第4話 商売と思いやりの心


「沢山の利益、ですか」

「そうよ、保険料を安くするといいことが沢山あるの。まず一つ、単純にお客様が集まりやすい。商売を始めたてのヒヨッコ女が実績を積むには、客単価を上げることじゃなくて、とにかく取引をいっぱいやるのが確実でしょう。二つ、評判が良くなる。ソルヴィ・マーリットの海上保険は良心的な価格だって知らしめてやれば、更なる集客が見込めるわ。三つ、競合相手が出た時に勝ちやすい。これはこの先、保険で商売を続けていくために必要な観点。……どう? 分かって頂けたかしら」

「はあ……分かりました」

 俺はソルヴィの怒涛の説得に半ば目を回しながらそう言った。

「じゃあ、明日の朝に、最初のお客様と交渉するから、その時はついていらっしゃい。あなたが荷物を預かる交渉をしないと始まらないのよね」

「は、はい」

「これで今日はおしまい。また明日ね」

 ソルヴィは羊皮紙を持って部屋を出て行った。俺はぽかんとその場に取り残されていた。

 昔からソルヴィは頭の回転が速いと思っていたが、今日はそれをまざまざと見せつけられた印象だ。それも、自分で商売をやるとなると、あそこまで活き活きするのか。知らなかった。

(俺もこうしている場合じゃないな)

 俺は踵を返して部屋を辞した。これから港に出て船の様子を見に行くのだ。俺が手配した船がもう三隻、ここに到着する予定だから、それも確認する必要がある。

 いつもの業務に加えて保険の手伝い。忙しくなるぞ、と俺は自分を奮い立たせた。


 ⚓︎⚓︎⚓︎


「こちらでお客様がお待ちよ」

 ソルヴィは部屋の前で俺に言い、扉を大きく開けた。

「さあ、入って頂戴」

 俺は緊張しながら部屋に踏み入った。ガラス窓の近くのソファには、小太りのおじさんが座っていた。

「お待たせしました、アントン・ウォナクル様。こちら、輸送業者のミーケル・グルージュです」

「こ、こんにちは」

「やあやあ、こんにちは。君かね、船を出してくれるというのは。若いねえ」

「ど、どうも」

 俺は恐縮しつつ、ソルヴィの勧めるままにソファに座った。

「僕はね、穀物を扱っているんだよ」

 アントンが早速話し始める。

「エティカでは穀物がよく売れるだろう? だからフレゼリーから穀物を集めてエティカで売って、その金で主に毛皮を買い付けているんだ」

「なるほど」

「シャンロの大市のために、もっとリスの毛皮が欲しいと思っていたところだよ。君には往路で穀物を、復路で毛皮を運んで欲しい。僕は船に同乗できないが、ルシールにいる毛皮商人に信書を託すから、それも届けてもらえるかな」

「承ります」

 俺とアントンは、具体的な荷物の量や、それにかかる人件費などの話を進めた。商談はとんとん拍子にまとまっていく。

「いやぁ、丁度船を探していた所なんだよ。ソルヴィ嬢が格安で話を持ってきてくれるというから助かった」

 アントンはにこにこして言った。

「その件ですが」

 ソルヴィが話に入って来た。

「私の方で海上保険をやることになりまして」

「海上保険ね。さっき言っていたあれかい」

「はい。共同出資の代わりに私にお金を預けて頂ければ、通常よりかなり安い値段で船を出すことが可能です」

「具体的には?」

「航海の危険度にもよりますが、今回は一往復につき三五〇〇ゼリーズお預かりしたいと思います」

「ふむ……それは、凄く安いね。そんなに安くて大丈夫なのかい」

「ご心配はごもっともです」

 ソルヴィは言って、契約内容の書かれた羊皮紙をアントンの前に差し出した。

「ですが、もしも損害が発生した場合には、必ず私がその金額分を補填することを、ここで保証します。ご存じの通りこれが私の初めての商売ですが……仮にお客様方から頂いた保険料以上の損害が発生した場合でも、私の持つ財産から必要金額をお支払いすることを誓約致します」

「ああ、それはそうなんだが……」

 アントンは苦笑した。

「それで君は大丈夫なのか、少し心配になってね」

「私が、ですか?」

 ソルヴィは珍しくきょとんとした。

「そうだよ。安いと僕は助かるが、君の財産が減ることになっては申し訳ないからね」

「……ああ」

 ソルヴィは戸惑いがちに微笑んだ。

「お気遣い誠にありがとうございます。大丈夫ですよ」

 ソルヴィはアントンに、今回の値段の訳を詳しく説明した。俺も口添えして、航海の危険度が少ないこと、また複数回に分けて船を出すことで更にその危険度を分散させることなどを説明させてもらった。

「……という訳ですので、ご心配なく。それに、万が一の時は父に泣きつきますので」

「ははは、マーリット商会の主人が背後にいるなら安心だね」

「ええ、それはもう」

「そういうことなら、契約させてもらおうかな」

 アントンの言葉を聞いたソルヴィは、ぱっと破顔した。

「ありがとうございます! この御恩は忘れません」

「何、僕にとっても悪くない話だからね」

 ソルヴィとアントンは書類にそれぞれサインをした。それから俺も、荷物を預かる契約を結ぶために、別の書類でサインを交わした。

「本当にありがとうございます、アントン様」

「こちらこそありがとう、ソルヴィ嬢。……最後に、商人仲間として一つ助言をしておこうか」

「……何でしょう?」

 ソルヴィは笑顔を崩さなかったが、肩が少し強張ったのを俺は見逃さなかった。

 だが、アントンはにこやかにこんなことを言った。

「大したことじゃない。商人というのはお互いのためを思いやり合うものだということだよ。僕が君のことを心配したのは、君にも一人前の商人として成功して欲しいという思いがあってのことだ。取引相手の利益や信用は、自分の利益や信用に直結する。ここはそういう世界だからね」

「アントン様……」

「同じ商人仲間として、君がうまくやれることを祈っているよ」

 ソルヴィは肩の力を抜いた。

「重ね重ねありがとうございます」

 深く礼をする。

「お言葉、深く胸に刻みます」


 ⚓︎⚓︎⚓︎


 アントンを見送った後、ソルヴィはぽつりと俺にこぼした。

「商売ってこういう感じなのね」

「……はい」

「商人とはお互いを思い合うもの……」

 ソルヴィはしばらくその言葉の意味を噛み締めている様子だったが、やがて俺の方を見上げた。

「初めての契約が成立して良かったわ。これからもガンガン取引していきましょう。改めてよろしくね、ミーケル」

「こちらこそ、よろしくお願いします、ソルヴィ様」

 俺は笑顔で一礼したのだった。

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