第11話 ルシールで成功せよ


 マーリット商会ルシール支店の責任者、イェンス・ゴットフルは、ソルヴィの母方の従兄弟である。

「話は手紙で大方把握しているよ」

 机の向かいで、イェンスはにこやかに言った。

「ソルヴィのやっている海上保険は随分と盛況みたいだね」

「まあね」

 ソルヴィは胸を張った。

「この私がやってるんだから当然よ。……と、言いたいところだけど、周りに助けられたのと、運が良かったのが大きいわ」

「そうかい。これからは僕もその海上保険のお役に立ちたいところだね。……というよりも」

 イェンスは穏やかに続ける。

「ゆくゆくは僕が海上保険の面倒を見てあげよう。今回はそのつもりで呼んだんだ」

「!?」

 俺は一瞬、言葉の意味を測りかねて、呆けたようになっていた。だがじわじわと腹立たしい気持ちが湧き起こってきた。

「……もしかして、ソルヴィ様から海上保険を取り上げるおつもりですか、イェンスさん? あなたにそんな権利はありませんよ」

 険しい声で問いただす。ソルヴィは眉をひそめていたが、まだ黙っていた。

「いやいや」

 イェンスは動じた様子もなく依然として穏やかな口調だったが、更に無茶苦茶なことを言い出した。

「これは縁談の申し出というわけだよ。僕とソルヴィが結婚すれば、必然的に、ソルヴィの商売は僕が引き継ぐことになるだろう?」

「!? ……!?」

 俺は口をぱくぱくさせて言葉を失った。エリアスが心配そうにこちらを見ている。ソルヴィは隣で小さく嘆息した。

「お父様がそう言ったのかしら?」

「まあ、そんなところだね」

「全く、あの人と来たら!」

 ソルヴィはうんざりしきった顔をしていた。

「また勝手に話を進めて!」

「でもソルヴィは、マーリット商会の財産を継ぎたいそうじゃないか。それなら僕と結婚するのが早道だと思うけど」

「そういう意味じゃないのよ、あれは。全然違う。真逆の意味だわ」

「どういうこと?」

 話が通じないイェンスに、ソルヴィは苛々していた。

「私があなたと結婚してあなたに全部商売を任せたら、結局マーリット商会を継いでいるのはイェンス・ゴットフルだってことになるじゃない! それじゃ意味無いのよ。私は私自身の力で商売をやりたいの!」

「ほう……?」

 イェンスは首を傾げた。それから諭すように言った。

「でも、女が一人で商売をやるのは厳しいと思うよ」

「そんなことないわ」

「うーん、でもソルヴィは自分で言ったばかりじゃないかい? 周りの男に助けられてやってきたんだって」

「……それとこれとは話が別よ!」

 ソルヴィは珍しくいきり立った。

「じゃあ何? イェンス、あなたは誰の手も借りなかったっていうの? たった一人で商売をやってきたって? そんなはずないじゃない! 商売は『お互いを思い合うもの』でしょう? 一人で成り立つはずがないものねえ? 私だってそれは同じよ!」

「……」

 イェンスはいっとき言葉に詰まった。その隙をエリアスは見逃さなかった。流れるように話をぶちこむ。

「イェンス様、あなたにはルシールでもよくお世話になっております。あなたの商売の腕は僕も認めるところです。しかしながら今のご意見は如何なものでしょうか? 商売人としてやってきたお客に縁談を持ち出すとはいささか場違いのように思われますが? まさかあなたの腕が鈍って、そのような頓珍漢なことを言い出した訳ではありますまい。どうか目をお覚ましになって、ここは穏便に商談をしようではありませんか」

「いいえエリアス」

 ソルヴィはかっかしていた。

「こんな失礼な男と商談なんてとんでもないわ。ここは引き上げて、マーリット商会には頼らない道を模索しましょう!」

「ええっ、しかし、それは……」

「ソルヴィ」

 イェンスはまた笑みを湛えてソルヴィを見据えた。

「ソルヴィの言いたいことは分かったよ。そこまで言うのなら、縁談の話は一度脇に置こうか。このルシールで、僕の手を借りずに好きにやるといい」

「! イェンス……」

「ただしうまくいかなくって、このマーリット商会ルシール支店に泣きつくようなら……その時は僕と婚約してくれるね?」

 俺はこの時まで頭が真っ白になって固まっていたのだが、いよいよ恐ろしくなって思わず声を上げた。

「そ……そんな強引な真似はさせませんよ! ソルヴィ様にはもっとふさわしい相手がいます。あなたなんかじゃ、ない」

 イェンスは俺の言葉を歯牙にも掛けなかった。

「ならばソルヴィがルシールでうまくやればいいだけの話。その『ふさわしい相手』とやらがちゃんとソルヴィに協力してくれるなら、ソルヴィもルシールで滞りなく商売をやれるだろう?」

「……それは……!」

「ええそうよ」

 ソルヴィは啖呵を切った。

「イェンス、あなたの手を借りなくたって私たちはやってみせるわ! 行くわよ、ミーケル、エリアス。こんなところはとっとと出て行きましょう!」

 ソルヴィは荒々しく立ち上がると、出口に向かった。最後に優雅に一礼する。

「では、失礼」

 そして足音高くその場を後にした。俺たちは慌ててその後に続いた。

「あのっ、ソルヴィ様!」

「お待ちを!」

 ばたばたと廊下を進んでソルヴィを追いかける。

「ソルヴィ様、貴重な商談の機会を、あのように激情に駆られて蹴ってしまわれるのは……」

 エリアスがたしなめたが、ソルヴィはまだぷんすか怒っていた。

「貴重ですって? あんな男と手を組んだところで、先は見えているわよ! ねえ、ミーケル?」

「あの……」

 俺は恐ろしさに体を震わせていた。

「そ、そうですね。あの男の手を借りるなんて言語道断です。でも……」

「どうしたの?」

「も、もし……」

 もしうまく行かなかったら、海上保険業を縮小するか、あの男に泣きつくか、二つに一つになってしまう。それが……いや、主に後者が怖かった。

 ハアーッとエリアスは息を吐いた。

「こうなったら腹を括ります。……いいかいミーケル、しっかりするんだ。君がうまくやれる所を見せてやれ。でないとソルヴィ様はイェンスさんと婚約することになるぞ!」

 バシィンとエリアスは俺の背中を叩いた。

「う、うん」

 俺は、腹にぐっと力を込めて気合いを入れた。お陰様で震えは収まっていた。覚悟も決まった。

「……ソルヴィ様。全力でお助けします」

「もちろん。そう来なくっちゃ」

 ソルヴィは決然とした表情で俺を見上げたのだった。

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