第9話 お互いに頑張ります

「痛っ」

「ちょっとミーケル、何してるの!?」

「いや、こっ、こいつが……変なこと言うので!」

「何よ、変なことって? ああもう、大丈夫、エリアス?」

 ソルヴィは立ち上がってエリアスに手を差し伸べた。何だそれ羨ましい。いや俺が悪いんだけどさ。

「ご心配なく、ソルヴィ様」

 エリアスはやや覇気を欠いた声で答え、ソルヴィの手を借りずに立ち上がった。この野郎ソルヴィの厚意を無碍にしやがって。でも少し安心した。一方エリアスはこう続けた。

「しかしミーケルには言いたいことができました。少し席を外しても?」

 ソルヴィは困惑して俺とエリアスを見比べた。

「構わないけど、喧嘩は無しよ?」

「もちろんです。ミーケル、いいかい?」

「望むところだ。俺もちょっと言いたいことがあるんでな」

「だから、喧嘩は無しだってば!」

「承知しております。ご安心を」

「……もう」

 俺はエリアスについて部屋を出て行った。エリアスは廊下をずんずん進む。階段を下って踊り場の所でようやく足を止めた。

「ミーケル」

「な、何だ」

「いやあ、すまなかったね。うっかり君の秘めたる想いを伝えてしまうところだった!」

 エリアスはあっけらかんと言い放った。俺は唖然とした。怒ってないのかとか、突き飛ばして悪かったとか、それはさておき余計なことばかり言うなとか、色々言いたいことがあったけれど、それらがみんな吹き飛ばされた感覚だった。というか、まず、声が大きい。全然秘めてくれていない。

「ええっと……とりあえず、声を小さくしてくれないか?」

「おっと失礼」

 エリアスは咳払いした。

「僕は昔から一言余計だと言われることが多くてね。さっきのは完全に余計だったよ。君が怒るのも無理はない」

 何だ、自覚があったのか。

「怒ってはいないよ」

 俺は言った。

「ただ、焦ってしまったんだ。こちらこそ乱暴してすまなかった」

「気にしないでくれ」

「そっか……うん……。あの……それで、改めてなんだが、俺がソルヴィ様のことを、その、何というか、……。……」

「好きなんだな!」

「だから、声が大きいって! それで、そのことは、内緒にしていて欲しい……というか、お前の発言でばれてしまったと思うから、今からでも誤魔化して欲しい」

「因みに、これを機にソルヴィ様と仲を深めたいという気持ちは無いのか?」

 俺はぶんぶんと首を振った。

「まさか! 無いよ!」

「しかし、放っておいては、ソルヴィ様はいずれ家柄の吊り合う婚約者を紹介されてしまうぞ。君が候補者になる可能性は低い」

「うぐっ……それは、そうなんだけど……い、今は、このままで良いんだ。とにかく、協力してくれ」

「分かった。君がそう言うのならそうしよう」

「……ありがとう」

 話はついたので、俺とエリアスは連れ立ってソルヴィの事務室まで戻った。部屋ではソルヴィが心配そうな顔で待っていた。

「二人とも、大丈夫?」

「はい!」

「問題無いです。それより、先程エリアスが言った変なことについてですが……」

「だから何よ、変なことって?」

 ソルヴィは本気で分からないといった様子だった。

「エリアスは、あなたが私からの評価を気にしているということと、私のことを尊敬しているということしか言っていなかったと思うけど?」

「えっ」

 俺とエリアスは同時に声を上げた。ソルヴィはいよいよ困惑を深めたらしかった。

「もしかして変なことってそれ? 別に私は構わないわよ。逆にミーケルからは信頼してもらえて嬉しいって、言ったわよね?」

 俺は安堵するやら情けないやらで、全身の力が抜けた。ソルヴィは恋愛対象として全く俺など眼中にないのか、それとも恐ろしく色恋沙汰に鈍いのか、どっちにしろ先行きは怪しい。隣ではエリアスが何か言いたそうなのを我慢している。よし、そのまま頑張って黙っていてくれ。

「そ、それならいいんです。ご迷惑をおかけしました」

「そうなの? というか、二人は喧嘩していないのね?」

「してないです」

「ミーケルはちゃんと謝ったの?」

「ええ、もちろん」

「そう……」

 ソルヴィはまだ腑に落ちない様子だったが、とやかく言うのは諦めたらしかった。

「よく分からないけど、二人が仲良くやってくれるなら文句は無いわ。二人とも、明日以降もよろしくね」

「はい」

「はい!」

 その後、軽い打ち合わせをしてから、俺とエリアスは以前のようにソルヴィに見送られてマーリット宅を出た。扉が閉まった瞬間、エリアスはハアーッと大仰な溜息をついた。

「ミーケル、これは大変だぞ……。応援しているから頑張ってくれたまえ」

「……うん……」

 ともあれ、俺はエリアスへの評価を修正することになった。やたらずけずけと物を言うが、根は良い奴だと。


 ⚓︎⚓︎⚓︎


 シャンロの大市も後半を迎え、今や雑多な物が取引されている。俺の扱う船荷も、種類が一層豊富になってきていた。

 シャンロを発つ前夜、俺はソルヴィに次の航海の安全性を最終報告していた。

「それで、明日の天候も問題無し……と。分かったわ。わざわざありがとう、ミーケル」

「いえ、これくらいはどうってことありません」

「そんなことないわ。ごめんなさいね、明日の朝は都合がつかなくて見送りに行けないけれど、ちゃんと無事を祈っているから」

「恐れ入ります」

 ソルヴィは俺の顔をじっと見上げた。

「……うん、やっぱり分からないわ」

「俺がですか?」

「ええ」

「結構、分かりやすいたちだと言われるのですが」

「そうなの? じゃあ、私もまだまだってことね」

「いえ、そういう意味では……」

「いいの。難しいのよね。紙に書かれた数字なら一発で理解できるけれど、人の顔には何の文字も書かれていないんだもの」

「あはは……」

 俺は眉尻を下げた。

「では、お互いに今後とも頑張って参りましょう」

「ええ、そうね」

 ソルヴィは大きく頷いた。

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