第3章 取り扱う範囲を広げます
第10話 みんなで遠出します
「いい風ね!」
ソルヴィは甲板にて、安全用の船の手すりに掴まりながら、斜め前に位置するエティカ島を眺めながら言った。しかし俺はそれどころではなかった。
「ソルヴィ様、危ないですので船室へ……」
「大丈夫よ、別に」
「でも、これは客船ではなくて貨物船なんですよ」
俺は説明した。
「それに今は向かい風ですから、エティカ島まではしょっちゅう舵を切りながら航行しなければなりませんし……」
俺はソルヴィを連れて帆船でルシールに向かっているところだった。
シャンロの大市も無事終了し、商人たちは続々と、次の大市の開催都市や自分の故郷の都市へと移動している。俺も大市の最後の荷物を積んで、エティカ島に行く予定だったが、満を辞して、ソルヴィがついて行きたいと言い出したのだ。
「保険業もうまく行っているし、そろそろ取り扱う航路とか範囲とかを広げたいのよね」
ソルヴィは言っていた。
「そのための下見に行きたいの。ルシールならマーリット商会の支店もあるし、まだ私の顔が利くと思うわ。もちろん都合が合えばエリアスも連れて行くわよ。エリアスはエティカの通貨事情に詳しいから」
そんな訳で俺は貨物船を出すついでにソルヴィを乗せて出航していた。エリアスは別便で先にルシールに到着している。あとは俺たちが無事に着けば準備完了だ。
「あっ、おい!」
俺は船員に呼びかけた。
「風が来る。帆をもうちょっとこっちに傾けてくれ」
はい、と船員が動き出す。
「……まあ」
ソルヴィは肩を竦めた。
「皆、忙しそうだし、邪魔になっても悪いわね。部屋へ行くわ」
「それがよろしいかと。俺は船上で指示に……」
「師匠」
すたすたと弟子が歩み寄ってきた。
「うん? どうした?」
「航海の指示、俺がやってみたいです」
「え?」
「まだ一人でやったことがないので」
「えっ……とぉ……」
俺は目を泳がせた。
「今日はお客様も乗ってらっしゃるし、航海は慎重に行きたいんだけど……」
「何言ってんですか」
弟子は真顔だった。
「お客様がいようがいまいが、航海は慎重にやらなくちゃ駄目でしょう」
「そ、そうだけど」
「それより師匠はお客様のご案内をして来て下さいって言ってんですよ、俺は」
妙に圧のある様子で言われて、俺はたじろいだ。
「あ、わ、分かった。……じゃあ、任せた……」
「はい。頑張ります」
弟子は緊張も気負いも感じさせない様子で歩み去った。この弟子はもしかしたらいずれ俺より遥かに大物になるかも知れない……いや、そんなことより、今は案内だ。
「お待たせしました、ソルヴィ様。船室はこちらです」
「ええ」
ソルヴィはくすっと笑った。
「頼りになるお弟子さんね」
「ええ、助かってます……あ、危ない」
船が大きく揺れ、俺は咄嗟にソルヴィの腰に手を回してその体を支えた。それがあんまりに細かったので俺は内心仰天した。揺れが収まってから、すぐにぱっと手を離す。
「すすすすっすみません。お怪我はありませんか」
「ええ、お陰様でね」
ソルヴィは動揺した様子もなく微笑んで、手を俺の方に差し出した。
「その調子でしっかり私のことを誘導して頂戴」
「……承りました」
⚓︎⚓︎⚓︎
夕方頃、俺たちはルシールの港に到着した。エリアスが手を振って出迎えてくれる。
「ソルヴィ様、ミーケル、無事で何より!」
「エリアスもね。……ああ、私、お父様抜きでルシールに来たのって初めて! さあ、支店の方に向かいましょう! こっちよ」
ソルヴィが先頭に立ってさっさと歩き出す。エリアスはその後ろで俺に話しかける。
「それで、船上では何かソルヴィ様とお話ししたのか?」
「あ、少し……。船でのことを概ね弟子が仕切ってくれたから、俺は始終ソルヴィ様のお相手ができて……多分、退屈凌ぎにはなれたと思う」
「……そうか! そいつは何より」
エリアスは言った。
「だがあんまりのんびりしている暇はないと思うぞ! 此度の遠出は好機だ。気張れ」
「う、うん……」
俺は正直、そこまで覚悟が決まっていなかったので、頼りない返事になってしまった。だが、航海中に船室で歓談したのは、楽しかった。ソルヴィもそう思ってくれているといいのだが。
やがて俺たちはマーリット商会のルシール支店に到着した。こちらはシャンロ本店の屋敷には及ばずこじんまりとしているが、それでも俺たちが泊まるには十分な広さだったし、建物のところどころに装飾品が施されているなどしていた。ルシールでもマーリット商会はそれなりに幅を利かせているのだと窺い知れる。
やがて扉が開いて、使用人たちが出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました、ソルヴィ様、お連れ様」
「航海でお疲れでしょう。まずは部屋でごゆるりとお夕食でも」
「新鮮な魚とワインを用意してございますゆえ」
そこで俺たちは、ルシールならではの魚料理を楽しんだ。エティカ島近海で採れたばかりの魚は、やはり塩漬けや干し魚といった保存用のものよりも味わいが段違いだ。
「明日からはばりばり働くわよ」
ソルヴィは魚にナイフを入れてもりもり料理を食べた。
「まずはこの支店を率いるイェンスに会って、お客を紹介してもらうわ。それからミーケルにはここより北の航海について色々教えてもらわなくちゃいけないし、それに……」
ソルヴィの元気なことと言ったら、船に揺られた疲れを一切感じさせない。いつもより格段に働いていない俺ならさておき、ソルヴィはほとんど航海の経験も無いのに。
だがソルヴィの疲労は食後に如実に現れた。満腹で気が緩んだのだろうか、少しおしゃべりが控えめになってきたところで、使用人からの勧めもあり、ソルヴィは早々に客室に引き上げることになった。俺とエリアスも別々の客室に案内されて、ふかふかの寝台で旅の疲れを癒した。
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