第4話 黒猫は檻から逃げ出す 

 朝起きると身体の節々が酷く痛んだ。

 身体が怠く、足を踏みしめるごとに頭痛がした。


 こんな状況でも補習を受けなければならないのは拷問でしかなく、それも今日は体術の授業だった。


 フラフラの身体では受け身もまともに取れず、あちこちに打ち込まれていたる所に青痣が出来た。


「ミスティア、大丈夫か?」


 シャマルの問い掛けにミスティアは頷くしかない。


「もうすぐ終わるから、頑張ろう」


 毒物耐性の授業と違い、体術訓練は時間が経てば終えることが出来る。


 剣技の授業は相手から一本取るのが条件だが、体術は受け身がメインだ。

 何とか時間をやり過ごしたと思ったが、ミスティア一人が呼び止められた。


「シャマル、先に帰ってて」

「でも……」

「君だって顔色が悪いんだから、早く寮に戻って寝てなよ」


 昨日の毒物がまだ排出しきれずに体内に残っているのだろう。


 身体がずっと辛そうなのはお見通しだ。


 シャマルが申し訳なさそうに出て行くとミスティアは担当教師に叱責を受ける。

 昨日の私は担当教師に暴行したらしい。


 胸倉掴んだことは事実だが、暴行というならお前らも同じだろ。


 それをそのまま口にすると頬を打たれる。


 バチンと乾いた音が静かな地下球戯場に響いた。


「反抗的な者は処分の対象となりえる。覚悟するんだな」

「そうなる前に殺してやる」


 鋭い眼光で教師を睨めば分かりやすく動揺して青ざめる。


 教師達にとってミスティアのような生徒は監視と調教の対象だが同時に恐怖の対象でもある。


 過去、教師に反発して何人も死傷者を出した生徒がいるらしく、凄惨な事件として語り継がれているらしい。


 こんな風に一方的に押さえつけたら反発もしたくなる。


 ミスティアは重い身体を動かして着替えを済ませ、玄関に向かう。

 下駄箱の側まで来ると話し声が聞こえて来た。


「リオネイラってさ、何であの編入生に構うんだ? 好きなのか?」


 キースと自分のことだと分かり、ミスティアは立ち止まる。


「んなわけねぇだろ。教師と周りのポイント稼ぎに決まってんじゃん」


 その言葉にミスティアは凍り付く。

 胸が抉られるような痛みと大きな喪失感を覚えた。


「綺麗な顔してるけど、貴族でもなければ成金でもないし、成績も悪くて性格もキツイ女になんか価値ある?」

「それもそうか」


 クスクスとミスティアを嘲笑し、男子生徒は去っていく。


「ポイント稼ぎね」


 それなら自分に構う理由も納得できる。


 馴れ馴れしく接してこられて鬱陶しくて仕方がなかったのに、彼が自分に構うのは自身の周囲からの評価だと知り、何だか酷く胸が痛む。


 校舎を出ると風が酷く冷たく感じ、身震いした。


 早く寝てしまいたいのに、寮に帰るのがとても嫌で、かといって校舎に残るのも嫌だった。


 この場所から消えてしまいたい、そう思った。


 ミスティアは下校する生徒に混ざってこっそり校門を抜け、フラフラと歩き、街に向かった。


 思ったよりもあっけなく校門を通り抜け、街まで来るととてつもない解放感を覚える。


 茜色の光が降り注ぎ、人々は急ぎ足で買い物を済ませて帰路についていた。

 行く宛もなく、フラフラと歩きながら大きな通りを進んで行く。


 すると小さな公園が視界に入り、ミスティアは公園のベンチに腰を降ろした。


 身体が重くて起きていられずに、ベンチに寝転ぶ。

 見上げる空は広く、茜色が薄くなり、夕日が夜の闇を呼んでいた。


「お嬢さん、どうしたの? こんな所で」

「もう暗くなるし、俺達と一緒に来ない?」


 ベンチに寝転んでいると聞き覚えのない声が降って来る。

 怠い身体をゆっくり起こすとそこには体格の良い見知らぬ二人の男が立っていた。








「ねぇ、どうしたの?」


 キースは校門付近で青い顔をしたままオロオロしているシャマル・オースティンに声を掛けた。


「君は……昨日の、リオネイラ君だっけ」


 シャマルの言葉にキースは頷く。


「今日はミスティアと一緒じゃないの?」


 シャマルが補習組でミスティアと一緒に行動しているとキースは把握していた。

 今日も一緒にいたらしいが、今ここにミスティアの姿はない。


「実は……いや、……何でもない……」


 歯切れ悪く言ってその場を去ろうとするシャマルの肩を掴んで呼び止める。


 校門から少し離れた所まで強引に連れて行き、話を伺うことにした。


 明らかに動揺していて、門の外ばかり見ている。

 何か様子が変だ。


 しかし、そこでキースははっとする。


「もしかして、校門を抜けちゃったの⁉」

「しっ! 声が大きい!」


 思わず大声を出してしまい、シャマルが口に指を立てる。


 どうやら図星のようだ。


「どうすれば良いか分からなくて……教師達に報告すれば彼女は必ず罰を受けるし……」


 規則を破れば罰則は付き物だ。


 シャマルは見て見ぬフリをすればいいのか、教師に報告して探し出すか迷っているようだった。


「分かった。僕が何とかするから、君は気付かないフリをして寮に戻っていつも通り過ごして」

「待って、寮の門限は五時半でもうあと三十分しかないんだ。確実にバレる!」

「なら、君は誰かに何かを聞かれたらキース・リオネイラと一緒にいるのを見たと言って」


 キースはそれだけ告げると急いで校門を抜け、待機していた家門の馬車に飛び乗った。







 如何にも小物ですと言わんばかりの男を前にミスティアは悩んでいた。


 一晩寝床を提供してくれるのであればついて行っても良いのでは?


 などと考え始めている自分がいる。

 寒気と頭痛が収まらず、ふらふらして何も考えられなくなっている。


「美味しい物食べさせてあげるよ」

「こう見えて俺、料理が得意なんだ」


 得意料理の中にお粥はあるだろうか。


 パンより米派なんだけど。


 しかし、それを声にすることは出来ず、男の一人の強引に腕を掴まれ、立たされる。


 掴まれた場所が打撲した場所だったのでとても痛い。


「痛い、離して」


 キースにも何度か腕を掴まれているが彼の時は痛くなかった。

 もしかして加減してくれていたのかもしれないとこの状況で思った。


「なぁ、行こうぜ。お嬢さんもきっと気に入るよ」

「大丈夫、食べて飲んで寝るだけだから」


 そう言ってもう一人の男がミスティアに手を伸ばした時だ。


 バシンっと何かを強く叩いたような音が響いた。


「いってぇ……!」


 ミスティアに触れようとしていた男が手を押さえて悶絶している。


「汚い手で彼女に触れないでくれるかな?」


 地を這うような低い声が聞こえた。

 その声の方向に視線を向けるとそこにいたのはキースだ。


 手にはケースに納まったままの剣が握られている。


 しかしいつものような穏やかさはなく、緑色の瞳は据わっていて瞳の奥からは激しい憤りを感じる。


 冷気を纏って凄む少年を前に怖気づく。

 男達よりも背も低く小柄なキースだが、放つ威圧感は凄まじい。


「何だ、このガキ!」

「そんなモン持ちやがって! 違反だぞ!」


「僕は生まれながらに騎士の家系。携帯は許されている。それよりも……」


 キースは剣の柄に触れながら男達を鋭い眼光を飛ばして言う。


「それ以上彼女に触れるな。本当に抜きたくなる」


 ドスの効いた声にミスティアの腕を掴んでいた男はぱっと手を離した。

 そしてそのままキースに向かって突進していく。


「危ない!」


 ミスティアはキースが殴られると思い、思わす目を瞑る。しかし聞こえて来たのは男達の呻き声で恐る恐る瞼を持ち上げると男達の方が地面に沈められていた。


 その光景にミスティアは唖然としてしまう。


 自分と大して背丈の変わらない、男子としては細見だの彼だ。

 これから成長もするのだろうが、体格の良い男達二人を数秒で倒せるなんて思わなかったミスティアは驚きを隠せない。


 そして男達に向ける冷酷とも言える冷ややかな視線は少しだけ怖かった。

 そんなキースがミスティアの元に駆け寄って来る。


「ミスティア、無事で良かった」


 どうしてだろう。


 鬱陶しくて仕方がなかった彼の声に酷く安心してしまう。


「ミスティア? 大丈夫? 頬が腫れてる」


 そう言ってキースはミスティアの頬に優しく触れる。


 その手が冷たくて心地よく、優しい声に安堵してミスティアは緊張の糸が切れた。

 膝から力が抜け、キースに向かって崩れ落ちる。


「ミスティア⁉ ミスティア⁉」


 必死に自分を呼ぶキースの声が次第に遠ざかっていく。


 酷く取り乱したキースの顔が視界に入り込んだが、重くなった瞼を開けていることが出来ずにミスティアはゆっくりと双眸を閉じた。







「彼女に怪我はないかい?」

「頬が腫れてる……叩かれたみたいだ」


 馬車から落ちて来た父、フランシスがキースに訊ねる。


 校門に待機していた家門の馬車に乗り込むと思いがけず、父が乗っていたことに驚いた。


「たまには一緒に帰ろうと思って待っていたら、お前があまりにもの慌てて飛び乗ってくるから驚いたが……とりあえず、彼女は寮に送ろう」


「待って。きっと何か理由があるんだと思う。父上、彼女を屋敷に連れて行っても良いですか?」


 具合が悪いのにわざわざこんな所まで来たんだから、何か理由があるのだろう。

 どうにかして父を納得させて連れて帰りたい。


「良いだろう。学院には伝えておく」

「ありがとうございます、父上」


 あっさりと受け入れてくれたことは意外だったが、これで彼女の介抱が出来る。


 キースはミスティアを抱きかかえて馬車に乗り、自宅まで連れ帰った。


 家に帰ると女の子を抱いていることに使用人達が驚いたが、ミスティアの世話を快く引き受けてくれた。


「彼女のことは気掛かりだろうが、先に食事を済ませてしまおう」

「はい。父上」


 久しぶりに家族全員が揃った食事だったがミスティアのことが心配で楽しい会話も弾まない。


 申し訳ないと思いながらも適当な所で退席し、ミスティアの様子を見に行った。







「彼女の様子はどう?」


 キースの問い掛けに年かさのメイドは何やら深刻な面持ちをキースに向ける。


「熱は高いのですが、喉の腫れや咳をする様子もないので、薬は飲まずに頭を冷やしております。頬は誰かに叩かれたのでしょうか……腫れていて唇が切れておりました。それと……」


 途中で言葉を詰まらせるメイドにキースは首を傾ける。


「気付いたことがあるなら教えて」

「はい。実は――――――」


 メイドから告げられた内容にキースは言葉を失った。






 一方、キースが退室した後の食堂はキースとキースが連れて帰った女子生徒の話題で持ち切りだった。


「驚いたわ。あの子が女の子を連れて来たなんて」


 嬉しそうに微笑むのはキースの母でリオネイラ子爵夫人だ。


「僕も驚いたよ。馬車に乗って待っていたら血相を変えて飛び込んで来るんだ。しかも同級生がいなくなったから探すと言うし、見つけたら一目散に駆けていくんだ。ちゃっかり僕のサーベル持って行くし、まさかの相手は女の子だ」


 フランシスは必死な息子の様子を事細かく妻に語る。


「本当ですか? あの人嫌いのキースがですか?」


 信じられない、と訝しむのはキースの兄であるオリハルトだ。


「キースは人前では穏やかで親しみのある雰囲気に見えますが、根は恥ずかしがり屋で人付き合いが苦手なのは父上も母上もご存じでしょう? 女性の相手は全部俺に押し付けるんですよ。そんなあの子が女の子を連れ込んだなんて……興味しか湧かない。乾杯しましょう。ジュースですが」


 弟を貶す素振りを見せて、遂に春が来た弟を祝わずにはいられない兄のオリハルトはグラスを掲げた。












 

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