第22話 顧問とお菓子作り
「神谷くんも思春期の男の子なんだから仕方ないよ。大丈夫、全然嫌な気持ちにはなってないから。むしろちょっと嬉しかったよ?」
「す、すみません……」
いきなり部室に姿を現した野間先生は猛省する僕に対して、果たして慰めなのか怪しい言葉をかけてくれていた。そして僕以外の三人は、そんな状況を面白がっているようで、笑いを堪えていた。全くもって心外である。
それにしてもやはり、野間先生はとても小さい。僕は椅子に座り、野間先生は僕の目の前で仁王立ちをしているのだが、なんと目線がそこまで変わらないのだ。それくらい野間先生は小柄なのである。そんな野間先生は、髪をブラウンに染め軽くパーマをかけているから何とか大人の女性としての見た目を保っているが、もしそれがなかったら見た目は小学生と言っても差し支えがない。大人の女性に見られようと努力している野間先生が垣間見えているのは事実だった。
「神谷くん今絶対、私のこと小さいなぁとか思ってたでしょ!」
「……へえ? お、思ってないですよ!」
「むーん。あまり女性のことをじろじろ見てはいけませんよ」
「は、はい……すみませんでした……」
終始、野間先生に頭を下げる僕であった。決してじろじろ見ていたわけではないんだけど……。
「まあそんなことはさておきイベントに関してだけど、まず日時は来週の金曜日の放課後ね」
「来週ですか。思ったより早いですね。うーん……」
野間先生の横に立っていた上宮さんは、何やら悩んでいるようだった。
「そんなに深く考えなくてもいいわよ。運営は血液センターの人がやってくれるし。だからみんなには運営のことより、どうやって金曜日の放課後に生徒を集めるかを考えて欲しいかな」
すると、小澤さんが手を挙げた。
「それならやっぱり、先生がナース服を着て受付とかをするのが一番効果があるかなと……!」
どうやら小澤さんは野間先生のコスプレをまだ諦めていなかったらしい。
「うん、却下」
野間先生は満面の笑みでそう返した。
「で、ですよねー……」
当然の結果である。
……と、ここで樹木さんが控えめに手を挙げた。
「献血に来てくれた人に何かあげるとかどうかな……? 例えばお菓子とか」
「それは良いアイディアね樹木さん!」
「あ、ありがとうございます」
樹木さんは自分のアイディアを野間先生に褒められて嬉しそうだった。しかしながらたしかに名案かもしれない。実際献血に行くとお菓子とかアイスとかをくれるところも多いので、全然ありだった。少なくとも、コスプレをして人を呼び込むよりは健全で現実的な気がする。
「ちなみに私、料理は全くできません!」
上宮さんは声高らかに宣言した。
「僕もお菓子作りはやったことない」
お菓子作りに限らず、上宮さんと同様に普通の料理もできないわけだけど。
「それならまかせたまえ、これでも趣味でたまにお菓子作りはするからな」
そう言ったのは小澤さんだった。こう言っちゃなんだが、結構意外だった。どうやら小澤さんは器用らしい。
「私もたまにお母さんとお菓子作るから、ある程度はできるよ」
続いて樹木さんがそう言った。樹木さんとフェリシアさんがキッチンで並んでお菓子作りをしている姿は容易に想像することができた。なんとも微笑ましい。
「二人ができるんだったら大丈夫そうね。私が立ち会えば、家庭科室も使えるだろうし」
「本当ですか!? なんかすごく楽しそう!」
上宮さんがはしゃぐのもわかるような気がした。授業以外で家庭科室を使ってお菓子作りをするというのは、大して家庭科が好きでもない僕でさえワクワクしてくる。
「それじゃあ、たくさんの生徒に献血に来てもらうためにも、みんなでお菓子作り頑張りましょう!」
野間先生はそう言ってその小さな拳を突き上げた。僕たちもそれに倣って拳を上げる。
そんなわけで、僕たちはお菓子作りをすることになった。
※※※
週が変わり、ついにイベント前日である木曜日がやって来た。
そして今日は、放課後に家庭科室で献血クラブのメンバーとお菓子を作ることになっていた。
掃除当番を早々に終わらせた僕は、足早に家庭科室へと向かう。
片手にエプロンを携えているからか、すれ違う生徒たちの視線が僕の手元の注がれているのがわかった。
やがて家庭科室に着き、扉を開けると、そこにはエプロン姿の献血クラブのメンバーと野間先生がいた。
「あ、来た来た。よし、それじゃあ早速クッキー作りを始めますか」
野間先生は僕が来たことに気がつくなりそう言って、再度エプロンの結びを調整した。その佇まいは極めて小柄であるものの、どこからか人妻感が滲み出ていた。さすがは本物の人妻。一瞬、旦那さんを羨ましく思った自分がいた。
しかしながら、献血クラブの三人のエプロン姿もよく似合っている。やはり制服にエプロンという組み合わせは最強だった。
僕は少しばかり邪な気持ちを抱きながらエプロンを着用し、机の方へと向かう。机の上にはすでにクッキーに必要な材料があらかた揃っていた。材料に関しては部費で落とせるらしく、野間先生が買ってきてくれた。
ところでどうしてクッキーになったのかというと、それは単純に作るのが簡単で、かつ大量に作れるからという理由からだった。
「それじゃあまずは、ボールに卵を割って入れましょうか」
野間先生はそう言って袖をまくり、僕たちにそれぞれボールを配ってくれた。どうやらクッキーは個々で作るらしい。型もたくさんあるので、たしかにそれぞれで作った方が色とりどりにはなる。ただその分、人様の口に合うように美味しく作らねければならないのは確かだった。
僕たちは野間先生の指示に従い、ボールに卵を割って入れる。さすがの僕も、これくらい初歩的なことだったら難なくこなせた。……しかし、すでにこの段階で苦戦している者がいた。
「はいオッケー!」
「いや、あの……朱音ちゃん、殻が入ってるよ……」
「……え」
樹木さんの指摘を聞いてふと上宮さんのボールの中を覗いてみると、そこには崩れた黄身と白い殻が混入していた。
「ほんとだ……」
「だ、大丈夫だよ。こうして取り除けば……」
樹木さんは近くにあった箸で殻を取り除いてあげていた。
「ありがとう……。やっぱり私……料理ど下手なんだよね……」
上宮さんは俯きながらそう呟いた。どうやら本人も自分の腕前は自覚しているらしい。
「気にすることはない。大事なのは気持ちだ」
落ち込む上宮さんに小澤さんは胸のところを叩きながらそんな言葉をかけた。とてもありきたりな励ましに思えたが、基本的にポジティブ思考の上宮さんはその言葉を聞いて顔を明るくさせた。
「そうだよね! 大事なのは気持ちだよね! 私、頑張る!」
「よし、その調子だ」
開き直っているようにも見えなくはなかったが、これはこれで上宮さんらしい。くれぐれも調子に乗らずレシピに従って作ってくれれば、まあなんとかなるだろう。
「さて、次は薄力粉をふるいにかけましょうか」
野間先生はそう言うと、ステンレス製の粉ふるいを家庭科室の端にある棚から取り出してきた。
「どうしてわざわざふるいにかけるの?」
突然上宮さんがそんな質問した。それは僕もわからない。
「粉をほぐして細かくするためだよ」
「空気をふくませて仕上がりをよくするためでもあるな。焼き菓子作りではよくする手法だ」
樹木さんと小澤さんが続けて答えてくれた。
「二人とも物知りぃ!」
感心したように言う上宮さんをよそに、僕も密かにふむふむと頷いていた。
それから僕たちは野間先生の指示に従いバターや砂糖なども加えて混ぜていきながら、着実にクッキーの生地を作っていく。そして完成した生地をおのおの型でくり抜いてからそれをクッキングシートの敷かれた天板の上に乗せた。いっぺんに全員分は焼けないので、とりあえず野間先生のものをあらかじめ予熱してあったオーブンへ入れ、タイマーをセット。最初こそ苦戦していた上宮さんも、なんだかんだここまで順調にできていた。
しばらくするとオーブンからバニラエッセンスの匂いが香ってきて、心地の良い甘い香りが家庭科室に立ち込める。
タイマーが鳴ってから野間先生が慎重に天板を取り出すと、クッキーにはほどよく焼き色がついていてその様はまさに見事だった。
「味見してみて」
野間先生に促され、僕たちは焼きたてホヤホヤのクッキーを手に取って口に運んだ。
「あちっ……! ……うん! おいしい!」
真っ先にクッキーを口に運んだ上宮さんは、そのおいしさに感動しているようだった。
「うまっ」
僕も思わず口から感想が出てしまった。これなら間違いなく生徒にも好評だろう。
「おいしい。これはあのミスターイ○ウにも負けず劣らずだよ」
樹木さんのその発言はさすがに誇張だとは思うが、とにかくそれくらい素晴らしい出来だったのは間違いなかった。
「うむ。この出来なら生徒に配っても恥ずかしくないな」
「そうね。さて、全部焼き切るのには時間かかるから、ゆっくりクッキーつまみながら紅茶でも飲んで待ちましょうか」
用意周到な野間先生は、ちゃっかり持参していたティーバッグをトートバックから取り出した。
クッキーの甘い香りに包まれた家庭科室で、僕たちはイベントの準備と銘打って、至福の時を過ごしたのだった。
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