△▼△▼本当のマヨイガ△▼△▼
異端者
『本当のマヨイガ』本文
「だから、そんなことある訳ないだろ!?」
岩手県の田舎の警察署の取調室で、若い刑事が怒鳴りました。
「いや……場所が場所だからね。ひょっとしてと思って――」
向かい合った中年男は、悪気が無さそうに答えました。
そして、後頭部に手をやって、ちょっと痛そうに顔をしかめました。
「いやあ、それは通らないね」
壁際にもう一人居た刑事、年老いた刑事は落ち着いてそう言いました。
――全く。何を考えてるんだか。
若い刑事は心の中で舌打ちしました。
二人が取り調べしているのは泥棒の現行犯で捕まった男です。
山奥の家に老夫婦が暮らしていましたが、二人で畑仕事を終えて家に帰ると棚を漁っている男が居たので鍬の柄で後頭部を殴って捕まえたのです。
その後、警察に引き渡され取り調べとなりましたが、その家は「マヨイガ」だと思ったから何か持って帰ろうとしたそうなのです。
マヨイガというのは岩手県遠野地方に伝わる昔話で、山の中に突然現れる大きなお屋敷のことです。人の居た気配はするのにどこを探しても人が居ないという奇妙な屋敷です。
そこから何かを持ち出すと、幸福になれると信じられています。
また行こうとしても、二度とは行けないそうです。
男が言うには、自分が見つけたのはそのマヨイガだと思ったから、何か持って帰っても良いと思ったとのことです。鍵も開いていたし、古そうな家だからそう勘違いしてしまった……とのことです。
もっとも、田舎の家では鍵を開けっぱなしで放っておくことも珍しくはありません。古い造りの家もどこにでもあります。
何より、男の盗もうとしていた物が通帳などでは言い訳はできません。
マヨイガから持ってくるものというのは、金銭に関わるものではなく椀などの日用品の類であることが昔話では多く、直接に金銀財宝を持ち帰ったというのはありません。
これらのことからも、男が泥棒に入ったのは紛れもない事実で、決してマヨイガと間違えたなどということは考えられません。
「マヨイガで通帳を持ち帰った人間など聞いたことはないが……どうだ?」
年老いた刑事の目が鋭くなりました。
中年男は蛇に睨まれた蛙のようにすくみ上りました。
「は、はあ……ごもっともで」
途切れ途切れに答えます。
その目にはもはや抵抗する気配は感じられませんでした。
老刑事は若い刑事に目配せしました。
「このところ、近隣で窃盗の被害が――」
若い刑事は話し出しました。
そうです。ここ最近、付近で似たような泥棒の被害が相次いでいたのです。
刑事たちもこの犯人には余罪がある。他の事件もこの男に間違いあるまいと思っていました。
その後の取り調べはすんなりと進みました。
基本的に若い刑事が男の取り調べをしました。
男は時折答えに詰まることがありましたが、その度に老刑事が「早く言ってしまった方が罪は軽くなる」とか「捜査に協力的だと後が楽になる」と上手く誘導して喋らせました。すると他の事件もやはりこの男の仕業でした。
若い刑事はその老刑事の手腕に感心しつつ、自分の仕事をきっちりとこなしました。
その結果、無事に調書が作られ、男は留置所に一旦入れられました。
若い刑事は肩の荷が下りた気分になってホッとしました。
「ご苦労だったな」
老刑事もそう言ってくれます。
「いえいえ、竜さんのおかげですよ」
老刑事、竜さんに向かって若い刑事はそう言いました。
「しかし、今時マヨイガなんて言い訳――」
「いやいや、分からんぞ。あの男が見つけたのが誰も居ない本当のマヨイガだったら――」
「本当の……? 竜さん、まさか本当にマヨイガがあるなんて言うんじゃないでしょうね?」
若い刑事は少し目を見開いてそう言いました。
「ああ、あるとも!」
「そんなまさか……」
若い刑事は信じられないという表情をしました。
「あれは、わしがまだ若い、いや幼い頃だったか――」
竜さんは遠い目をして語りだしました。
竜さんがまだ子どもだった頃の話です。
彼は春先に一人でツクシやフキノトウなどの山菜を採りに山に出掛けたのですが、なかなか籠には山菜が集まりません。いつまで経っても底が見えています。
もう諦めて帰ろうかと考え始めた時、いつの間にか随分と山奥に来てしまっていることに気が付きました。
普段入っているよりも随分と奥の方に思えました。
彼は少し不安になりましたが、知っている川が傍にあったので、それに沿って下っていけば大丈夫だろうと考えました。
その時、目の前に黒い立派な門が見えました。
――おかしい。
とっさにそう思いました。
さっきまでは無かったのです。それがこんな間近に現れるなんて、霧でも出ていない限りありえません。もちろんこの時、霧は出ていませんでした。
彼は奇妙だと思いつつ、好奇心が湧いてきました。
中の様子も見てみたい。だが、勝手に入って怒られたらどうしよう――そんな葛藤がわずかばかりの間にありました。
しかし、子どもは好奇心旺盛です。一旦気になったら確かめずにはいられません。
彼は門の中に入りました。
「わあ……」
庭には紅白の花が咲き乱れています。その様子は天国のようです。
だが、人が出てくる気配はありません。
彼は恐る恐る玄関から家に上がってみました。
今度こそ怒られるのではないかと思いましたが、やっぱり人は出てきません。
それなのに赤や黒に塗られた立派な食器があるのが見えて、鉄瓶が火鉢にくべられていてあたかも先程まで人が居たような気配がします。
彼は祖母から聞いた昔話を思い出して、ここがマヨイガではないかと思い始めました。
マヨイガから何かを持って帰れば幸せになれる――そんな話も聞いた気がします。
彼は屋敷の部屋を全部見て回りましたが、誰も居ませんでした。
とうとうここがマヨイガだという確信を持ちました。
「それで? お椀か何かを持って帰ったんですか?」
若い刑事が口を挟みました。
「いいや。そのまま帰った」
竜さんは平然とそう答えました。
「どうして!? 何か持ち帰れば大金持ちにもなれたのに!?」
若い刑事は理解できないという風に言いました。
「欲張ったって良いことは何もない。この歳まで健康で働ければ十分だ」
そう言って竜さんはカラカラと笑いました。
その様子を見て、若い刑事は感服しました。
△▼△▼本当のマヨイガ△▼△▼ 異端者 @itansya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます