第7話 師弟関係
その日、僕は学級委員ということで先生に雑務を頼まれ、放課後教室に残って作業をしていた。
もちろん面倒臭いことこの上ないのだが、ありがたいことに学級委員補佐の小澤さんも一緒に残って作業を手伝ってくれている。
小澤さんは身長が177センチもある女の子で、そのスリムな体型と小顔が相まって、見た目はまるでパリコレに出ているモデルさんだ。ショートヘアーであることからどことなくスポーツ少女感も漂わせているが、本人いわくスポーツは大の苦手らしく、僕と同じく部活動には所属していない。
僕と小澤さんは学級委員で一緒になる以前からそれなりに親交がある。というのも、小澤さんは僕の実家の酒屋でアルバイトをしているのだ。そんなわけで小澤さんとは学校以外でも度々顔を合わせることがあった。
「上の方は自分に任せてくれ」
胸を張って言う小澤さんのその姿は、男の僕でも惚れ惚れするものがあった。
僕たちは今、教室の壁に掲示物を貼っている。そして身長の高い小澤さんは率先して高い位置の掲示物を担当してくれていた。男の僕としてはいささか惨めさみたいなものを感じるわけだけど、身長165センチの僕と小澤さんとではこうなるのも仕方ない。
「さて、問題はこれだな」
繋げた机の上に置かれている長細いボードを見て小澤さんが言った。
そのボードはいわゆるクラス目標みたいなものが書かれたもので、黒板の上のところに設置しなければならない。普通こういう目標は年度の初めに設定するものなんだろうけど、僕たち国際クラスはてっきりそのことを忘れていた。文化祭の時にどうしても必要ということで急遽設定したクラス目標は、『愛し、愛されるクラス』というものだった。カトリック系の学校なので、とりあえず『愛』というワードを入れておけば間違いないのである。
「しっかし胡散臭いクラス目標だよなぁ……」
小澤さんはボードを見て苦笑しながら言った。
僕たちはとりあえずそのボードを黒板の前の教卓まで運んでいく。
「これは教卓に乗るしかないな。自分がやるから、君は教卓を支えておいてくれ」
「わかった」
「くれぐれも上は見ないでくれよ? こっちはスカートなんだ」
「了解」
それから小澤さんは靴を脱ぎ、教卓の上に乗っかった。
僕は小澤さんにボードを手渡し、上を見ないように気をつけながら教卓を手で支える。
「なんとか、いけそう……」
小澤さんは僕の頭上で試行錯誤しながら、なんとかボードを画鋲で取り付けている。
「これをこうして……よし! 完了!」
ボードは無事に取り付けられたようだった。
教卓からスカートを翻しながら飛び降りた小澤さんは、よろめきながらもなんとか直立を保った。
「ありかとう小澤さん。僕一人じゃどうにもならなかったよ」
僕が礼を言うと、小澤さんはクールに返す。
「なぁに、学級委員補佐なんだから当然だ。この身長も活かせる時には活かさないとな」
「小澤さんイケメンです……!」
「男ならモテモテだなぁ」
小澤さんは短い髪の毛先を触りながらそう言って、自虐のような笑みを浮かべた。するとどこか照れ臭そうに僕を見てくる。
「……実は自分、最近男キャラのコスプレにハマってるんだ」
「男キャラのコスプレ? たしかに小澤さんなら絶対似合う」
「師匠に勧められたんだ」
「あぁ……なるほど……」
小澤さんがここで言う『師匠』というのは、コスプレにおける師匠のことである。そしてその師匠は、僕の姉のことを指している。
というのいうのも小澤さんは酒屋のアルバイトで姉さんと知り合い、以来仲良くしているのだ。そして小澤さんは、姉さんから勧められてコスプレを始めたという経緯があり、なぜか姉さんを『師匠』呼ばわりしている。弟としてはなんとも気味の悪い状況だ。
「師匠は本当にすごい。コスプレに注ぐ並々ならぬ情熱には、いつも刺激をもらっているよ」
「へ、へぇ……」
僕はもはや苦笑することしかできなかった。
「君も師匠の弟なら、コスプレをしてみようとは思わないのか? 案外いけると思うんだがなぁ」
「いや僕はさすがに……」
否定しようと思ったところで、不覚にも言葉に詰まる。なにせ仮にも、献血クラブで吸血鬼のコスプレをすることになっているのだ。
「おやおや? もしかして少なからずコスプレに興味があったり?」
小澤さんは訝しげに僕の顔を覗き込んできた。
「そういうわけじゃないんだけど……実は近々、コスプレをしなくちゃいけなくて……」
打ち明けると、小澤さんの表情が一気に明るくなる。
「おー! そうかそうか! ちなみにどんなコスプレをするんだい?」
「きゅ、吸血鬼……」
「吸血鬼!? これまた斬新だな!」
「ま、まあ……これにはワケがありまして……」
「ワケ……?」
そのワケを言ったところで笑われる気しかしないけど、いずれバレるだろうし、今のうちに理解者を得ておくことも重要だろう。
「……上宮さんがね、高校生に献血を勧めるボランティア活動をしようって言い出したんだけど、普通にビラ配りとかしても面白くないってことで、コスプレをしてビラ配りをすることになったんだよ」
僕が説明すると、案外小澤さんは特に笑ったりすることなく、コクコクと頷いてくれた。
「なるほどなるほど。なんだか面白そうだな」
「でもコスプレなんて完全に初心者だから、何をどうすればいいのかわからなくて」
「君にはコスプレを熟知してる素晴らしいお姉さんがいるじゃないか。いくらでも相談できるだろ」
「いやさすがに恥ずかしい……」
実際姉さんに相談するということも考えてはいたが、どうしても相談しにくい節があった。兄弟とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「それなら自分が一緒に相談してみようか。ちょうど今からバイトあるし」
「えぇ……いいよそんな……」
「ほら、行くぞー」
「ちょっ……!」
小澤さんは半ば強引に僕の腕を引っ張ってきた。
僕は抵抗する術なく、オレンジ色に染まった教室を後にするのだった。
※※※
家の前に着くと、軽トラックから酒の入った段ボールを下ろしている姉さんの姿が見えた。姉さんは大学二年生の二十歳で、普段から実家の酒屋の手伝いをしている。ちなみに僕の家は一階部分が酒屋で、二階部分が住居スペースだ。
「師匠、お疲れ様です」
小澤さんは姉さんに向かって挨拶した。
姉さんは段ボールを一旦地面に置いてこちらを振り向くと、僕たちのことを不思議そうに見てくる。
「あれ、舞ちゃん今日は早いね。それに孝介と一緒なんて、これまた珍しい」
「弟さんとはたまたま学級委員で一緒になったんですよ」
「ふーん。なんだか私に話があるみたいな雰囲気だけど、どうかした?」
姉さんの勘は鋭かった。
「姉さんに相談……というか、アドバイスを貰いたいんだ」
僕はさっさと本題に入ることにした。
「アドバイス?」
姉さんは首を傾げてきた。
正直コスプレのことを姉さんに言うのは恥ずかしいことこの上ないけど、隣に小澤さんがいてくれているおかげで、一対一で相談するよりかはやりやすい。
僕は満を辞して口を開く。
「実は色々あって、吸血鬼のコスプレをすることになったんだ」
「なにそれ!?」
予想はしていたけど、やはり姉さんは目を丸くして驚いていた。
「いやまあ……僕としてはあんまり乗り気じゃないんだけど」
「いいじゃんいいじゃん! そうかぁ……我が弟もついにコスプレデビュかぁ……」
姉さんは感慨深そうに呟いていた。まったく心外である。
「でもコスプレしたことなんてないし、何をどうすればいいのか全然わからなくてさ。小澤さんに相談したら、姉さんに聞いたらって言われて」
「師匠! 弟さんにコスプレを伝授してあげてください!」
僕に続けて小澤さんが言うと、姉さんはコクコクと頷いた。
「うんうん、いいだろう。……しかしとにもかくにも、まずは衣装がないことには何も始まらない」
それなら一応問題ないはずだ。
「衣装に関しては一緒にコスプレをする友達が、吸血鬼っぽい衣装を持ってるらしい」
「そんなことある!?」
姉さんは心底驚いたような顔をしていた。たしかに驚くのも無理はない。
「朱音ってコスプレ好きだったの?」
ふと小澤さんがそんなことを尋ねてきた。
朱音というのは上宮さんのことである。
「違うよ。衣装を持ってるのは樹木さん」
「樹木さん!? あの美少女転校生が!?」
「意外だよね」
樹木さんが吸血鬼と人間のハーフであることを鑑みれば、全く理解できないというわけでもないけど。
すると話を聞いていた姉さんが、食いつくような眼差しを向けてくる。
「めちゃくちゃ気になるんだけど! その吸血鬼の衣装を持ってるっていう転校生!」
こんなに目を輝かせている姉さんを見るのは久しぶりだった。
「たぶんコスプレ趣味とかではないと思うよ」
僕はすぐさまそう補足したが、姉さんの目の輝きは変わらなかった。
「そんなことないでしょ! じゃあなんで吸血鬼の衣装なんて持ってるわけ? 公表していないだけで、コスプレ好きに決まってるから! ぜひとも会って話がしたいなぁ……」
「いやいやいや。本当にそういうのじゃないから」
「なんでそんなことがわかるの?」
「それは……」
僕が言葉に詰まっていると、小澤さんが首を突っ込んでくる。
「師匠、自分が話をしてみます」
「はい?」
思わず疑問符が声に出てしまった。
小澤さんは僕の顔をまじまじと見てくる。
「師匠が樹木さんに会ってみたいと言ってるんだ。せっかくクラスメイトなんだし、そういう機会を作ることはできるだろう」
「いやいや、いい迷惑じゃないそれ……」
僕はどうしても乗り気になれなかった。
「いいじゃない孝介。そんなに姉がコスプレイヤーだってことを知られるのが恥ずかしい?」
「恥ずかしいとかそういう問題じゃないけどさ……」
「会わせてくれたら、コスプレ当日のメイクとかやってあげるよ?」
姉さんが思いもよらぬ提案をしてきた。
「……まじ?」
「うんまじ」
これは予想外の展開だ。
姉さんのコスプレメイクは間違いないので、献血クラブ的には素晴らしい提案である。
「それは間違いなくありがたいけど……」
「なら決まりね!」
姉さんは有無を言わさぬ形でそう言ってきた。
たしかにこれでコスプレ自体はうまくいきそうだけど、僕としては姉さんが介入してくることについてなんとも複雑な気持ちだった。端的に言うと、恥ずかしい。
「よかったじゃないか。これでコスプレ問題は解決だな」
「どうなんだろう……」
小澤さんの言葉に、僕は心もとない声音で返した。
「よーし! お姉ちゃん頑張っちゃうぞぉー!」
やけに張り切る姉さんを前にして、僕は顔を引き攣らせるしかなかった。
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