第2話 銀髪の美少女
その日、僕の通う聖マリレーヌ高等学校国際クラスには、未だかつてないほどの激震が走った。
「樹木真珠と言います……。よろしくお願いします……」
教壇の前に立ち、緊張した面持ちで挨拶をする銀髪美少女に、クラスメイトたちの興味津々な視線が注がれていた。
もちろん僕も例外ではなく、彼女のことを食い入るように見ていた。
彼女は一礼した後、先生に着席を促される。
さて一体どこの席に着くのだろう……と思ったら、これがなんと僕の真後ろだった。
実を言えば後ろの席が空いていたことは知っていたので、なんとなくこうなることは予想していた。しかし実際に彼女が僕の後ろにやって来ることがわかると、どうしても高揚感を抱かずにはいられない。
彼女がその流れるような銀髪を揺らしながら僕の横を通り過ぎて着席すると、先生はまるで何事もなかったかのように連絡事項などを話し始めた。
しかしながら高校一年の二学期に転校して来るというのは、一体どんな事情があってそうなったのだろう?
考えられることとしては、海外からの転入というのがある。
というのもこのクラスは『国際クラス』と銘打ってある通り、英語教育に力を入れている。なのでいわゆる『帰国子女』という枠で入学する学生が少なからずおり、もしかしたら彼女も『帰国子女』という枠で転入して来たのかもしれなかった。そしてそれは、彼女の顔立ちや髪色からしても簡単に予想することができた。
やがて先生は一通り連絡事項を言い終えると、僕たちに体育館へ移動するように指示してきた。今日は始業式の日である。
僕は自分の席で体育館シューズに履き替えながら、転校生に話しかけてみることを思いついた。
勇気を振り絞って後ろを振り向くと、そこにはぎこちない様子で靴を履き替えている可愛らしい銀髪美少女の姿がある。
「よろしくね」
僕が声をかけると、彼女は一瞬戸惑ったような顔を見せてきたが、すぐに微かな笑顔を見せてきてくれる。
「……よろしく」
転校生——樹木さんの、消えかかったロウソクの炎のようにか細いその声は、僕の耳に確かに残った。
※※※
「皆さんはいかなる時も、人に感謝することを忘れず、また人を愛することを忘れないように。イエス様のお言葉にもあるように——」
始業式恒例の校長先生による有難いお言葉を、かれこれ十分くらい聞かされていた。
うちの高校は名前の通りれっきとしたカトリック系の高校なので、校長先生の話には時折イエスの話なんかが織り交ぜられている。校長先生の後ろには大きな十字架まで掲げられているくららいだ。
そんな始業式では大抵の生徒が睡魔と闘っており、僕もまた例外ではなかった。
——しかし次の瞬間だった。
僕の背中に、誰かが倒れかかってきたのだ。
反射的に後ろを振り返ると、そこにはあの転校生——樹木さんが、今にも床に崩れ落ちそうな形で僕に体を預けていた。
さすがにまずいと思い、僕はとりあえず樹木さんの脇のところを抱え上げて、その華奢な体を無理やり起こした。
樹木さんは目を閉ざしており、完全に意識を失っている。これはかなりまずいことが起きているのだと、僕の直感が告げていた。
僕は迷うことなく樹木さんを引きずって生徒の間を抜けていき、なんとか先生のもとまで運んでいく。そうすると周りの生徒がだんだんとざわめき始め、次第にそのざわめきは体育館全体へと広がっていった。
さすがの校長先生も話を中断せざるを得なくなり、状況を察した先生たちが僕のもとへと駆け寄って来た。
「意識がないみたいなんです!」
樹木さんを抱え上げたまま駆けつけた先生たちに言うと、一人の先生が「担架を持って来て!」と大きな声を上げた。
しばらくして担架が持って来られると、樹木さんはその担架に乗せられ、直ちに保健室へと運ばれていった。
「ありがとう。君はもう戻っていいよ」
「樹木さんは大丈夫なんでしょうか……」
僕が尋ねると、先生はただ頷くだけだった。
「ああ、きっと大丈夫」
先生にそう言われ、僕はやむなく自分の居た場所へと戻っていった。
結局校長先生の話は手短に済まされ、始業式自体も比較的早く終わった。
※※※
先生によると樹木さんの意識は無事に戻り、今は保健室で大事を取って安静にしているらしい。僕はそのことを知って胸を撫で下ろした。
おそらく樹木さんは新しい環境に体が順応しきれていなかったのだろう。とにかく無事で何よりだった。
そんなこんなで始業式が終わり、現在、国際クラスでは今学期の委員会決めと係決めが行われている。
こういうのは最初にクラスの仕切り役を務める学級委員を選出し、学級委員がその後の進行を務めるという流れが鉄則だ。だが今回に限っては、その学級委員決めに苦戦していた。
「本当に誰も立候補しないのか」
担任の吉塚先生は呆れた顔をしながら教室の隅にあるパイプ椅子に座っていた。
この調子だと、いつ吉塚先生の堪忍袋の緒が切れてもおかしくない。
ただそうは言っても、あいにく国際クラスにわざわざ学級委員を務めたいと思うような責任感の強い生徒はいなかった。
このままでは、いつまで経っても先に進みそうにない。
僕はどうしても、こういう気まずい空気に耐えられない性格だった。
「僕がやります」
僕はそう言って手を挙げた。結局こういうのは、誰かが妥協しなければならない。今回は僕が妥協してやろう。
クラスメイトの視線が僕に集まった。中には僕に対して賞賛のエアー拍手をしてくる者もいる。
「ありがとう神谷。じゃあ学級委員は神谷で決まりだな。ここからは神谷が進行を務めてくれ」
「わかりました」
僕は席を立ち、教壇の方へと移動する。
さすがにまったく緊張しないと言えば嘘になるが、それでもいざ教壇に立つと案外なんとかなりそうな気がした。
「それじゃあまずは、体育委員から——」
それから僕はぎこちないながらも、なんとか委員会決めを取り進めていった。
やがて無事に一通りの委員会が決め終わると、ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴り響いた。クラスメイトたちは休み時間に入っていく。しかし僕だけは吉塚先生に呼び止められていた。学級委員なので仕方がない。
「申し訳ないんだが、樹木に荷物を持って行ってくれないか?」
いきなりそう言われ、僕は少々驚いた。
「早退するんですか?」
「ああ、大事を取ってな」
「わかりました」
そういうことだったので、僕は樹木さんのリュックを持って保健室へと向かう。
教室からしばらく歩いて保健室に着くと、そこにはベッドに腰掛けている樹木さんの姿があった。どうやら保健室の先生は席を外しているらしい。
樹木さんはこちらに背を向け、窓からグランドの方を眺めている。
その後ろ姿は、流れるような綺麗な銀髪も相まって、まるで等身大の人形がそこにいるかのようだった。
「樹木さん」
僕が呼びかけると、樹木さんはこちらを振り返って一瞬戸惑ったような顔を見せたが、すぐに状況を理解して頭を下げてきた。
「ありがとう……。さっきはごめんなさい……」
樹木さんは俯きながら申し訳なさそうに言ってきた。
「全然大丈夫だよ。樹木さんが無事で本当によかった。体は大丈夫そう?」
「……うん。私、小さい頃から体が弱くて、たまにこういうことになるの」
「そうなんだ」
なんとなく頷いたが冷静に考えてみると、たまにであっても意識を失って倒れるというのはかなり危険なことのような気がする。
僕はいささか樹木さんの健康面を心配に思いながらも、そそくさと持ってきたリュックを手渡した。
そして樹木さんの日本人離れした深いブルーの瞳を見つめる。
「僕は神谷孝介。一応学級委員をすることになったから、わからないことがあったらなんでも言ってね。とりあえず、今日はゆっくり休んで」
僕が言うと、樹木さんは急に目を丸くした。
「神谷孝介……。うん、ありがとう」
なぜか僕のフルネームを復唱した樹木さんには少なからず違和感を覚えたが、僕はいたって平然を装う。
「じゃあまた明日」
僕はそうとだけ言って保健室を後にしたのだった。
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