第16話 地道にやるのが一番

 ヨルゲンはたまに自分でシャンロに行ってキノイの花を売るそうで、それでエリアスと取引があるのだった。ヨルゲンは面白そうな顔でエリアスの話に聞き入っていた。

「へえ? それでズブの素人がキノイの取引を? 良いんじゃないかな。好いた人のために新しいことに挑戦する……なかなか素敵な話だ」

 ヨルゲンは乾燥させた花が入っている麻袋をポンと叩いた。

「エティカで新しい商売に手を出す者はよく毛皮を扱いたがるが、敢えてキノイにするとは良い着眼点だ。毛皮は希少で高価なもので貴族や富豪に人気が高い奢侈品だが、もちろん金色の染色材だって希少で高価で需要も高い。目を付けてくれて俺は嬉しいね。で? どれだけ買う?」

「えっ? あっ、ああ……」

 俺は市場にこれでもかと積まれた麻袋の山を見た。

「……三十袋かな」

「はいよ。本来なら一袋六〇〇ティカンズでお売りするけど、エリアスには世話になってるからね。五七〇ティカンズに負けよう」

「もう一声」

「え?」

「近頃俺の扱う船荷の中の染色材は、だいたい一袋五〇〇ティカンズで買ったものだと噂で聞いたことがある。だからもう少し負けてもらえないかな」

「うーん」

 ヨルゲンは腕を組んだ。

「まあ、今はシャンロの大市が終わっちゃってるからな。それに、いつも取引してる商人になら少し負けてるんだけどな。でも今回はそのどちらでもないから……うん、五四〇ティカンズでどう?」

「……そっか、そういうことならそれで。ありがとう」

「いえいえ〜。どうも」

 その後、荷運びと支払いの手配をして、何度かヨルゲンの店を出入りしてから、俺たちはマーリット商会の支店まで戻った。買った荷物は地下室の一角を貸してもらって置いている。

「上手くいって良かったな」

「うん」

「シャンロでちゃんと売れるといいな」

「うん」

「それもこれも俺のお陰だな」

「うん。ありがとう」

「どういたしまして!」

 俺は自分の部屋に戻った。

 それから今後のことを考えた。

 キノイの花は数十袋で取引されることが多い。ヨルゲンの言う通りこの染色材そのものは希少だけど、染物屋は一度に大量に花を使って色を煮出すから、ちまちま買うということは無い。需要がある時に巡り合わせがあったら、高値で売れるだろう。その辺はシャンロの橋の辺りでまた情報を集めるか……。

 こんなことを少しずつ続けていれば、いずれ俺は大金持ちになれるだろうか。輸送業に、海上保険業に、貿易業。これだけ沢山の事業に参画していたら、そのうち芽が出るだろうか。そのうち……。

 そのうちっていつだろう。

 俺はソルヴィの父ベングトのことを思い浮かべた。

 ソルヴィに何も知らせずに、いきなりイェンスとの縁談を持ち出してきたベングト。商売上利益になる縁談しか認めてくれなさそうだ。それも、今この時期にソルヴィに結婚して欲しそうだというように感じられる。

 実は、少しの猶予も無いのではないか? シャンロに帰ったら、また縁談が用意されていたりして……。

 俺はぷるぷると頭を振った。

 今は、俺にできることを精一杯やろう。どの事業にも真面目に取り組んで、着実に財産を築こう。余計な不安に囚われていては気が散じる。とりあえず、地道にやるのが一番の近道だ。


 ⚓︎⚓︎⚓︎


 港に、俺の船が到着し始めていた。荷物を運び出しては、また積んで、シャンロへと旅立って行く。エリアスも一足先に船に乗ってシャンロに向かった。俺はまた、弟子の乗った船を待って、ソルヴィと共にシャンロを目指す予定だ。

 やがて弟子の船が停泊した。俺は港まで出て弟子を出迎えた。降りてきた、少し背の低い弟子の頭を、俺はくしゃくしゃと撫でた。

「よくやったよ。無事で何よりだ。お疲れ様」

「ありがとうございます、師匠」

 弟子は珍しく表情を緩めて、照れくさそうに笑った。

「俺、本当は不安だったんですけど、何とかなって良かったです」

「急に全部任せちゃってごめんね。でもお前は一回り成長できたみたいだ。本当に良かった。……荷物については俺が指示出しをするから、お前は次の出航まで休んでいてくれ」

「はい。ありがとうございます。その代わり、シャンロに帰る時も、俺に任せてもらえますよね」

「えっ?」

「今回もお客様がいらっしゃるでしょう」

「あ、うん……」

「それに俺も自分の力でシャンロまで帰ってみたいですし。そういうことでお願いしますね。では」

 弟子はすたすたと港を去った。俺はありがたい気持ちでその背中を見送った。彼は本当に気の利く、そして肝の据わった男だ。師匠の俺のことをよく見ている。

 俺はようやく決意していた。

 何事も地道にやるのが一番。それが俺の考え。

 シャンロまでの航海で、俺はソルヴィと今までよりもっと仲良くなる。そして結婚の申し込みをするための下地を作るのだ。

 やがてルシールからの荷物は全て船に積み終わった。いよいよ俺たちは、ルシールから去る時を迎えていた。

 俺はソルヴィを迎えに行った。

 計画を実行に移す覚悟を胸に。


 ⚓︎⚓︎⚓︎


 船室の中で俺は色んなおしゃべりをした。俺の始めた新しい商売についても詳しく話してあったので、ソルヴィは興味津々の様子だった。よし、これでいい。この調子で距離を縮めていこう。今のところはこの程度で構わない。地道に、少しずつ、慎重に。

 だが、楽しく話を続けている途中のことだった。

「ねえ、ミーケル」

 ソルヴィは、何でもないことのように俺に言った。

「はい、何でしょう、ソルヴィ様」

「ずっと気になっていたのだけど。エリアスが言っていたの。あなた、私に打ち明けなければならない、とーっても重大な、秘密の話があるんですって? その話はまだ?」

 俺は動揺のあまり壁に後頭部をぶつけた。

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