第2話 愛妻弁当
課長への背中撫では最早、日常化していた。
今日なんて、昼食のご飯粒が気道に引っかかり、勢い良く咳き込んでたっけ。
「ゴホゴホッ!!ゴホゴホゴホッッ!!」
「も~!大丈夫ですか?!課長、ゆっくりよく噛んで食べて下さい!引っかかって肺炎なんて、笑われちゃいますって」
課長の背中をトントン叩く。休憩室には、テラスがあり、いつもは混んでいるのだが、人が少なかったため、そこで1人でコンビニのサンドウィッチを食べていたら、課長もやって来たというわけだ。もちろん、課長はいつもの愛妻弁当だ。何度か目にしたことがあるが、2段弁当で1段目に雑穀米、2段目におかずという感じだった。量は多めだが、肉も野菜も色とりどりで、ヘルシーな食事だった。
はたから見れば、熟年夫婦の介護みたいだ。まだ、そんな年でもないが。
「あぁ…ちょっと落ち着いてきた。やばいな、俺…」
やっと呼吸が平常になった課長は肩を縮こませてしゅんとする。
「まぁ、全然良いんですけど、そんな慌てて食べなくっても、誰も取りませんって。なんせ、課長の愛妻弁当なんですから」
「お前も食べる?」
「っ?!」
「毎回、俺の弁当見てるから、食べたいのかなって」
「いや…確かに課長の弁当美味しそうですけど、さすがに奥様に悪いでっんん?!」
いきなり口の中に、箸を突っ込まれた。いや正確には、食べ物だった。おそらく、課長の弁当のおかずだ。というか、人の口にいきなり食べ物突っ込むとか、非常識にも程があるでしょ!
「もっもう!!いきなり、何するんですか!」
「あっはははっっはぁあ、そういうとこは、遠慮するんだな、お前。食べたいなら食べたいって素直に言えばいいのに。まぁ、いいから噛んでみろって」
渋々、その物体を噛むとなんか、ソースとひき肉がゴロゴロする…そして噛む度に肉汁が出てくるこの感じ…これは…ハンバーグ??にしても、めっちゃくちゃ美味しい…なぜお店に出てないのか不思議なくらい。そりゃ課長の胃袋、完全捕まるはずだわ、これ。
「どうだ?美味いよな!俺の嫁さん特性ハンバーグだ!!」
「はい…とても美味しいです…でも、何で課長が偉そうなんですか!作ったのは、課長じゃなくて奥さんでしょ!」
「だって、俺の嫁なんだから良いの~!」
「何ですか!?その理由」
「まぁ、いいじゃん、たまにはさ?あっ、お前、唇に…」
と課長が言いながら、腕を伸ばして私の唇に触れる。そして、唇の端を親指で拭うと、課長がペロッと舐めた。私はあまりの突然の出来事に思考が追いつかない。
「えっ」
「あっ、いや、お前の口にソース付いてたから取った。俺がいきなり突っ込んだからな、すまん」
「はっはい…」
しばらく、沈黙が続いた。
気、気まずい…
課長も自分の行動に戸惑いを隠せない。
「あっ!!あと10分で昼休み終わります!早く食べましょう。あっ課長はゆっくり食べて下さいね、さっきみたいになっちゃう」
「ああ、善処する…」
私は無言でサンドウィッチをもくもくと食べる。課長も私と同じく黙って、口におかずを入れていた。
昼休みが終わり、自分の席に着いた。
私はさっき課長の指で触れられた唇の感覚が忘れられず、今日はずっと唇を指でなぞっていた。それに、それを舐めるって、待ってそれってつまり……いやいや、こういうことって、飲み会でもよくあるじゃん。気にし過ぎはダメだ、忘れよう。
昼休みが終わって1、2時間経っても、しばらくあのハンバーグのソースの味が忘れられなかった。それは、課長に愛されている奥さんの手作りなのに、それをハンバーグのソースの後味は甘さの中に、何だかほんの少しほろ苦さを感じた。
あ、この感覚、この前も…
課長の背中を揺すって、それで…
いや、分かっている。
これはダメなやつなんだ。
課長は人のものなんだから…
だから、絶対ダメだ。
これは芽生えさせてはいけない…芽…
でも…
私はまた、その芽に水を注いでしまったみたいだ…
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