第20話 世界の道理
樹木さんから思いもよらぬ事態を知らされた、その次の日。
献血クラブの活動はなかったので、僕は放課後まっすぐ家に帰った。
家の前に着くと、そこには酒の搬入作業をしているストイアンの姿があった。見たところストイアンはかなり手慣れてきているようで、店の中で事務作業をしている姉さんも特に心配している様子はなかった。
「ストイアン、お疲れ」
僕が声をかけると、ストイアンは担いでいた段ボールを一旦地面に置き、額の汗を拭いながらこちらを向いた。
「うぃっす。今日は早いんだな」
「うん。今日はクラブなかったから」
僕とストイアンはこうして度々店先で挨拶を交わすくらいの間柄になっていた。ストイアンは僕よりも年上なわけだが、良い意味で年上らしさを感じないので僕としてはとても話しやすい相手である。
「そうかそうか。えーっと、たしか献血クラブだっけか? どうやら真珠も入っているらしいじゃん」
「知ってたんだ」
まさかストイアンの口から『献血クラブ』というワードが飛び出すとは思っていなかったので、少々驚いた。
「おう。真珠がいつも家でそのこと喋ってるからな」
「へぇ……そうなんだ」
樹木さんが家族に献血クラブのことを楽しそうに喋っている姿を想像してみると、それはなんとも微笑ましい光景なように思えた。
「これからも真珠と仲良くしてやってくれ。あいつにとって、お前の存在はでかいだろうからな」
「もちろん。僕も樹木さんと一緒にいると楽しいし」
「それはなによりだ」
どうやらこう見えて、ストイアンは樹木さんのことをかなり気にかけているらしい。直接血は繋がっていないものの、おそらくストイアンにとって、樹木さんは妹のような存在なのだろう。そう考えると、ストイアンは良き兄であるように思えた。
……とは言っても、僕は少し前までストイアンのことをただのだらしない居候ニートだと認識していた。しかし、話していくうちに案外まともであることがわかってきた。そして今ではすっかり、僕の中でストイアンという人物は頼れる兄貴的な存在になっている。
——だからこそ、僕はあのことをストイアンに相談したいと思った。
「ねえストイアン、ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかな」
「もちろん構わん。だが、ちょっと待ってくれ。ちょうど休憩を貰うところだから」
「わかった。ありがとう」
それからストイアンはさっきよりも早いペースで搬入作業を進めていき、キリのいいところで姉さんの元へ休憩の許可を取りに行った。そこまでにかかった時間はものの五分くらいだった。
「すまん、待たせたな」
ストイアンはそう言いながら店先へ戻って来ると、「とりあえず座ろう」と言って店の隅にある自販機の横に置いてあった黄色のビールケースの上に腰を下ろした。僕もストイアンに倣って腰を下す。
「よし、相談とやら聞いてやろうじゃないか」
張り切った声で言うストイアンは、とてもたくましく思えた。
僕は一度唾を飲み込んでから、満を辞して口を開く。
「実は僕たちこの前、献血クラブとして海外メディアの取材を受けたんだけど」
「……ああ」
僕が言った途端、ストイアンの表情が一気に強張った。それでも僕は怯むことなく続ける。
「そこで僕たちは、樹木さんから貸してもらった吸血鬼の衣装を着て出演したんだ。それが吸血鬼の正装だとは知らずに」
「……そのことか」
ストイアンは呆れたような声で言った。どうやらストイアンはすでに全てを僕のいわんとしていることを理解しているようだった。それなら話は早い。
「ストイアンはもう、このこと知ってたんだ」
「まあな。一応話はフェリシアから聞いたよ。万が一その映像をWVAに見られたらって話だろ?」
「うん。そのWVAっていうのは、世界吸血鬼協会の略称?」
「もうそこまで知ってんのな」
「樹木さんからある程度話は聞いたから」
「なるほど。真珠は随分とお前を信用してるんだな」
「……ねえストイアン。僕は吸血鬼の世界のこととか何もわからないんだけど、これってそんなにまずいことなの?」
「まずい」
即答だった。
昨日樹木さんから伝えられた時は、正直これがどのくらいまずいことなのか実感が湧かなかったが、今のストイアンの即答する様子を見て、これがいかにまずいことなのかを実感する。
「……やっぱり、人間と結婚して子どもをもうけたフェリシアさんは、協会から良く思われてないのかな」
「まあ、普通に考えたら極刑だろうな」
「きょ、極刑……!? そ、そんな……そんなのおかしいでしょ! だってフェリシアさんはただ誰かを愛して、結婚して、子どもをもうけただけじゃん! たまたま好きになった相手が人間だっただけで、そんな……極刑だなんて……理不尽過ぎるよ……」
僕が言うと、ストイアンはしばらく黙った。ストイアンにも少なからず思うところはあるのだろう。ただその表橋を見る限り、どこか諦めているようにも見えた。
「……俺だってそりゃ、おかしな話だとは思う。でも、仕方がないんだ。俺たち吸血鬼は、今まで何千年も、そういう決まりの下で生きてきた。だからこそこうして俺はここにいられる。それは事実だ」
「でもだからって……」
「考えてみろ。もし吸血鬼たちが全員、フェリシアみたいに人間と結婚して子どもをもうけたら、どうなる? 答えは簡単だ、吸血鬼は間違いなく絶滅する」
「それは……たしかにそうかもしれないけど……」
「協会は必死なんだよ。吸血鬼の血統を絶やさないために。だから厳しい決まりを作って、俺たち吸血鬼を縛っている。でもそれはたしかに、吸血鬼を未来に残すためには理にかなったやり方なんだ。それしか方法がないんだよ」
そう言うストイアンの目は、どこか遠いところを見ているようだった。なにせストイアンだって現に故郷を捨ててここ日本で生きている吸血鬼の一人だ。協会に対して思うところがないはずがない。
「ストイアンは、協会のことどう思ってるの?」
ふと気になったので尋ねてみた。すると、ストイアンは呆れた笑みを浮かべた。
「んなもん、糞食らえだろ。あいつらの吸血鬼を後世に残したい気持ちはわからなくもないが、どう考えても方針が倫理的に終わってんだよ。俺はとてもじゃないが、あいつらの管理下で生きたくない。だってそんな人生つまんねぇじゃん。俺はもっと自由な、誰を愛したっていい世界で生きたいんだよ。その点、俺はフェリシアのことを尊敬してる。あいつが先陣を切ってくれたから、俺も故郷を飛び出せたわけだしな」
「自分の生き方を貫けるなんて……すごくかっこいいことだと思う」
「まあたしかにそうかもな。……でもよ、そういう俺とかフェリシアのせいで、無実なのに苦しまなくちゃならないやつが出てくるんだ」
「そ、それは……」
僕に否定することはできなかった。だって現に、樹木さんは吸血鬼と人間のハーフということで普通ではない生き方を強いられている。それは紛れもない事実だった。
「だからもし何かあった時の責任は、禁忌を破った俺とフェリシアが取らなくちゃいけない。これは義務だ。俺たちも受け入れている」
「そんな……二人にだって罪はないのに……」
「こればかりは仕方がない。吸血鬼の世界には、吸血鬼の世界の道理があるんだ」
ストイアンの言っていることは正しかった。仮に僕がその道理を否定したとしても、それはちっぽけな人間一人の意見に過ぎない。その事実は、僕を途方もない嘆きへ誘う——。
「一つこれだけは言っておくが、お前にはどうすることもできない。お前はただの一人間だ。だから変に気を負うな。これはこっちの問題であって、お前たち人間の問題じゃない」
「そんなのないよ! 僕だって……僕だって……!」
そんなことを言われると、悔しくて、もどかしくて、情けなくて仕方がない。おのずと脳裏には、笑顔の樹木さんとフェリシアさんの姿が浮かんでくる。僕はなんとしても、その笑顔を守りたい。
それでもストイアンは無情にも、いたって冷静な口調で言ってくる。
「大丈夫、まだ何か事が起きたわけじゃない。あくまで今は懸念している段階だ。だからお前はいつも通り、真珠と仲良くしてやってくれればそれでいい」
僕はストイアンの言葉を聞いてもなお、素直に頷く事ができなかった。
本当に、自分にできることは何もないのだろうか。万が一樹木さんたちの身に何か危険が及んだ場合、僕は本当に無力のままいるだけなのだろうか。
「僕は……僕は……」
ただひたすらに、自問自答を繰り返すばかりだった。
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