠る前にあなたが両親を殺したとしても、あなたが生まれてこない訳ではない。もっとも、『現在』が大きく変わってしまうようなことをあなたが引き起こした時点で強制的に『時間旅行』は終了し、『現在』に戻る。この点についてあなたは了解し、異議を申し立てない」

「多少の変化なら大丈夫なんですか?」

「『現在』に大きく影響しなければ問題ない。例えば、蟻を一匹殺したとしても『現在』はそこまで大きく変わらないだろう。だが、できれば何も手を加えないことが望ましい。余計な行動は慎むように」

「……分かりました」

「四つ。基本的に、今の肉体の状態のまま『時間旅行』は行われる。例外として、百年以上『未来』へ行くと多少の老いが生じる。この点についてあなたは了解し、異議を申し立てない」

「大丈夫です。そもそも未来へ行くつもりはないので」


 時子さんは頷いた。


「五つ。『時間旅行』をした者、すなわちあなたの今後に我々が責任を持ち、不自由なく生活できるように支援することを約束する。あなたの今後を我々に託す許可を頂きたい」

「え、生活に支障が出るんですか」

「稀なケースだが『時間旅行』の後遺症として何かしらの問題が発生する場合がある」

「問題って、例えば?」

「我々にも未知な所があるため、教えることが出来ない。本当に稀なので心配する必要は無い」

「そうですか……」

「これで説明は以上だ。それでは、契約書にサインを」


 時子さんはどこからともなく契約書が挟んであるクリップボードとペンを取りだした。ペンを受け取り、筆先を紙に当てる。


 ――本当に?


「………………」

「……契約書にサインをすると『時間旅行』は必ず実行される。やめるのであれば今だが、どうする?」


 ふらっと立ち寄った怪しげな館で時間旅行。対価は私の時間。二十四時間営業でお金は要求しない。おまけに、長々と説明を受けた後、契約書にサインを書かされる。絶対にやめた方が良い、と言われるだろうが――。


「やめません。確かめたいことがあるので」

「承知した。では、サインを」

「もう一つだけ、聞きたいんですけど」

「…………」

「今の私が過去へ行くと、私が二人存在することになりませんか」

「それが何か問題でも?」

「いえ、ないです」


 私は紙に筆を滑らせ、時子さんにペンとクリップボードを返却する。時子さんはサインを一瞥した。


「……確かに受け取った。行くのは『過去』で間違いないか?」

「はい」

「それでは、どの『過去』へ行きたい?」

「今から三年前の七月十三日でお願いします」

「承知した」


 時子さんが手を叩くと、部屋の照明が暗くなった。薄くぼやけた時子さんの姿が見える。


「テレビの画面を見て。何が見える?」

「何も……見えませんけど。自分が反射して映っている以外は――」


 突然、鋭い何かが後頭部を刺した。遅れて痛みがやってくる。


「いっ……!」


 ゆらゆら、ゆらゆら。ゆらり、ゆらゆら。ぐらり、ぐらぐら。


 ゆらゆら、ガタンゴトン。やや涼しい風が頬を撫でる。バニラのような甘ったるい香水の匂い。酒の臭い。煙草の残り香。咳払い。二の腕に感じる温もり。ザアァァァァァァァ……――――。雨の音? いや、違う。テレビの砂嵐の音だ。そこかしこに時計をモチーフにしたオブジェが置いてある。この部屋に来るまで、同じような扉が沢山あった――。


「それでは、良い『時間旅行』を――」

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