第3話 ただの上司と部下

課長からハンバーグを口に突っ込まれた日から、奇妙な昼休みが始まった。

まず、いつもお昼を食べる休憩スペースで課長と鉢合わせすることが増えた。私から声を掛けることはないが、課長はいつも私の向かい席に座ってきて、話しかけてくるようになった。

それと、課長の弁当の量が、以前よりも少し増えている…?ような気がする。もしかして、お裾分けしてくれる分なのかなって…まさかそんなわけないか。自意識過剰か、私。


「お前、毎日コンビニだろ?そんなんじゃ、身体壊すって」


課長はそう言いながら、弁当の蓋におかずを次々と乗せる。今日は卵焼きと唐揚げだ。野菜炒めとサラダも添えられ、蓋はあっという間に山盛りになった。


「課長、こんなにたくさん、ありがたいですけど…ほんとに毎日は申し訳ないですって」


「大丈夫、最近食欲が止まらないって嫁さんには言ってあるから、そんな心配すんな」


「あ~そういう問題じゃなくて…」


「はいっ!もう、人の親切は黙って受け取る!」


「はぁ」


毎回、こんな感じで流されてしまう。確かに、私の昼ごはんは毎日、コンビニのサンドウィッチかおにぎりだ。早めに食べて、一時間しかない昼休みをゆっくり過ごしたいからだ。まぁ、健康というより早食いをするためだけの軽食って感じだ。


それよりも、課長の奥様はご存知なのだろうか。

夫が部下に、しかも女性の部下に自分の弁当を分けていることを。

いや、私は別に何もやましいことはしていないのに、どうして言い訳する必要がある。

課長の奥様が、もし知っていたとしても、別に動じる必要はどこにもないのだ。

ただ…自分がもし奥様の立場だったら、ちょっとモヤモヤする気がする…

って、私が課長の奥さんなんてあり得ないのに、

なんでそんな変な想像しちゃうかな…私…


いや、でも待て…

課長が勝手に食べ切れない分を自分に押し付けてくるだけで…課長からの弁当のお裾分けは最早、日常になっているし、おそらく周りも知っている。

ほら、全く何もやましいことはない。

これは、ただの上司と部下の掛け合いなのだから。


でも、もしも奥様が知らないとすれば…

私と課長だけの秘密ということになる。秘密という背徳感が、ある種のトキメキを覚えさせる。


「なぁ、霧島、今度の出張、福岡支店に行くんだよな。それ、俺も急遽行くことになった」


と、不意に課長が言い放つ。


「えぇっ?!急じゃないですか、何でですか?!」


「あははは、お前、驚き過ぎ。先方がさ、至急、確認してほしい書類があるらしくって。メールで送りゃ良いのにな、まぁ機密漏洩?防止だから、直接来いって、今時じゃねえな」


「そうなんですね…」


「あれ?お前、気が乗らないのか?あっ、俺と一緒だからか?最近は俺も霧島も別の仕事で、同じ仕事じゃなかったもんな」


「い、いえ!そんなことないです!仕事なら…仕方ないです」


声が裏返ってしまった。


「そんな冷たいこと言うなよ~霧島。まぁ、出張ったって、2、3時間で終わるから。そんなに回れないが、夜は早めに福岡名物食べてさ、福岡の土産でも買って帰ろう」


「課長、ほんとは福岡でごはん食べたいだけですよね?」


私ははぁ、と呆れ顔で課長を見る。

課長はそんな私に無邪気にはにかむ。


「あ、バレた?福岡の豚骨ラーメン食べたいんだよ。ちなみに俺は長浜ラーメン推し!」


「はぁ、」


「あ、なぁ、霧島!俺、良いこと思いついた!確か次の日は土曜だったよな。せっかくだし一泊しないか?飯とホテルは俺の奢りで良いから」


課長がとんでもないことを言い出した。

待て待て待て待て

急に何言ってんだ、この人は?!


「えっ?!!!泊まりって…」


「いや、やっぱりもったいないじゃん。福岡出張は珍しいんだぞ?それにやっぱ、ゆっくり見て回りたいな~って」


「それなら…課長だけ泊まって下さい。私は帰りますから…」


「俺一人で回ったって、別に楽しくないんだが?」


「いや、課長、ご家族が心配されます」


「大丈夫大丈夫、土産はたくさん買って帰るから」


「いや、そういうことじゃなくて」


「子どもらは奥さんところの実家に遊び行って、確か出張の日から泊まりで旅行行ってるから、日帰りしたところで、俺一人なんだ」


「そ、なんですか…いや、でも」


課長は私の手をガシッと掴んだ。


「霧島!頼む!!この寂しいおじさんを助けると思って!!」


「ん~~」


「ちなみに霧島、何か予定あんの?来週の土曜」


課長は、やっと私に予定を聞いてきた。

もっと早めに聞けよ、とも思ったが…

どうしよう、予定は特にないけど、泊まりって、それこそやましさしかない。もちろん、泊まるって言って部屋は別だろうし、泊まりがけの出張なんてよくあることだ。今回、出張先が福岡なら泊まってもおかしくはないはずだ。


「はい…予定、大学時代の友達と飲み会が」


とっさに嘘をつく。


「えぇっ!まじか、そっか~、友達ならしょうがない」


課長はあからさまに残念がった。

シュンとする課長は本当に小さな子どもみたいだ。


「もう、課長、子どもみたいなこと言わないで下さいよ」


(俺はお前と二人で周りたかったな…)


課長がぼそっと何かを呟いた気がした。


「ん?何か言いました?課長」


「ん、いや別に?まぁ、とりあえず来週の出張、よろしくな」


「はい、よろしくお願いします」


私は課長に会釈をすると、課長は空の弁当箱を持って立ち上がり、自分の席戻って行った。

時計を見ると12:50。

あと10分で昼休みが終わってしまう!


「やっば!」


私は急いで、蓋に積まれた具を口に頬張ると、お茶で一気に押し流した。そして、ギリギリ1分前に席に着いた。

先に仕事を再開していた同僚の芹沢や後輩の小松原からは、そんな焦らなくても大丈夫だよ、とか、先輩落ち着いて下さいとかねぎらいの言葉をもらうも、なぜかクスクス笑っている。


「そんなに笑わなくてもいいじゃん、」


と口を開くと、課長が席から私の方へ近づいてきた。

手にはティッシュが掴まれている。そして、課長は私より頭一つ分高い背を私の身長に合わせて屈むと、私の口周りをティッシュで拭った。


「ほら、綺麗になったよ、霧島」


課長はニッコリしながら小さく呟いた。

課長の顔は一瞬、色気を纏った。

気を抜くとそのまま吸い寄せられそうになる。

顔と顔の間はわずか数cmしかなく、もしこのまま近づいたら…なんて絶対に考えてはいけないのだ。


私はちょっと頭を下げると、元気よく言い放った。


「ありがとうございます、課長、助かりました!」


「じゃ、仕事に戻るか」


「はい!それと…」


さっきから私を見て、クスクス笑っている男二人に目をやると、


「芹沢とこまちゃん?後で、ちょーっと、あっちでお話ししようか?」


ニッコリ微笑みながら、会議室を指差す。


「「え!!!そんな~!」」


芹沢と小松原は、この恐怖の笑顔に逆らえない。


「はいはい、文句言わないの!ほら、仕事するよー」


課長の一声に、はーいとそれぞれ返事をすると、皆、黙って仕事を再開した。

私も席に着いた。課長の方をチラッと見ると、もういつもの顔つきに戻っていた。


そうだ、課長は課長だ。

それで、私たちはただの上司と部下。

やばい、また、忘れるところだった…

やっぱり、最近、私はおかしくなっている。

最近、課長と距離近過ぎなんだ、背中さすったり、お昼一緒だったり…

だから変に意識してしまう。

まぁ、来週の出張はしょうがない。

しばらく、仕事でも距離取ろう。

私にとっても課長にとっても、絶対それがいい。

あ~、私も早く恋人とか見つけて、こんなくだらないこと考えないようにしよ!


私は自分の頬をパンパンと叩くと、溜まっている仕事を片付け始めた。私が手際良く淡々と仕事を片付けていく様子に、同僚も後輩も無言で仕事を始めた。


職場の午後は、こんな感じであっという間に過ぎ、帰る頃にはすっかり課長のことを忘れていた。


良かった、忘れられて。

今、課長の顔見たって、何とも思わない。

本当に、良かった。

正しい、これがただの上司と部下の関係。

これまでもこれからも。

大丈夫、私は大丈夫。

絶対、課長と…なんてことは絶対絶対ない。


私は自分に暗示をかけるように、自宅に着くまで、何度も何度も頭の中で繰り返した。

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あと少しだけ… ニャン太郎 @kk170215

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