第3話  黒猫は涙を流す

 

 ミスティアにとって憂鬱な時間がやって来た。


 編入生の中でもごく一部の生徒にしか行われない補習という名の特別訓練授業だ。


 ミスティアのように国の脅威になり得る危険分子とされた者達はこれらの授業で国対する忠誠心を磨き、反社会組織に狙われても自身の身を守れるようにという名目で行われている。


 聞こえはいいが、実際の内容は国の都合の良いように危険分子である生徒を飼い慣らすための調教だ。


 座学もあるが体術や刃物を使った訓練が中心で、少し気を抜けば大怪我をする。


 週に三回は行われるこの授業の内容は一般生徒には知らされておらず、周囲からは成績不良者が行われる特別講習のような体裁が取られている。


 ミスティアは昨日の訓練であちこちに打撲傷を負った。


 温かい気候になってきたが、繰り返し痣が出来るのでタイツは脱げないし、夏場でも半袖のシャツは着れそうにない。


 今日は毒の耐性をつける訓練の日だ。


 そうなると気掛かりな生徒がいた。


 放課後に集められた教室はグラウンドから元気な声が聞こえてくる場所だった。

 爽やかに青春を謳歌する者達がいる陰で、自分達は同じ学校の生徒であるのにも関わらず、それが出来ないことに悔しさと悲しさが込み上げる。


 教室に入ると探していた生徒はすぐに見つかった。


「シャマル」


 ミスティアが声を掛けるとシャマル・オースティンはげっそりとした表情で振り向いた。


「あぁ、ミスティア」

「大丈夫?」


 シャマルも編入時期は違うがミスティアと同じ類の理由でこの場所にいる。


「大丈夫じゃないんだけど……耐えないことにはこの部屋から出れないからね」


 彼は胃腸が弱く、毒物の服用がかなり身体に負担なようで、毎回のように人目につかない所で吐いていた。


「ミスティアは良いな。毒に強くて」


 ミスティアは幼い頃から動植物が好きで何でも口に入れて試してみたくなる子供だった。


 亡くなった祖父が薬学に精通していたこともあり、家にある資料を読み漁り、道具を使って実験を繰り返し、作ったものは自分で試した。


 毒も薬も、毒にも薬にもならないものも沢山作った。その中で得た知識や経験は多く、ミスティアは薬学の知識に富んでいる。


 一般の生徒よりも毒の耐性は強く、この授業はなんてことない。


 しかし、シャマルにはこの授業が何よりも負担だった。


 一定の毒物を摂取をし、経過を見る。


 それを何度か繰り返して経過を確認した後、解放される。


 ミスティアは問題なく教室を出ることが出来た。


 顔色の悪そうな生徒が悪態をつきながら教室から出て来る。

 しかし、いつまで待ってもシャマルが教室から出てこない。


 心配になって教室を覗くとシャマルが一人、教師を前にして机に突っ伏している。


「シャマル!」


 ミスティアは居ても経ってもいられずに教室へ飛び込んだ。

 駆け寄ると意識は朦朧としていて、顔色も青白い。


 口から零れた水と飲み切れていない毒を見てミスティアは顔を顰めた。


「ロンサーファス、邪魔をするな」


 まだノルマは終えてない、と教師がミスティアに告げる。


 その一言に言葉にならない怒りが膨れ上がり、反射的に教師の胸倉を掴んだ。


「あんたら教師は良いよな! 苦しんでる生徒をそうやって眺めているだけなんだから!」


 教師を突き飛ばしてシャマルの飲み残した毒を煽り、容器を教師に向かって叩きつけた。


「これでノルマは終わったから」


 ミスティアが凄むと情けなく教師は震え上がった。


「シャマル、シャマル、もう行こう」

「……ティア……」


 苦悶の表情を浮かべるシャマルを何とか立たせて肩を貸して支える。

 唖然とする教師を一瞥してミスティアはシャマルと一緒に教室を出た。


「ごほっ……・うぇっ……」


 校舎の外に出て、人気の少ない場所まで来てシャマルに胃の内容物を吐き出すように促した。


 ミスティアはとにかくシャマルが落ち着くまで背中を優しく擦り、落ち着いたら水道のある場所に移動した。


 水を飲んで、その後にまた吐き出す。


「もう……吐くも物もないな」


 ミスティアはハンカチをシャマルに渡して最後に口を漱ぐように促した。


「何で僕達だけこんなことしなきゃならないんだろうね」


 涙ぐむシャマルを見てミスティアも涙ぐむ。


 自分達が学院から強いられていることは酷く暴力的で人権を損なう行いだ。

 しかもそれを命じているのは国である。


「私達、何もしてないのにね」


 国を脅かす危険がある、それだけの理由だ。


 そんな気はさらさらないし、そんなことをする理由もない。

 それなのに、可能性があるというだけで自分達は監視され、国に都合の良いように調教されている。


 学院という檻の中で他の生徒達にはない首輪と鎖で繋がれている。


 自分達がまるで家畜のように思えてしまい、ミスティアは自尊心を傷つけられ、悔しさと惨めさで唇を噛み締めた。


 廊下やグラウンドから生徒達の楽しそうな声が聞こえる度に、自分達とは違い、普通に学生生活を送る彼らが恨めしく思えて、理不尽な状況が悲しくて涙が零れた。


 ミスティアの涙を見て、シャマルもつられて涙を零す。


「ミスティア、ここにいたんだね」


 突然、明るい声が空気を裂くように響き、振り返るとそこにいたのはキースだった。


 手には新聞紙にくるまれた紫色の花を持っていた。


「良かった、なかなか見つからないからもう寮に戻ったのかと…………」


 口を開いたキースだがミスティアの他にもシャマルがいたことと、二人が泣いている光景を見て言葉を失う。


「何か用?」


 冷ややかなミスティアの声にキースの肩が跳ねた。


「えっと……ごめん、大した用じゃないんだけど……」


 気まずそうに手元の花に視線を落としてキースは言った。


「なら、もう行くわ。シャマル、行こう」


 目元を拭ってミスティアはシャマルに促す。


「でも……」


 シャマルの視線は物言いたげなキースに注がれているがミスティアは振り向かずに歩き出す。


 キースを気にしながらもシャマルはミスティアの後を追って歩き、寮へと向かった。








「ありがとう、助かったよ」


 作業着を着た年配の用務員の男性がキースに言う。


「いえ、こちらこそありがとうございます」


 キースは放課後になり庭園の草むしりを手伝っていた。

 手伝う代わりにアイリスの花を分けて欲しいとお願いしたのである。


 用務員から花を受け取り、キースはミスティアを探した。


 喜んでくれると良いんだけど。


 笑ってくれると嬉しいが、それは贅沢な望みだろう。

 少し動揺した顔を見れれば良いかな。


 それでも少しでも微笑んでくれればいいと淡い期待をしてしまう。


 そろそろ補習も終わる時間だ。


 まだ校舎の中にいると思うのだが、もしかして寮に戻っているかもしれない。


 授業はサボっても何故か補習は必ず出席しているので今日もいるはずだ。


 しかし、校舎の中にそれらしき集団は見当たらず、補習は既に終わったのだと察した。


 部活に勤しむ者の姿しかなく、その中には当然ミスティアの姿はない。


「もう寮に戻ったのかな」


 それなら寮母さんに渡して届けて貰おう。

 本当は直接渡したいが、寮生以外は寮に入れない決まりだ。


 キースはふと窓の外に視線を向けると外の水道の側に探していた人物の姿を捉える。


 いた!


 急いで玄関から外に出て、ミスティアがいた場所に向かうとまだ彼女の姿があった。


「ミスティア、ここにいたんだね」


 声を掛けるとミスティアが驚いたように振り返る。

 急に声を掛けたから驚かせてしまったようだ。


「良かった、なかなか見つからないからもう寮に戻ったのかと…………」


 そこでキースはミスティアの目に涙が浮かんでいることに気付いた。

 大きな雫が紫水晶の瞳から零れ、頬を濡らしている。


 それだけじゃない。ミスティアの他にもう一人、男子生徒がいることに気付いた。

 しかも、こちらも泣いている。


 そして何か酸っぱい匂いが風に乗って流れて来た。


 胃液のような匂いがすることを疑問に思うが、それよりもタイミングが悪すぎた。

 どう見たって只ならぬ雰囲気で、それを察することが出来なかった自分が情けない。


「何か用?」


 ミスティアの冷ややかな視線と言葉がいつもよりも厳しく感じるのは仕方ないことと受け入れるしかない。


 空気を読まなかった自分が悪い。


「えっと……ごめん、大した用じゃないんだけど……」


 とてもじゃないが花を渡したかったなんて言えない……。


 喜んで欲しくて用意したけど受け取ってもらえる雰囲気ではない。


「なら、もう行くわ。シャマル、行こう」


 そう言ってミスティアは目元を袖で拭い、踵を返す。


 シャマルと呼ばれた男子生徒はこちらを気にする素振りを見せるが、ミスティアの後を追って行く。


 渡すことが出来なかったアイリスの花を持ったまま、キースは虚しさと情けなさを覚える。


 しかしそれ以上に何で泣いていたのか気になった。


 もしかして告白して振られたとか? いや、彼女に限ってそれはない。


 ミスティアに視線を奪われる男子生徒も多いが、彼女の振舞いには引き気味で口説きに行く度胸のある者は今のところいない。


 ミスティアが一方的に好意を持って告白した? いや、彼女を袖にするなんて有り得るのか?


 それに何で二人して泣いてるの?


 男子生徒には見覚えがあった。


 確かシャマル・オースティン、下級貴族の出身で彼も編入生だったはずだ。

 いつの間に仲良くなったのだろうか。


 自分の目の届かない所と言えば補習授業ぐらいだ。


 今日の補習授業で何かあったのだろうか。


 疑問ばかりがいくつも浮かんでキースの思考を埋め尽くす。


 明日にでも聞いてみよう。


 キースはそう思い、アイリスの花を手に帰路についた。

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