第3話 損害率を計算します


 その日の食後は簡易的な文書でソルヴィと契約を取り交わした。翌朝、ソルヴィの小さな事務室で、正式な書類を作る。

「これでよし。こっちの書類はあなたが保管して、ミーケル。これは私が」

 そう言ってソルヴィは自分の分の契約書を乾かすために机の脇に置いた。俺は向かいの席から、もう一枚の羊皮紙を丁寧に両手で受け取った。

「ありがとうございます」

「これであなたは、私の初めての商売の相棒ってわけね」

「……光栄です」

 思えばソルヴィが自力で事業を立ち上げるのはこれが初めてだった。ソルヴィが父親の商売をいくつか手伝ったり引き継いだりしているのはちらほらと耳にしていたが、今回のこれがソルヴィの商人としての第一歩なのかもしれなかった。その場に立ち会えたのは幸運なことだ。

「さ、それじゃあなたも予定があるでしょうし、さっさと話を進めましょう。あなた大市の間じゅう、シャンロとルシールを何度か往復するわよね」

「はい」

「荷を預かる商人はもうみんな決まってるの?」

「いえ、まだ空き容量がありますので、これから交渉します」

「そこを狙いましょうか」

 ソルヴィは机の上で手を組んだ。

「悪いけど、空き容量の内の何割かは、マーリット商会の取引先の商人の荷物にしてもらうわ。できれば私が商談の場に顔を出したことのある商人のね」

「それはもう、喜んで」

 空き容量の分が確実に埋まる上に、マーリット商会の取引先と交渉できるなら、願ったり叶ったりだ。

「じゃあ私はお父様に相談して、保険の話を吹っかける相手を見繕ってくるわ。ミーケルはいつも通り、船を出す上で必要な情報を集めてきて頂戴。そしてそれを私に報告するの。いいわね」

「承知しました」

 俺が深々と礼をして顔を上げた時には、ソルヴィはもう椅子を立って動き出していた。俺も気を引き締めて、ソルヴィの後について部屋を出る。

 マーリット家の屋敷を出て、大市の準備でてんやわんやしている広場を通り抜け、橋の方へ歩いて行く。

 大きな橋は目印になるから多くの商人が待ち合わせ場所に好んで使っている。情報を集めるのにはもってこいの場所だ。今日も橋の上やたもとに沢山の商人が集まっている。

「よう、ミーケル」

 船乗り仲間が声をかけてきた。

「ああ、おはよう」

「昨日帰ったんだってな。どうだった、今度の航海は」

「順調だったよ。この時期は天気も荒れないし」

「そいつは良かった。俺も一昨日まで西側の都市を回っていたんだが、天候の荒れは多くなかったな。海賊がいるって話も無い」

 おしゃべりはしばらく続いた。お陰様で、細かい天候の情報に加えて、西の町の某大商人の羽振りが良くないとか、両替商人たちがエティカ島の通貨を高値で両替していただとか、そんな情報まで手に入った。代わりにこちらも取引状況やら波の高さやら漁獲高やらを開示したが、これはお互い様だ。

 商人たちの間には強固な絆がある。時には一緒の宿で飯を食い、時には同じ船に揺られ、時には双方の利益となる取引を行う。そうした活動の中で自然と芽生える仲間意識のようなものだ。特に、俺のように各地を転々とする役目を担った者にとっては、この信頼関係が非常に重要だった。やはり余所者はどこへ行っても排斥されやすいし、シャンロで市民権を得ているとは言え長期滞在はしないから不利になるし、商売をして金を儲けているというだけで白い目で見る連中だっている。因みに最後のこれは教会の教えで清貧を説いているからで、裕福な連中が教会に寄付したがるのは清貧に反しているという後ろめたさあってのことだ。その金を使って教会は貧しい者を救済しているのだから、寄付も一概に悪いとは言えないのだが。

(馬鹿げてる……ねえ)

 昨日のソルヴィの不満げな顔を思い出して、俺は一人でちょっと笑ってしまった。彼女は儲けることに対して一切のためらいを感じさせない。まあ、これから女性ながら商人として活動したいのであれば、あれくらいの気概がないとやっていけないかもしれない。

「おーい、何笑ってんだミーケル。そんなに良い儲け話があったのか」

「ああ、おはよう……そんなところだよ」

 俺はその後も顔見知りの商人と挨拶しては、情報集めに尽力した。ただ、保険の話は念のため伏せておいた。


 ⚓︎⚓︎⚓︎


「……で」

 ソルヴィは羊皮紙に何か書き付けていた手を止めて、立ち上がった。

「四日後に船を出すのね? そしてその航海の危険度はかなり低い……と」

「はい」

 俺は少しばかり緊張して答えた。

「天気に関しては今後とも情報収集に努めますが、例年この時期は天候が穏やかですし、月の満ち欠けと照合しても四日後の波は高くありません。問題は海賊ですが、そもそもシャンロ・ルシール間は、フレゼリー・エティカ両国の目が光っていることもあって海賊は出にくいですし、近くの港でそれらしい船を見ただとかいう噂も出ておりません。滞りなく船を出せると判断しました」

「仮に同じ条件で百回船を出したとして、荷物が無事にルシールに着かない回数は?」

「……二回未満……ですかね。稀に見る好条件です。荷物が潮に濡れることを考慮するともう少し上がりますが……」

「よろしい」

 ソルヴィはにっこり笑って再び席に着いた。そして羊皮紙にまた何か書き始めた。貴重な紙をこうも贅沢に使えるのは商家の娘ならではのことだった。

 しばらくしてソルヴィは顔を上げて、俺に紙を見せた。

「これが従来、貿易商人たちが一度のルシール行き航海について出し合っていた、損害を補填するための一人当たりの金額の平均」

 五〇〇〇ゼリーズ、と書いてあった。ゼリーズとはシャンロの位置するフレゼリー王国で広く使われている通貨単位である。

「対して、私を介した場合の、今度のシャンロ・ルシール間の往復について私が請求する、手数料込みの金額。こんなところ」

 三五〇〇から四〇〇〇ゼリーズ。

「半額以下に……。いいんですか? 取ろうと思えばもっと取れますよ」

「いいの。もう何度も計算してあるんだから」

 ソルヴィは言った。

「保険料を安くすると、最終的にはこの私に、沢山の利益が返ってくるはずなのよ」

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