第8話 完璧です。えっへん。

「『姫宮さん』は分かりにくいです。だっておねーちゃんも美月も姫宮さんだから、姫宮さんだとどっちのことか分からないです」


「ああ、そういうことか」


 なるほどな。

 俺は美月ちゃんに向き直ると小さく頷いて、言いたいことは分かったよと伝える。


 でもそうだよな。

 俺が姫宮さんと呼ぶと、美月ちゃんもつい自分のことかと思って反応しちゃうよな。

 なにせ二人とも「姫宮さん」なんだから。


 俺は大いに納得したんだけど、ここで美月ちゃんが特大級の爆弾発言を投下した。


「だからおねーちゃんのことは優香って呼んで欲しいです」


「えぇっ?」

「ふわっ!?」


「美月は美月なので美月って呼んで、おねーちゃんは優香だから優香って呼べば分かりにくくないですよね? 完璧です。えっへん」


「えっと、でも、なぁ……」

 俺は再び姫宮さんへと視線を向けた。


 というのもだ。

 姫宮さんのことを「優香」なんて下の名前で呼んでいる男子を、俺は見たことがなかったからだ。


 理由は簡単だ。

 学園のアイドルの姫宮さんの機嫌を万が一にでも損ねるようなことを、誰もしようとは思わない。


 だから基本的に「姫宮さん」呼びか、陽キャグループの一部男子なんかからは「姫」と呼ばれている。


 そんな状況だっていうのに俺だけ名前呼びするのは、周りの人間にあらぬ疑念を与えてマズいよな。

 もちろん俺は別にマズくはないんだけど、俺と浅からぬ関係にあると勘違いされたら姫宮さんに多大な迷惑が掛かってしまうだろう。


 だけどそう思ったのは俺だけのようだった。


「それはなるほど、一理あるわね」

「――え?」


「美月の言うとおりこの場に姫宮さんが2人いる以上、名字じゃなくて名前で呼ぶ方が合理的よね。そもそも今日会ったばかりの美月のことは『美月ちゃん』って呼んでいるのに、同級生でクラスメイトの私を『姫宮さん』って呼ぶのは、ちょっとおかしい気がするもの」


「それはそうかもだけどさ。でもこの先、俺が美月ちゃんと会うことはないだろうし、特に不便は――」


 ないんじゃないか、と言いかけた俺の言葉尻に被せるように、


「はうぅ……蒼太おにーちゃんはもう美月と会わないんですか? 遊びに来てくれないんですか?」

 美月ちゃんがか細い涙声でつぶやいた。


 だからいきなり不意打ちでウルウルさせた瞳で俺を見上げないでくれよな!?

 俺の中で罪悪感がハイマットフルバーストしちゃうからさ!?


 とどのつまり。

 美月ちゃんのいたいけな瞳にじっと見つめられた俺が、


「お邪魔でなければまた遊びに来ようかな……?」

 そんな答えを返したのは、これはもはや神に定められた必然だった。


「やったぁ!」

 俺の答えに美月ちゃんが破顔一笑する。


「なんだか本格的に懐かれちゃったみたいだな……」

 礼儀正しくて可愛いからいいけどさ。


 チラリと姫宮さんを見ると「ま、しょうがないわね」って感じで苦笑していた。

 どうやら今後、俺が姫宮家に遊びに来ることを姫宮さんも許してくれるようだ。

 それはそれとして。


「じゃあこれからは姫宮さんのことを優香って呼ぶけど、いいんだよな? 学校でもそう呼ぶぞ?」

 俺は改めて姫宮さんに問いかけた。


 男子に――っていうか俺に名前で呼ばれるのが嫌かもしれない。

 そこだけはもう一度改めて確認しておきたい。

 美月ちゃんには申し訳ないけど、姫宮さん本人が嫌がっているなら姫宮さん呼びで通すべきだと思うから。


「そんなのお伺い立てなくたって別にいいに決まってるじゃない。ふふっ、変な紺野君」

「そうか? ならいいんだけど」


 単に呼ばれていないだけで、姫宮さん自身は男子に名前で呼ばれるのを意外と気にしないタイプなんだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る