第15話 恥を捨てろ!馬鹿になれ!
「よぉーし! メイク完了! あとはやるだけだ!」
姉さんは全員分のメイクをし終えると、すぐさま手際よく持ってきた荷物一式を片付けていった。
「お姉さんはもう帰っちゃうんですか?」
アイラインを思いっきり入れられ、口元には血のりを貼られている上宮さんが姉さんにそう尋ねた。
「うん、今から大学あるし。私的には、みんなのコスプレ姿を見られただけでも満足だよ」
「あの……本当にありがとうございました!」
「いいっていいって。これは趣味だから。じゃあ私はこれで」
一通り荷物をまとめ終えると、姉さんはそれらを持って教室の前の扉へ向かう。
「さあみんな! こっからはいかに恥を捨てられるかが勝負だからね! まあとにかく頑張って! そして楽しんで!」
姉さんはそう言い残して颯爽と教室から出て行った。改めて確認しておくが、今日はあくまでもビラ配りが目的だ。なので変に気合を入れられてもしょうがないわけで……。
「っしゃぁぁぁ! 気合い入れていくぞぉぉぉ!」
しかしながら上宮さんは相当気合が入っているようだった。一体その熱意はどこから来るのやら……。
「なんだか自分もアドレナリンがドバドバだ! こんなの夏コミの時以来だぞ!」
小澤さんも随分と興奮している。対して、樹木さんは作り笑いのような不完全な笑みを顔に浮かべており、どこか緊張しているような面持ちだった。そして僕はというと、ここにきて少なからず開き直っていた。クラスメイトにどう思われるかとか、そういうことはもう考えないことにした。考えたところで、悪寒がしてくるだけだった。
「あとこれ! じゃじゃーん! 完成版のビラです!」
上宮さんはそう言って、バックから取り出した大量のA4 用紙を高く掲げた。
「どれどれ……おお! 前見た時よりたいぶ色鮮やかになってるな!」
「いやいやぁ、張り切っちゃいましたよぉ」
小澤さんが褒めると、上宮さんは誇らしげに胸を張った。
「ほんとだ、たしかにこれはすごい」
僕もビラを手に取って見てみると、それは小澤さんが褒め称えるのも無理はない出来栄えだった。前見た時と基本的な構成は変わっていないのだが、色彩がとても鮮やかになっている。これは間違いなく、生徒ウケもいいだろう。
僕の隣でビラをじーっと眺めていた樹木さんは、しばらくするとハッと顔を上げる。
「朱音ちゃんありがとう。私、みんなに献血に行ってもらうためにも、頑張る」
「うん! 頑張ろう! よーし、景気付けにみんなでえいえいおーしよう! それじゃあ行くよぉ! せーっの!」
「「えい、えい、おー!」」
吸血鬼のコスプレをした僕たちは、朝の教室で声高らかに出陣の声を上げた。
※※※
朝八時。正門に少しずつ登校してくる生徒が姿を現し始め、我々献血クラブはついに吸血鬼のコスプレを身に纏ってビラ配りを開始した。
各員の配置としては、正門をくぐって右側に僕と樹木さん、左側に上宮さんと小澤さんということになった。
向かい側で笑顔を振りまきながら声をかけている上宮さんはすでに何人もの生徒にビラを渡すことに成功しており、何食わぬ顔で声をかけている小澤さんも順調にビラを渡している。
対して、僕と樹木さんは二人合わせて数枚しかビラを渡せていなかった。その原因は明らかで、僕と樹木さんは未だにどうしても恥ずかしさを拭いきれていなかったのだ。
当たり前だが、やって来る生徒たちは全員僕たちのことをとても訝しげに見てくる。今はまだ登校してくる生徒の数も少ないが、あと十分弱もすればこの何倍もの数の生徒がやって来るわけだ。考えるだけでも気が滅入る。
「献血クラブでーす! 献血してみませんかー!」
僕の耳には上宮さんの相変わらず明るい声が聞こえてきていた。
……と、ここで隣にいた樹木さんが僕のワンピースの裾を掴んできた。横を向くと、そこにはまごうことなき吸血鬼の姿があった。
「孝介くん、やりましょう……! 私たちも負けてはいられません……!」
樹木さんは力強い眼差しを僕に向けながらそう言ってきた。
「……そうだね。よしっ!」
僕は覚悟を決め、ちょうどやって来た女子生徒二人組に近づいて行った。
「献血に興味はありませんかぁ!?」
「ひえぇぇぇ!」
「……え、なに、男……? き、気持ち悪い……」
結局、彼女たちは僕からビラを受け取るどころか、ひどく怯えた様子で去って行ったのだった。
「……ねえ樹木さん、僕帰ってもいいかな?」
「き、傷つかないで……! たまたま相性が悪かっただけだから……! たぶん……」
「こんなの相性もクソもないでしょ……」
「つ、次は私が頑張るから!」
樹木さんはそう意気込むと、やって来た二人組の男子生徒に近づいて行く。
「け、献血してみませんか? お、お願いします……!」
頭をぺこぺこと下げながらビラを差し出す樹木さんを前にして、男子生徒二人は瞳をハート型にさせんばかりの魅惑に溺れた眼差しを向けていた。
「「か、かわいい……」」
二人の口からはそんな言葉が漏れていた。当の樹木さんはあまりに必死なのか何も頭の中に入ってきていないようだった。
結局彼らは無意識のうちにビラを受け取り、夢見心地といった様子で去って行った。
「や、やったよ孝介くん! 意外と頼み込めば受け取ってくれるかも!」
僕は心底嬉しそうにしている樹木さんを目の前にして、苦笑するしかない。
「はっ、はっはっ……そうかもね……」
それからというもの、樹木さんもみるみるうちに調子を上げていき、次々にビラを渡していっていた。僕は依然として萎縮しながらやり過ごしていたのだが、ここで思わぬ人物がやって来る。
「よぉ神谷。まさかお前にそんな格好をする趣味があったとはな。意外と様になってるじゃないか」
「よ、吉塚先生……。これはその……趣味とかそういうのじゃなくて……」
担任の吉塚先生は僕が持っているビラに目をやると、一転して感心したような眼差しを向けてくる。
「お前、そんなボランティア活動をしていたのか。そうかそうか、これは驚きだな。なぜそんな格好をしているのかはさておき、そのボランティア精神は誉めてやろう」
「あ、ありがとうございます……」
普段生徒を褒めることが滅多にない吉塚先生から褒められ、僕はちょっとばかり嬉しかった。
「まあ頑張れ。こういう突拍子もないことも、かけがえのない青春だからな。たまには馬鹿になることも大切だ。やるなら全力でやれよ」
吉塚先生はそうとだけ言い残し、その場を去って行った。
「かけがえのない青春……やるなら全力で……よしっ……!」
僕は誰にも聞こえない声で吉塚先生の言葉を反芻した。そうすると、自然と体のうちから熱いものが湧き上がってくるような気がした。これがアドレナリンというやつだろうか。
「いっそのこと思いっきり馬鹿になってやろうじゃないかぁぁぁ!」
「こ、孝介くん……?」
不思議そうに見てくる樹木さんを横目に、僕は動き出す。
「みなさん! 献血に興味はありませんかぁぁぁ!」
僕は我を忘れ、とりあえずやって来た生徒たちに片っ端から声をかけていく。僕が近づくと中には怯えた声を上げて逃げる生徒もいたが、逆に僕のことを面白がってビラを受け取ってくれる生徒も少なからずいてくれた。
——あぁ……、なんだろうこの快感は……。これが俗にいう『青春』なんだろうか……。
心なしか僕以外の三人も、ビラ配りに徐々に熱が入ってきている。
もはや今この時、正門前は献血クラブの独壇場と化していた。
誰にどんな痛い目を向けられたって構わない。僕は僕らしく、衝動のままに突き進むのだ。なんせ僕は若い。これがどんなに馬鹿馬鹿しいことであったとしても、そんなことは若い力が解決してくれる。失敗したって、貶されたっていいじゃないか。若い頃の過ちなんて、大抵のことはどうにかなる。だったら自分の思うがままに突き進む他ないだろう!
「お願います! お願いします! お願いしまぁぁぁす!」
僕はひたすら声を張り、動き続けた。隣の樹木さんの表情もどこか充実感に満ちている。
献血クラブの威勢の良い呼びかけが、朝の正門にこだましていた。
かくして、献血クラブによるコスプレビラ配り作戦は大成功……?を収めたのだった。
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