海上保険ならマーリット商会へ

白里りこ

第1章 保険屋さん始めます

第1話 ソルヴィの海上保険

 港湾都市シャンロには、今年も多くの船が行き交っている。この町で毎年開催される大市の準備で、みな忙しい。俺も大市のために、半月ぶりにこの町に戻ってきた。

「いたいた。ミーケル!」

 紅色のスカートを身につけた黒髪の若い娘が、俺に向かって手を振っている。甲板の上にいた俺はどきりとしたが、努めて平静を装って大きく手を振り返した。

「ソルヴィ様。少々お待ちを!」

 船は錨を下ろし、もやい綱をかけられて、港に停泊した。俺は弟子に軽く指示を出してから、急いで階段を下って船を降り、ソルヴィのもとに走っていった。後ろでは早速、積荷の運び出し作業が始まっている。

「どうなさいました? ……あ、そのう……」

 俺は潮風になぶられる髪を撫で付けた。

「お祖父様の訃報は伺っております。心よりお悔やみ申し上げます」

「ああ、ありがとう……」

 ソルヴィはちょっと俯いたが、すぐに顔を上げた。

「よく知ってたわね」

「そりゃもう、有名な方でしたので」

「でもあの人はもう引退して、商売はお父様がやってたのに」

「商人の間では情報はすぐに広まるものですよ」

「……そうね」

 ソルヴィが何故か悪戯っぽく笑った。そして、俺が思ってもみなかったことを言い出した。

「ねえ、ミーケル、あなたを見込んで、頼みがあるの。今夜うちに来られない?」

「えっ?」

 突然のお誘いに、俺は戸惑った。

「あ、そのう、俺は構いませんが……」

「じゃ、決まりね。使用人に夕食を用意させるわ。一緒にワインでも飲みましょう」

「えっと、ベングト様は?」

「お父様なら商談のために他のお客様をお招きしてるわ。何か用だったら言っておくけど?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

 どちらかと言うといない方が助かるので思わず聞いたまでだ。

「かっ、確認です。そういえば、ベングト様はお元気ですか」

「お祖父様が亡くなって少し落ち込んでたけど、今は持ち直してるわ。毎日大忙し」

「それは、何よりです」

「この情報も商売に活かすわけね?」

「……まあ、はい……」

 活かさないわけではないので、そう言って頷く。

「全く、商魂逞しいんだから」

 ソルヴィは人差し指で俺の横腹を小突いた。俺はどぎまぎした。

「夕方は待ってるから。必ず来るのよ」

「もちろんです」

「じゃ、私はこれで。後でね!」

「はい」

 俺は早足で港を去るソルヴィの後ろ姿を見送ってから、荷物の積み下ろし作業の監督に入った。

 ソルヴィ・マーリットのことは、幼い頃からよく知っている。俺が海上輸送業者として独り立ちする前に奉公していた商人と、マーリット商会は懇意だったのだ。俺が独立して一人で沢山の船を手配するようになってからも、マーリット商会には良くしてもらっている。

 ソルヴィのことは前から好ましく思っていた。もちろん、家柄が釣り合わないから、結婚など畏れ多いことだと分かっている。それでもこのシャンロの町に帰って、マーリット家と商談をする時は、ついでにソルヴィに会えないかと密かに期待している自分がいる。

 そのソルヴィから直々に招かれた。一体どんな話があるというのだろう。


 ⚓︎⚓︎⚓︎


「そう、つまりね」

 ソルヴィは優雅にスプーンでスープをすくって持ち上げた。

「お祖父様からの遺産を有効活用したいのよ、私は」

「ええっと」

 ばりばりにカネの話だった。浮き足立っていた自分が恥ずかしい。

 食卓には、上等なパンと、野菜のスープ、塩漬けの魚、それにワインが並んでいた。夕食だから冷めてはいるが、それにしても豪勢だった。船上で保存食ばかり口にしていた身としてはありがたいことこの上ない。

「でも、資産のことなら俺じゃなくて、それこそ公証人とかに……」

 ソルヴィはスープを飲み込むと、顔をしかめた。

「馬鹿ね、遺産相続の手続きならとっくに終わってるわよ。私はお祖父様の遺産の六分の一を頂いたわ。因みに半分はお父様に。残りの三分の一は教会に寄付。全く、ひどいと思わない!? 教会の取り分が私の取り分の倍よ、倍!!」

「取り分って」

「でも頂いたからにはありがたく使わせてもらうわ。私はこれの一部を、海上保険を始める元手にしたいと思うの」

 俺はパンをちぎる手を止めて、瞬きした。

「海上保険、ですか?」

「知ってる?」

「聞いたことはあります」

「流石ね」

 ソルヴィは微笑んだ。俺は引きつった笑みを返した。

 海路での遠隔地貿易には危険が付き物だ。船が難破したり座礁したり、嵐に遭って転覆したり、海賊に襲われたりで、荷物が目的地にちゃんと到着する保証はない。そのことは俺が身に染みて分かっている。それでも商人たちが俺たち輸送業者を通じて海上貿易をするのは、それだけ儲けが大きいからだ。でもできるだけ損はしたくないから、商人たちはお金を出し合って、より多くの船を運航させ、損害を受ける危険性を分散させ、損害に備えるのが常だった。商品を幾つかに分けていれば、どれか一隻の船が駄目になったとしても、残りの商品は無事でいられる。俺の乗ってきた帆船にも、複数の商人からの荷物が少しずつ積まれていた。

 ところが最近、「損害を受ける危険性」および「お金を出し合うこと」そのものを扱う商人が出てきた。商人たちからお金をもらい受ける代わりに、損害が出た場合はそこから補填するという仕組みである。それが海上保険というやつで、ここシャンロより西の町でそういう商人が現れ始めていると、耳に挟んだことはあった。

「ソルヴィ様が御自ら海上保険を」

「そうよ」

「それで、どうしてそのお話を俺に?」

 ふふんとソルヴィはしたり顔だった。

「私が思うに、海上保険に必要なのは二つ。信頼と情報よ」

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