第五章 徒然ならぬ放課後
第21話 他愛の欠片もない会話
それからの日々は、思いの外これまでとなんら変わらなかった。
僕たち献血クラブは不定期に部室へ集まり、今後の活動内容を決めるという体でくだらない話とかをしながら時間を過ごしていた。
樹木さんの様子を見ていても、特にあのことを心配しているとかそういう素振りは見せていなかった。僕もそんな樹木さんを見ていると、自然と不安や心配は薄れていった。
……ただこれは要するに、僕にも樹木なす術がないということを意味していた。仮に不安や心配を前面に出したところで、それは何の解決にもならない。だから僕たちは無意識的に、今まで通り過ごすことを選んだのだ。というか、それしかなかった。
——そしてある日の放課後。
僕と樹木さんは部室で二人きりになった。
その日は定期テストが近かったので二人して参考書を広げてテスト対策に勤しんでいたのだが、ある時ふと、樹木さんが口を開いた。
「あのことだけど、ちょっと心配し過ぎてたかも」
樹木さんは依然として参考書に目を落としながら、軽い口調で言った。
「まあ実際、何も起きてないみたいだしね」
僕も軽い口調でそう返した。
「さすがの協会も仮にあの映像を見たとして、わざわざ日本まで来ることはしないのかもしれない」
「ちなみに協会の本部はどこにあるの?」
「ルーマニアだよ。世界の吸血鬼の九割がルーマニアに住んでるから」
「へぇ、そうなんだ」
それから樹木さんは参考書に落としていた顔を上げ、力強い声で言う。
「私、もう怖くない。だってみんながいるもん。特にストイアンがいれば安心だから」
「なんでそこでストイアン?」
いきなりストイアンが話題に出たので、僕は思わず顔を上げた。目の前には、やけに自慢げな顔をした樹木さんの姿がある。
「ああ見えてストイアン、力だけは他のどんな吸血鬼よりも強いから。いざとなったらきっとやってくれる」
たしかにそう言われれば、そんな気配はあった。まず体がとてつもなくでかい。それに僕は何度かストイアンが大量の酒が入った段ボールを担いでる姿を見たことがある。それらのことを踏まえれば、ストイアンの持っている力が常軌を逸してることは容易に考えられた。
「元居候ニートが最強の吸血鬼かぁ。それだけで物語が書けそう」
「ふふっ、たしかに」
僕は樹木さんと笑い合いながら、密かにストイアンのことを心強く思った。
根拠はないけど、なんとかなりそうな気がしてきているのは確かだった。
※※※
「学校で献血イベントを開催することになりました!」
その日、少し遅れて部室にやって来た上宮さんは、興奮冷めあらぬ様子でそう言った。
「イベントって、まさかまたコスプレするわけじゃないよね?」
気になったので僕は尋ねた。さすがに次もコスプレをするとなると、いよいよこのクラブがなんのクラブかわからなくなってくる。それに樹木さんの件もあった。
「うん、今回は特にコスプレをする予定はないよ。それより——」
すると、上宮さんは目の前にあった机にバンっと手を置き、前のめりになった。
「今回のイベントにはなんと、赤十字血液センターから献血バスが来ます!」
「「「おぉー!」」」
部室には歓喜の声が響き渡った。
しかしそんな大掛かりなことを、一体どうやって誘致したのだろう。
「それがね、野間先生の知り合いに赤十字血液センターで働いている人がいるらしくて、話を持ちかけてくれたんだって!」
野間先生とは、つい先日から献血クラブの顧問に就いてくれている養護教諭の先生だ。まさか野間先生が動いてくれていたとは、正直全く予想していなかった。
「野間先生様様だね」
樹木さんがつぶやいた。
「まあでも、献血クラブがあったからそういう話になったわけだし、他力本願であったとはいえ紛れもなく自分たちの成果だろう」
対して小澤さんは胸を張ってそう言った。たしかにそれは言えている。
「これはもう、コスプレした甲斐があったっていうことだね!」
「そ、そう?」
「そうでしょ! あれで生徒の間にも少なからず献血に対する意識は芽生えただろうし、きっとイベント当日もたくさん来てくれるよ!」
上宮さんの言葉に僕はやや懐疑的であったが、ここまで来たらコスプレに効果があったと思うしかないのもまた事実だ。そうでないとやっていられない。
「そうだ、この際イベント当日に野間先生にコスプレをさせるというのはどうだ? あれはかなりのポテンシャルを秘めているぞ」
「それありかも!」
小澤さんの意見に、上宮さんは飛びつくように賛同した。
「野間先生、ちっちゃくて可愛いもんね」
続いて樹木さんもそう言った。しかし僕としては野間先生にコスプレを強要するのは気が引ける。
「いやいや、さすがにそれはまずくない?」
すかさず僕が指摘すると、上宮さんは「うーん……」と言って首を捻った。
「たしかにまずいかも。だって野間先生、既婚者だし」
「え!? そうなの!?」
あまりの衝撃に、僕は思わず声を上げてしまった。
「こーくん驚き過ぎ。結婚指輪してるの気づかなかった?」
「気づきませんでした……」
樹木さんも小澤さんも特に驚いている様子はなかったので、もしかしたら女の子はそういうのに敏感なのかもしれない。
「うむ、さすがに人妻に公衆の面前でコスプレを強いるのはナンセンスか」
どうやら小澤さんはそういう結論に至ったらしい。
「でももし私が野間先生の旦那さんだったら、野間先生にいろんな衣装着せたくなるかも」
突然樹木さんがそんなことを言い出した。まさか樹木さんの口からそんな発言が飛び出すとは思っていなかったので、僕は少し驚いた。
「わかる! 例えばそうだなぁ……妖精とか!」
「いいかも!」
「もうそれ完全にコスプレじゃん!」
盛り上がっている樹木さんと上宮さんに僕は思わずツッコんだ。
「自分ならあえて悪魔っぽい衣装を着させるな。それでもって、見た目は悪魔だけど顔を真っ赤にしている野間先生を激写する」
「いやどんな旦那だよ! 頼むから離婚してくれ!」
小澤さんのフェチっけ満載な発言には、さすがにそうツッコまずにはいられなかった。三人は野間先生のことを着せ替え人形か何かだと思っているのだろうか。
「私は無難に、ナース服姿の野間先生が見たいかも」
樹木さんまでそんなことを言い出した。果たしてナース服が無難なのかどうかは怪しいところだが。
「うんうん、間違いない!」
上宮さんは思いっきり頷いて見せた。
「うむ。男としてもナース服には憧れるよなぁ?」
小澤さんがニヤニヤしながら僕の顔を覗いてきた。僕は仕方なく野間先生のナース服姿を想像してみたが、たしかに悪いものではないような気がした。
「野間先生のナース服姿……い、良いかもしれない」
「なーんだ。こーくんもちゃんとスケベさんじゃん」
「ち、違う! これは小澤さんに聞かれたからで……!」
「いわゆるむっつりスケベというやつだな」
「勝手に変な属性にしないで!」
「む、むっつりスケベ……?」
「樹木さんはそんな言葉知らなくていいから!」
僕は必死に自分が卑猥でないことをアピールしていた。
——その時だった。
「ふーん。神谷くんは私にナース服を着させたいんだ」
扉の方からそんな女の人の声が聞こえてきたので反射的に目をやると、そこにはなんと、養護教諭であり献血クラブの顧問でもある野間先生の姿があった。
「——え」
僕は声にならない声を出し、固まってしまう。
「イベントのことについてちょっとみんなと話しておきたくて、来ちゃった」
さっきの僕の発言など微塵も気にしていない様子で、野間先生は僕たちに対して屈託のない笑顔を向けた。
そのこぢんまりとした立ち姿は、たしかに妖精のように見えなくもなかった。
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