第一章 吸血鬼ちゃんは血を吸わない

第1話 16歳の献血

 「献血してみない?」


 診察室で先生に言われ、僕は思わず「えっ」と声を出してしまった。


 「もちろん無理にとは言わないよ」

 「えーっと……」


 僕が悩んでいると、先生の後ろに立っていた看護師さんが優しそうな表情を見せくる。

 その看護師さんは顔立ち的にどうやら外国人のようで、超が付くほどの美人さんだった。ハンサムな先生とも相まって、目の前の光景はまるで絵画のようである。


 「孝介くんの血は他の人のものとは違って特別だから、ものすごく需要があるの」


 看護師さんは流暢な日本語で言ってきたが、僕はどうも納得しきれない。


 「僕は『多血症』ですよ? それにまだ十六歳だし……」


 そう、僕は『多血症』を患っているのだ。今日だって病院へ来たのは、『多血症』の定期診断のためである。

 ちなみにここの病院に訪れたのは今日が初めてだった。というのも、いつも通っていた病院が先日なくなってしまったのだ。なので先生と看護師さんに会うのも今日が初めてだった。

 そんな中で突然献血を勧められても、どうしてもまだ信用しきれないというのが正直なところで……。


 「大丈夫、『多血症』であることはなんら問題ないよ。むしろ『多血症』患者の、赤血球とヘモグロビンが豊富な血液はとても貴重なんだ。年齢に関しても、十六歳なら200mlまで献血できる。時間は少しかかっちゃうけど」

 「そうなんですか……」


 そこまで言われては納得するしかない。

 これでも僕は相当な暇人なので、時間が理由で断るということはありえなかった。


 「……わかりました。僕の血で誰かの命が救われるなら、ぜひ献血をさせてください」


 僕が言うと、二人の表情が一気に明るくなる。


 「ありがとう!」

 「孝介くんみたいな子がいてくれて、とっても嬉しいわ」


 そんな二人の反応は少しばかり大袈裟にも感じたが、もちろんこれで悪い気を起こすわけがない。


 「い、いえ……」


 若干自惚れている自分がいるのは間違いなかった。


 「そうと決まればさっそく取り掛かろうか。血圧とか諸々、本来必要な情報はすでにさっきの検査でわかってるから、もうこのまま献血しても問題ない。簡単な準備だけするから、診察室の前で少し待っていてもらえるかな」

 「わかりました」


 先生に言われ、僕は軽く会釈をしてから診察室を出た。


 そして待合室で待つこと約五分。

 例の美人な看護師さんが僕のもとへとやって来た。


 「準備ができたから、付いて来て」

 「はい」


 僕は立ち上がり、看護師さんの後ろを付いて行く。

 看護師さんの髪は銀色で、後ろから眺めていると、それはまるで現実のものとは思えないくらいに綺麗に見えた。


 やがて連れて来られた部屋には、歯医者さんで座る椅子の豪華バージョンみたいな椅子——いわゆるドナーチェアーというやつが置かれていた。ドナーチェアーには小型のテレビまで備え付けられている。


 「靴は履いたままでいいから、ここに座ってもらえるかしら」

 「わかりました」


 僕は看護師さんに言われた通り靴を履いたままドナーチェアーに腰を下ろした。

 しばらくしないうちに先生が部屋の中へと入って来る。


 「お待たせ。時間としては休憩時間も含めて三十分くらいだけど問題ないかな?」

 「はい。問題ありません」

 「ありがとう。孝介くんはこういうのって慣れてたりする?」

 「まあ多少は。少量ですけど、定期診断で一ヶ月に一回は採血してますから」

 「なら何も心配なさそうだ」


 先生は僕に優しく微笑みかけながらそう言うと、さっそく左腕の注射する部分をイソジンで入念に消毒していった。


 「それじゃあ針を入れるね」

 「はい」


 僕はいつもみたく、針が刺さっていく腕から目を逸らした。痛みは予防接種の時と大して変わらない。


 「今から約十五分間で採血するんだけど、その間これに書いてある通りに手と足先を動かしてもらえるかな」


 先生はそう言ってA4くらいの紙が挟んであるアクリル板を手渡してきた。そこには採血中にすべきことや注意事項などが書かれている。


 「適度に手や足先を動かすと血液の流れが促進されて、採血がスムーズに進みやすくなるんだ。だから申し訳ないんだけど、お願いできるかな」

 「わかりました」

 「あと、こまめに水分補給もしてほしい」


 すると看護師さんが暖かいペットボトルのミルクティーを持って来てくれた。


 「はいどうぞ」

 「ありがとうございます」


 普段の採血ではここまで念入りにコンディションを整えたりはしないので、僕としては色々と新鮮だった。


 「それじゃあ採血を始めるよ」


 先生が機械を操作すると、やがて左腕の針が刺さっている部分が少し温かくなってきた。その妙な温かさが、今まさに血を抜かれていることを実感させてくる。


 「痛みとかない?」

 「大丈夫です」


 それから僕は説明を読みながら手や足先を適度に運動させ、採血をスムーズに進めるために努めた。



 ——そして約十五分が経過した。



 横に置いてある機械がピーッと音を鳴らして採血完了を知らせると、部屋の隅で待機していた先生と看護師さんが僕のもとへやって来た。


 「お疲れ様。採血はこれで無事完了だよ。協力してくれて本当にありがとう」


 先生は僕にそう告げると、手際よく針を外していってくれた。

 腕から針が完全に抜かれたところで、僕はドナーチェアーから立ち上がる。


 「申し訳ないんだけど、今から十五分は念の為別室で休憩してもらうね」

 「わかりました」

 「こっちよ」


 手招きしてくる看護師さんに案内され、僕は別室へと移動する。


 別室へ移動するなり、看護師さんは「ちょっと待ってて」と言ってその部屋を出て行った。なんだろうと思ってソファに腰掛けて待っていると、なんと看護師さんはアイスを持って来てくれた。


 「これはちょっとしたお礼よ。もちろんこんなものでは到底割に合わないけど」


 僕にとってはサプライズだった。


 「いえいえそんな。気持ちだけでも嬉しいです。ありがとうございます」


 僕は礼を言ってからアイスを受け取り、溶けないうちにその場で有り難くいただいた。


 やがて十五分ほどが経過して僕が病院を後にしようとすると、先生と看護師さんが二人して出口のところまで見送りに来てくれた。二人とも最後の最後まで僕に感謝の意を示してくれる。

 そこまでのことなんだろうかと僕はいささか疑問を感じたが、それでもやはり人に感謝されるというのは嬉しいもので、帰路に就く僕の足取りは心なしか軽やかだった。


 そして帰り道で僕はつくづく思う。


 僕の血で、誰かが救われればいいなと——。

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