第02話 モンスターよりも出刃包丁の方が怖い
「? もちろん出したよ。料理の道に行くって前から言ってたじゃん」
実を言うと僕は料理ができる。
武術とは違って唯一、人に胸を張って言える趣味でもある。
家庭事情を話すと僕の家は共働きで、自然と僕一人で料理を作る日があった。
で、なんか作っているうちに夢中になっちゃって、今は家の台所を全部取り仕切るまでになる。
美味しい料理を作っては味見して、味見して、味見して……を繰り返してスクスクと成長したのがこの体です。半分くらいは仕方ない……よね?
ちなみにイケメン君の体の数パーセントくらいは僕の料理で出来ています。
「いいなあハッキリしてて。俺はなーんもなくてなぁ」
「モデルかホストにでもなったら?」
「冗談言うなよ。そんなの出来るわけ無いだろ」
いやけっこう真面目に答えたつもりなんだけどな。
ホント憎たらしいくらい顔がいいし。話も上手だし。
何かと言って僕のような奴を見捨てないし。
顔以外でも性格がイケメンだから人気があるんだけど。
「俺は健人の事羨ましいよ。好きな事もあるし。料理もできる。やりたいことがハッキリしてていいなーってな」
「ずーっとお前のサブキャラやってたからね。存在感のためにスキルは必須だよ」
「そこまで自己肯定感低いと引くな。もっと自信持ったらどう? 健人は自分が思ってるよりやれば出来るヤツだよ」
引くって言うな。つらい。
あとやれば出来る子って言うな。
上目線通り越して子供を見る目だよそれは。お前は僕のお母さんか?
嫌味を返そうと思ったけれども、僕も僕でコイツの事もよくわかってる。
誰もが欲しいものを持っているからこそ、何をすればいいか分からない。
実は空っぽな日々を送っているのが彼だ。
本当にそう悩んでいるのを理解しているのは、多分僕だけ。
だから素直な自分をさらけ出せるのもお互い様。
多分、この先もずっとこんな感じなんだろうなぁと思う。
僕は常にサブキャラクターに徹して、心はハッキリと理想のヒーローを描いて。
イケメン君は主役でいて、ずーっと
そうやって二人とも変わらないまま大きくなっていくのかなあ、と妄想する。
「なあ健人、今日もメシ作ってよ。酢豚がいい」
「急にデレんな。ガラスのハートが傷ついたからヤだ」
「ガラスどころか豚足だろ健人ハート」
「上等だ。かかってこいよ。そのイケメン顔台無しにしてやる」
「俺以外にその口聞けるようになってから出直してこい
知らない人から見たなら喧嘩でもしてるんだろうかと思われるかもだけど、これが僕たちの日常。
今日もまたそんな感じで終わって、明日もこんな感じで過ぎていく。
そう思っていた。
この時までは。
ビル街からしばらく歩いていつもの住宅街。
小高い上り坂を登り切ると僕たちの家がある。
今時お隣同士とかラブコメでも見ないけど幼馴染みなんだから仕方ない。
いっそイケメン君が女だったらな、と思うこともあるけどね。
「もう親に健人のご飯食べるってLINEで伝えたから。よろしく」
「イケメンなら何でも許されると思うなよ。でも丁度よく酢豚の材料があるよ」
「おーやったぜ! 健人の飯以外もう何もいらない」
そう言うところだぞ。
そう言うところなんだからな貴様!
お前がヒロイン候補生をしこたまこさえるのは!
僕が幼馴染みの美少女だったら「べっ別にアンタの為じゃないんだからね!」とか古典的なセリフを吐いて顔真っ赤になるところだからね。
まあ悪い気分じゃないし、僕の料理が誰かに求められているっていうのは正直嬉しい。
こんな太ったヤツが説得力を持てる職業っていったら料理人くらいしかないからね。
それを気づかせてくれたのはイケメン君だけど……。
べ、別にお前のために目指そうと思ったワケじゃないんだからね!
さて主菜は決まった。他は何を作ろうかな……と思った、その時だった。
「やっぱり。
鈍臭い僕でもわかるような濃厚な殺気。
僕たちの道の先。もう少しで家の、その手前。
古臭い電信柱の影から現れたのはウチの学校の制服を着た、これまた美少女。
焦点の合っていない目にあざといくらいの涙袋。
黒髪の艶やかなロングヘアは漆黒の闇のよう。
西洋人形のように白い肌に控えめなのか主張気味なのかわからないリップで赤くなった唇。
言っては悪いのだけれども「あ、地雷っぽい!」と思える美少女。
……ちょっと僕の好みなのが残念だ。本当に。
またイケメン君案件か。
ホント死ねばいいのに。
――と、愚痴をこぼしそうになったのだが。
その手に持つ出刃包丁に、僕たちは度肝を抜かれた。
「君は4組の!」
「知っているのかイケメン!」
「こいつ俺のストーカーだよ。君は自宅
え、何それ僕知らない。
てかウチの学校でそんなことあったの?
母校は県立ラブコメ学園だったの?
そら僕はサブキャラになりますわ。
いやそんな脳内ツッコミはいい。
ストーカーちゃんが「ウケケケケ」と妙な笑い声を上げて背筋が凍った。
「どうりで
にじり寄ってくるストーカーちゃん。
目はカッと見開いているのに、口元が笑ってるのか泣いてるのか混ざったような感じ。
「実はこのイケメン、生クリーム嫌いだぞ」
……と言ったらさらに暴走するだろうか。
僕はもちろん対ナイフ戦の妄想を欠かしたことが無いけれど、こんなの想定外です。
殺意を読むとか、初動の起こりを読むとかそういうのガン無視の、圧倒的殺傷スタイル。
両腕をガッと上げて近づいてくるのはヒグマとかに近い。こわい。
「ヒィ! 健人助けて!」
イケメン君が僕の背中に隠れる。
こいついつも堂々としているようで、実際のところ僕とどっこいのチキン野郎だったりする。
小さい頃はいつも僕を盾にして、そして一緒に大泣きしていた。
いやそんなエピソードはどうでもいい。
ストーカーちゃんの目がマジだ。
あんたはここで私と死ぬのよと言わんばかりに、世間体的な意味でも捨て身覚悟で出刃包丁を掲げている。
「ちょ! 僕に頼るなよ! お前が撒いた種だろ!」
「知るかよ! あっちが勝手に好き好きとか言ってくるだけだし!」
「そう言うとこだぞクソイケメン!」
「健人はお座敷武術家だろ! その豊富な武術知識で何とかしてくださいよおおおお!」
お前本当にぶっ飛ばすぞ。
イケメンの乱用もいい加減にしろよな!
「進くん、進くん進くんすすすすすすすすすあひゃひゃひゃひゃ!」
オー。
人間って愛でバグるんだ。初めて知った。
ここで
「僕が相手だ!」
と言って、
「得物を持ったなら女も男もない。許せ!」
と構えてジャンプの後、ブロック塀の壁を蹴って三角跳びして後ろに回り込み、ストーカーちゃんの後頭部を手刀で押さえつつ
「こここここの泥棒ブタああああああああああああアアアア!」
「ウピイヤァアアアアアアアアアアア!」
出た言葉が
ってか泥棒ブタって何。泣くぞ。
襲いかかってくるその瞬間は実にスローに見えた。
私の恋敵絶対ぶっ殺すウーマンになったストーカーちゃんが、
その顔はまさにモンスターのよう。
ホラーゲームも「こんな怪異が出たら僕は殴って解決するね」と鼻で笑う僕がちびりそうになるその形相は、どんな創作物でも勝てないだろう。サダコだろーが何だろうか包丁で戦って勝ちそう。
足がすくむ。
ファイティングポーズすら取れない。
逃げようと思ってもイケメン君がガッシリ離れない。
急に降りかかってくる『死』という
妄想力を鍛えたからこそしっかりとわかる。
あの刃物が僕の体に入り込み、血管や臓器をズタズタに切り裂いてゆく。
その様がリアルに思い描ける。
そうして想像上の自分が何度も何度も刺された時。
どくん、と。
心臓が飛び出るとばかりに高鳴る。
不意に膝から力が抜けて、崩れた。
「……え?」
あと一歩と迫ったところで、ストーカーちゃんが止まった。
そこからもう僕の視線は地面から離れなかった。
「健人?」
イケメン君も素の声になっている。
どくん、どくんと心臓が鳴る。
どんどんと弱くなっているのがわかる。
ストーカーちゃんのあまりの形相と、日常に差し込まれた「死」という非現実に――僕の心臓がついていかなかったらしい。
いつだったか保険の先生に、
「若くても
……と釘を刺されたことをふと思い出した。
ってか走馬灯だこれぇ!
手足から力が、そして体温が抜けていくのがわかる。
額を地面につけて、胸を強く押さえる。
そうやって他人事のように思えるのはいよいよ――
「わ、私! 私悪くない! 悪くなああい!」
どう考えても君のせいです……と、冷静に突っ込むこともできない。
「おい健人! どうしたんだ健人! おい!」
どうなってるのかこっちが聞きたいよ……と、叫ぶことすらできない。
ストーカーちゃんの悲鳴と、進の声が最後に聞こえた音。
そこからズーンと、僕は真っ暗闇に引き込まれたかのように――。
意識が、フツリと途絶えた。
★
……。
…………。
………………あれ?
痛み、治った?
「あービックリした」
どれだけそうしていたのだろう。
何だか長い間寝ていたような、そうでないような。
とにかく体がスッキリ爽快になり、痛みが止んだので起き上がる。
胸に手を当てても変な
「いやあ~、驚きすぎて心臓発作とか洒落にならない――あれ?」
振り返ってもイケメン君はいなかった。
正面に向き直っても、ストーカーちゃんはいなかった。
というか、景色がおかしい。
僕の住んでいたのはビル街からちょっと坂を登った住宅街だったのに。
「……はい? なんで森の中?」
眼前に広がっていたのは広大な森。
僕の起き上がったのは、樹齢数千年と言わんばかりの大木の、その根元だった。
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