第3話 鏡鬼

 ちっと火花が弾けた。

 六花さんは振り返って微笑したので、わたしは部屋の明かりを灯した。

 つい先刻までは、その戸口に「わたし」が立っていたのに、今は影も形もない。廊下の切れかけた蛍光灯で、明滅する廊下が見えるだけ。

「・・・あと4人かな」と彼女は呟いた。それから「もう同期した?」とたずねてきた。

「はい。多分」と自分でも声に自信がない。

 さっきまでの「わたし」の記憶が奔流となって脳内に挿入されてくる。今日は学校に行き、学食で食事をして女友達と話をしていたらしい。どうも彼女たちは、あの鏡の画像は初見のようだ。この友人たちの線はこれで消えた。

「これを返しておくわね」とキーホルダーを渡された。

「さっきあの娘から、出会い頭にスッておいたのよ。私って手癖がよくないから」

 ということはこのキーホルダーがオリジナルで、わたしのバッグにあった鍵は今頃は消失しているだろう。

「お手数かけます」

「でもね。一番手っ取り早いのは、あの鏡を消してしまうことなんだけど」

「いえ。ごめんなさい。それはどうしても残しておきたいので」

「まあ、いいわ。私も食餌に事欠かないから」

 お祓い代のことかな、と思った。

 このお祓い代は母が出してくれるそうだけど、本当に心苦しいので、なんとか負担しようと思う。それよりも江戸期からという、あの鏡を手放すわけにはいかない。


 手鏡は物憑きというものらしい。

 長期に愛用されてきた日用品に、人格が宿るという。

 この鏡はそこに映る人物像を、川や湖畔などの水面に合わせ鏡に映して像が定まったときに、自分の別体が出現するという能力を持つ。しかしそれは水面がそれこそ鏡面のように澄んでいた瞬間にしか発動しないはずだった。

「まさかInstagramに反応するなんてね」と六花さんは嬉しそうに言う。

 入手した記念にと思って、自分を映した画像をInstagramに上げた。ところがそれをDLして収めたスマホ、その人物の周辺に「わたし」が現れてしまった。

「まあ、インスタもネット上の川でもあるしね。画像は鮮明だし。幸いにも全てのDL画像ではなくて、何度も何度もcloudから呼び出して眺めている人の所にしか現れてないのは、幸いだったわ」

「そのう、これまでのわたし、六花さんに何か失礼なことしていませんか。こうして同期して記憶を辿ると、何だか酷いことをやってそうで・・」

「そんなことないわ。全ては貴女自身の、あり得た側面が出ているの。人生の選択肢のひとつひとつに自分自身がいるって言うのかな。それはそれで贅沢よね」

 夏休みに神奈川に帰省して、両親に留学のことを告げた。

 後期は休学することにして、留学費用の残額を時給の高い神奈川でバイトをすることにしていた。ところがこの松本市でもわたしのインスタが更新され続けている。友達に電話をすると、やはりそこにいるらしい。しかも衝撃的なことを言った。

「また彼と付き合うことになったのね。応援するわ」

 息を呑み、口籠った。

「昨日もデートしてわね。ほら史華の好きな骨董巡り? 彼の車でラブラブしていたわよね」

 心に確信を持って、両親に相談した。

 そこで長野県でお祓いの活動している陰陽師として、鳴神六花さんをご紹介いただいたのが先週のことだった。

「それにしても、彼氏のところにいる貴方を同期するのが最後でいいのよね」

「ええ。お願いします」

「その貴女を消してからは、難物よね」

「そうなんです。きっちりとお別れした筈なのに。あの男ったら!」

「きっと貴女に来るわよ。一度復縁したのに、また振ったりしたら。それこそ蛇の生殺しよ」

 あの男との半ば同棲生活が今も続いているなんて、ぞっとする。あいつのキスの味が蘇って、肌に鳥肌が立った。

「覚悟はしています。コテンパンに振ってやります。わたし、これまで猫を被って来ましたからね」

「ふふ、女はみんなそんなものよ。少しずつ相手好みに寄せて、そっと擦り寄っていくのよ。まるで別の人格でもあるようにね」

 それにしても。

 不思議な魅力と、無尽蔵な霊力をもったひとだと思う。この幻想的なわたしの依頼を真剣に聞いてくれて、しかもこうまで手助けしてくれる。

 けれどもバイトを中断してしまったことは本当に残念だ。そこで思わず「あっ」と小さく叫んだ。

「気づいてしまったんですけど」

「何かいい事なの、それは」

「何人もいるわたしは、それぞれバイトしていますよね」

「そうね」

「そのバイトの入金先はひとつですから、今月は結構貯まっていると思うんです。それなら留学費用もお祓い代もなんとかなるかもって・・」

「はっは。そうよね。銀行口座は複製できないし。よかったわね。鵜飼の鵜みたいに、皆がそれぞれに稼いでくれているわ。貯まるまで、もうしばらく待つ?」

 いやいやとこめかみを抑えて目を閉じる。

 後期が始まって学校が再開してからは、よりまずい。

「すみません。やっぱり夏の終わりまでにお願いします」

 六花さんは少女のような声で笑った。

「一夏の夢にしてしまえば、皆も納得よ」と。

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風花の舞姫 鏡鬼 百舌 @mozu75ts

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