第2話 俺に与えられた奇貨
「はあ……」
「何よ、パッとしない返事ね。私があなたを頼りにした理由、分かってる?」
「いえ、まだ」
「情報よ、情報」
ソルヴィは断言した。
「保険の仕組みは、損害を被る可能性のあるお客様からそれぞれちょっとずつ保険料を集めて、集まったお金の中から、実際に損害を被ったお客様にお出しする保険金と、そのまま私が頂戴できる取り分が決まるというもの。これで儲けるには、お金を集められるだけの信頼は必須だけど、それだけじゃ駄目。海上での様々な情報を元に、お客様が実際に損害を被る可能性を計算して、保険金の額を最小限に留めることが必要なの」
だんだん話が見えてきた。
「なるほど。つまり、信頼の部分をマーリット商会が、情報の部分を俺が引き受けるということですね」
実際に海に出て各地を繋いでいる商人の俺の元には、海上での危険に関する情報が沢山集まる。どこぞの町が嵐に見舞われているからこの日の天候は危ういという情報や、どこぞの船が海賊に襲われたからこの海路は避けるべきだという情報まで。俺はそれらの情報を駆使して効率の良い輸送業務を心がけているが、この手法はそのまま保険業にも使えるというわけだ。
「そういうこと」
ソルヴィは満足げだった。
「ミーケル、あなたには私が保険業をやる上で必要な情報を提供してもらいたいのよ。もちろんタダでとは言わないわ。詳細はこれから決めるけど、一回の成功につき、儲けた分の三割をあげる。どう?」
かなり規模の大きな話になってきた。俺は唾を飲んだ。
「そんなに……」
「これでも少ないくらいよ」
「本当ですか」
「あら、口約束だけじゃ不安? 今ここで文書を作成する?」
「いえ、そういう意味では……まあ文書は必要ですが……」
「じゃあこの話、あなたは受けてくれるってことでいい?」
俺は目を泳がせた。頭の中で素早く計算する。これから保険業に力を貸すだけの時間を捻出するということ。その時間でできるであろう輸送業での商談と、それがもたらす俺自身の儲け。それに比べて保険業でどれほど儲かるか。
(いや……そうじゃないだろう)
ソルヴィは俺の力を信用して、こうして話を持ってきてくれた。その期待を裏切るような真似はできない。第一、俺が断ってもソルヴィは諦めないから、この場合ソルヴィは別の商人を探し出してきてそいつと手を組むことになる。そうだ、ソルヴィが真っ先に声をかけてきたことは、俺に好機が与えられたということ。他の男を差し置いてソルヴィと組む絶好の機会が。これを逃すようでは、俺の人生も高が知れているというものだ。
「受けます」
俺ははっきりと言った。ソルヴィはぱっと笑みを見せた。
「分かったわ。商談成立ね。食後、正式に文書を作るけど、ひとまずはこれで。ありがとう、ミーケル」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「ああ、良かった!」
ソルヴィは椅子に背を預けた。
「あなたが話を受けてくれて一安心よ。よく知ってる間柄の方が絶対やりやすいもの。これで駄目だったら、お父様の取引先の商人から探さなきゃいけないところだったわ!」
良かった、話を受けておいて。本当に。
「お役に立てて光栄です」
「ありがとう。ああ、安心したらお腹空いてきちゃった」
ソルヴィは再びスープを飲み出した。
その後は歓談だった。ソルヴィはこの半月でどんなことがあったかを俺に話してくれたし、俺が半月の航海で何をしてきたかを聞きたがった。
俺は主に、大陸側にある港湾都市シャンロを起点に、北のエティカ島を回る航路を行っていた。シャンロからならエティカ島が見えるくらいに近かったし、エティカ島はそこを南端として北に長い地形をしているので、海岸線に沿って航行していけば、各都市から順当に品物を預かることができた。特に南端の都市ルシールは、大陸部との重要な結び目として栄えている。
エティカ島からの品物として、シャンロでは、寒冷地で採れる毛皮や魚、それに染色材などが喜ばれる。他方エティカ島では、内陸部から川を伝ってシャンロに集められた品物、即ち穀物やワイン、あとは毛織物が重宝される。
「エティカ島ねぇ……ルシールにはお父様の商談について何度か行ってるけど」
ソルヴィは神妙な顔で、塩漬けの魚にナイフを入れた。魚はエティカ島付近で獲れるもので、獲れたそばから塩漬けにすることで長持ちさせる。なおそのための塩も、海水を汲んでエティカ島で製塩されたものだ。加工の終わったものが、船に積まれてシャンロに、またシャンロを経由してその東や西の港湾都市に、更にそこから積み替えられて内陸部にまで運ばれる。沢山獲れるとはいえ魚は高級品で、輸入されたそれらは主に王侯貴族や大商人たちの口に入る。
「保険をやるからには、一度の航海だけじゃなくて、ゆくゆくはあなたの旅程全てを扱いたいところね。エティカ島のみで行われる取引のことも扱う必要があるってわけ。その辺の信頼をどう得るかよね……」
また話が保険のことに戻ってきた。先を見据えるソルヴィらしい観点ではあった。
「ま、まあ、最初のうちは、シャンロ・ルシール間の輸送を扱うのが良いでしょうね。事業を拡大するのは、保険業が軌道に乗ってからでも遅くはないと思います」
「そうね。そもそも軌道に乗るかどうか分からないから、ルシール以北のことは取らぬリスの皮算用って感じよね。それこそ最初は、シャンロからルシールに向かう航海のみに限定するのが良さそう」
「ですね。それならここでも情報が拾いやすいですし。地道にやるのがよろしいかと」
「ミーケルらしい意見ね。参考にするわ」
ソルヴィは微笑み、パンの最後のかけらを上品に食べた。
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