第5話 囚われの姫

 屯所内の手狭な自室で、大尉リュフテナントは机の引き出しから一枚の封筒を取り出した。彼はその中からそわそわした手つきで「【機密事項スィクレート】国家有事の際の対応」と書かれた紙を取り出すと、再び目を通し始めた。

 ――いよいよを実行に移すのだろうか。

 以前から水面下で色々と動きがあることは彼も察知していた。今回のこの事件はではあったが重要な局面で、ヴァドリア王国の今後の在り方を決定づけるかもしれないということは明白だった。

 ――いずれにせよ、現時点では上層部うえからの指示を仰ぐしかない。

 先行きが見えない不安から彼は気が気でなく、精神的に余裕がなかった。

大尉リュフテナント、今少しお時間よろしいでしょうか?」

 ドアをノックする音が聞こえて、大尉リュフテナントは急いで書類を引き出しに戻し、鍵を閉めた。

「……入りたまえ」

 大尉リュフテナントがそう言うと、ダーリウがドアを開けて入ってきた。

「何だね、ダーリウ君。私は忙しいのだ」

 大尉リュフテナントは座ったまま敬礼するダーリウを一瞥したが、いかにも手元の業務に集中しているように机に向かったままだった。

「……拘束中のノルディア人の件についてですが」

 ダーリウはそこまで言って一旦区切った。

「話は聞いた。今しがた屯所に来たノルディア人どもが何か騒ぎを起こしたようだが、必要ならそいつらもまとめて勾留しろ」

 大尉リュフテナントが手短に話を切り上げようとしたその時――

「どうか……、マーリア・フェルヴァンを釈放していただけないでしょうか?」

 ダーリウは臆せずそう言ってのけた。

「何をたわけたことを……。気が違ったか」

 大尉リュフテナントは顔を上げて、まるで開いた口がふさがらないというようにダーリウを見た。

「お言葉ですが大尉リュフテナント、彼女は明らかに今回の事件とは無関係です。あのような女子供を一々捕らえて監視しても、特に役に立たないでしょう」

 ダーリウは毅然とした口調で言い切った。

 ――だから何だと言うのだ。今私にあんなケダモノどもゾリアーフにかまけているヒマはない。

 大尉リュフテナントも結局上の命令に従っているだけで、それ以上の大義はないということは自覚していた。しかし誰もがこの国家を揺るがす緊急事態に殺気立っている中で、彼は自らが独立分子スィチェーヒ扱いされることを一番恐れていた。

「人に命令する前に従うことを覚えろ。君は一憲兵の分際で、上層部うえの決定を覆せるとでも思っているのかね?」

 大尉リュフテナントは苛立ちを露わに突き放したが、ダーリウはあくまでも食い下がった。

「滅相もありません。しかし、先ほどこちらへ来たペーティルとは交友がありまして、彼のことはよく存じております」

「ほう。どんな正統な理由があるのかと思えば、ただの私情とはな」

 しかし、ダーリウが次に放った言葉に大尉リュフテナントは口ごもった。

「ペーティルは私と同じ学校シュクーラの出身で、今では立派な『教会兄弟団レス・ブレードー・リス・ターマ』の一員です。そして彼だけでなく、マーリアも異教徒イゼーナではございません。そのようなものたちが反逆に加担することは極めて考えにくいかと」

 ヴァドリア王国では基本的に「ヴァドリア国教会リ・ターミ・ラス・ヴァドレイ」という宗教が国教とされており、教会ターミとのつながりが強い学校シュクーラやユニヴィルスィーティア(大学)に進学するには国教会の信者であることが大前提だった。一方、異教徒イゼーニの多い北部ノルディアでは宗教対立から通常の国民学校トラディアーナ・シュクーラへ通わないものも多かったが、ペーティルやマーリアは子供の頃に形式上洗礼を受けていた。

 ダーリウは更に続けた。

「聞けば、彼女は橋から落ちた汽車の車内に取り残された乗客たちの救助活動に当たっていたそうです」

半人半獣ヒュブリーディの命など――」

。表彰されることはあっても、これではあまりにもひどい仕打ちではありませんか」

 大尉リュフテナントは無言で席から立ち上がると、ダーリウを真っ直ぐ見つめた。その厳しい眼光にダーリウも緊張して、思わず唾を飲み込んだ。

「上官を前にしても物怖じせず、これだけはっきりと意見できる、という一点に関してだけは君を称賛しよう。

 だが、私一人を説得できても、これが個人の裁量でどうにかなる問題ではないということも、頭の良い君なら分かるだろう? 私も君を抗命罪ニスブルディナヒアで懲罰房送りにはしたくないのだよ」

 皮肉のつもりでもないのか、大尉リュフテナントは諭すように語り掛けた。

「今のところ誰一人釈放はできない。下がれ」

 大尉リュフテナントはダーリウの肩を叩いてそう言うと、ダーリウに背を向けた。

 精一杯虚勢を張ってきたダーリウだったが、がっくりしたように肩を落とした。

「……承知いたしました」

 やはりだめだったか、とダーリウは内心そう独りごちた。

 大尉リュフテナントは後ろ手を組んだまま、しばらく窓際から外を見ていた。屯所を囲っている塀の周りには、建物の中に入り切らなくなったノルディア人たちが路上を屯していた。

 ――とは言ったものの、このような小さな施設では収容しきれないことは確かだ。

 大尉リュフテナントが目を閉じて今後の対応について悩んでいた矢先――

「大変です! 勾留中のノルディア人どもが暴れてます!」

 けたたましくドアをノックする音と共に、憲兵が外から大声で叫ぶのが聞こえてきた。


 ●


 夜、事件から半日近く経過した頃――

 ――ちょっと、さすがに狭いんですけど……。

 囚われの姫マリーシャは檻の中でぎゅうぎゅう詰めになっていた。

 人口密度はさながら奴隷船と言ったところか、この近辺にいるノルディア人たちが続々と連行されてきているようで、このまま行くと自分が立つ場所もなくなりそうだった。

 ――ダーリウのヤツ、「僕がなんとかしてみよっか?」とか調子のいいこと言って……。

 あれから何時間も経ったがちっとも外に出られる気配はなく、マリーシャはいらだちを募らせていた。

 ――あぁ……、もうお腹空きすぎて死にそう……。

 長時間にわたる拘束によるストレスや空腹で限界なのは皆も同じのようで、そこかしこでいざこざが起こっていた。

「押すなよ! 狭いんだから!」

「アンタこそ押さないでよ! あと、アタシのお尻触らないで!」

「黙れ、お前の尻がデカいせいでもっと狭くなるんだ!」

 そんな中、一部の者たちが憲兵を挑発するように怒鳴り始めた。

「早く外に出せ!!」

「いい加減にしねえとブチ殺すぞ!!」

 彼らは動物園の猛獣のように鉄格子をガタガタと揺さぶりながら喚き散らした。

 マリーシャはといえば、人々の押し合いへし合いの中でもみくちゃにされて呼吸もままならなかった。

 ――息が……、できない……!

 彼女が真面目に窒息死しかけていると――

「おい、ノルディア人ども」

 別の憲兵がやってきて、突然彼らに銃を突き付けながらこう呼びかけた。

外に出ろ。まずは女だ」

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