第9話「紺野君――ん、んんっ。えっと……そ、蒼太くん」

「だって私たち同い年だし、クラスメイトなんだから別に普通でしょ? 美月も紺野君――ん、んんっ。えっと……そ、蒼太くんにこんなに懐いてるんだし」


「うへぁあああっ!?」

 俺は思わず――自分で言うのもなんだけど――意味不明な叫び声をあげた。


「な、なに!? なんで急にそんなびっくりしたような顔をするのよ?」


 なんでって、そんなもん決まってるだろ!?

 照れた様子で顔を赤らめながら少し上目づかいで俺の名前を呼ぶ姫宮さん――じゃないゆ、ゆゆ優香が、マジでガチに半端なく可愛いかったからだが!?


 なんだこれ!?

 今まで優香とは話したことがなかったから、そこまで深く意識したことはなかったんだけど!

 この可愛さ、さすが学園のアイドルって言われるだけのことはあるな!

 可愛いって言葉が意味する概念の100,000,000倍くらい超絶無双に可愛いかったんだけど!?


 ――などという俺の異常にハイテンションしている心の声は、もちろん表に出しはしない。


「……いや、なんでもないよ」


 俺は心の中で3秒ゆっくりと数えて心を落ち着けると、平静を装ってさらりと言った。


「そう? やけに驚いていた気がしたんだけど」

「ははっ、気のせいさ」


 だいたいだ。

 俺はついさっき1年間も付き合っていた彼女に振られたばかりなんだぞ?


 だっていうのにすぐに別の女の子が可愛いくて仕方がないとか、さすがに俺もチャラすぎだろ。

 自分でもそれはちょっとどうかと思う。


 俺の詩織への愛情って、そんなに軽いものだったのかよ――?


 いいやそんなわけはない。

 俺は本当に心の底から詩織のことを愛していたんだ。

 ただ、その想いが俺からだけの一方通行だったってだけで。


「話を戻すけど、じゃあまた今度、家に遊びに誘うわね。連絡先を聞いてもいい? ラインやってる?」

「やってるよ」


 俺はスマホを取り出すと優香とラインを交換した。

 その時にちらっとリストの一番上にあった「詩織」という名前が目に入って、俺の心に小さなさざ波を立てたけど――でもそれだけだった。


 無我夢中で必死になって溺れる美月ちゃんを助けたこと。

 美月ちゃんの9歳とは思えない礼儀正しさにほっこりさせられたこと。

 学園のアイドルである優香とこんなにも仲良くなれたこと。


 そういった諸々のおかげで、1年間も付き合っていた彼女がイケメン医大生と二股浮気をしていた現場を目撃した最悪な気分は、ほとんど消え失せてしまっていた。


 もちろん完全にゼロになったわけじゃない。

 大好きだった女の子が記念デート当日に別の男とラブホから出てきた瞬間を、俺は一生忘れはしないだろう。


 だけど俺の心は、そのことでウジウジグダグダしなくて済みそうなくらいにはもう、落ち着きを取り戻していた。

 心が前を向いていた。

 ありていにいえば吹っ切れていた。


 それもこれも、美月ちゃんと優香のおかげだ――。


「じゃあ俺はそろそろ帰るな」

 吹っ切れて軽くなった気分そのままに、軽く手を挙げて言った俺に、


「蒼太おにーちゃん、今日は本当にありがとうございました!」

 美月ちゃんが元気よく言いながら、礼儀正しく頭を下げる。


「どういたしまして」

「蒼太おにーちゃんは命の恩人です」


「おー、難しい言葉を知ってるな。偉いぞ」

「えへへー」


「でも、俺の方こそありがとうなんだよな」


 可愛らしさ満点の美月ちゃんの裏表のない姿につられたからか。

 今の素直な想いが、つい口から言葉としてこぼれ出てしまった。


 誰に聞かせたいわけでもない、かすれるような小声での独り言。

 だけど美月ちゃんがそれを耳ざとく聞き取ってしまう。


「えっと? どうして助けてくれた蒼太おにーちゃんが、ありがとうなんですか? おにーちゃんはありがとうをされる方ですよね?」


 美月ちゃんがキョトンした顔を向けてきた。

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