第2話 黒猫は威嚇する
アイシャンベルク学院は初等部、中等部、高等部があり、入学試験は非常に厳しく、貴族であろうが水準を満たせなければ容赦なく振り落とす。この厳しい最高難易度の試験に合格した者のみが入学を許される。
キースはその入学試験を受けて見事上位で合格をして入学を許された試験組である。
学力至上主義の学院だが、稀に外部からの編入も受け付けている。
学力の他にも音楽や絵画などの芸術的な才能のある者、剣技などの武術やスポーツに秀でた者を外部から引き抜き、その才能を育てることを惜しまない。
ある日、キースのクラスに編入生がやってくると知らされた。
なんでも、持っている知識と技術で国に貢献したらしく、それも女子生徒というから驚いた。
そして登校初日、クラスに教師と入って来た少女を見た瞬間、忘れていた過去の記憶が蘇ったのである。
幼い頃、父親に連れられて訪れた花屋にいた少女だ。
少し照れたようにはにかむ少女はとても可愛らしく、すぐに親しくなれた。
少女の笑顔は眩しくて愛らしく、優しくて、それでいて勇敢だった。
危険から身を挺してキースを守ろうとしてくれたのだ。
その時の記憶を思い出し、キースは胸が大きく高鳴り、身体がまるで沸騰しているのではないかと思うほど熱くなり、すぐに駆け寄りたい衝動に駆られる。
艶やかな長い黒髪、紫水晶のような美しい瞳、色白で小さく凛とした顔立ちは幼い頃の面影を残したまま美しく成長していた。
クラスの男子が思わず見惚れてしまうような美しさとどこか神秘的な雰囲気はあの頃にはなかったが。
間違いなく、あの時の少女だ。
もう会えないと思っていた少女が目の前に現れ、懐かしさと嬉しさでキースは震えた。
しかし、雰囲気が随分変わっていることに気付く。
キースは席から彼女を観察するが以前のような笑顔はなく、不満そうで苛立ちと鬱憤、刺々しい雰囲気が離れたキースの元にも伝わってきた。
話掛けたら睨まれ、誰だお前、みたいな冷たい視線しか返って来ないことには流石に傷付いた。
しかも、自分は幼かった頃の思い出を覚えているのに、ミスティアは全く覚えていないようで、キースの名前に全く反応しなかった。
自分を全く記憶していないのにいきなり親し気に話しかけられたら、馴れ馴れしいと思うのも当然だ。
だが、あまりにも昔と違い過ぎてキースは戸惑う。
おかしい……こんな感じじゃなかったのに。
昔から活発な子で草花が好きで、野原を駆け回っているような子だった。
人と触れ合うことにも抵抗がなく、道行く人に惜しみなく笑顔を振りまく天使のように愛らしい少女だった。
それが一体、何故に人を睨みつけるような子になってしまったのだろうか。
きっと彼女をそうさせた何かがあるのだろう。
それが何なのかがキースは気掛かりだった。
しかし、一人で考えていても仕方がない。
キースは意を決してミスティアとの関係をやり直すことにしたのである。
ミスティアは寮の自室で大きな溜息をついた。
編入生は学院の近くに住んでいても強制的に寮へと入れられる。
そこに生徒の意志はない。
門限も厳しく、敷地内から出るには手続きが必要で、それも受理されなければ外出は出来ない。気軽に外へと出られない環境に身を置くことになり、それに対しても鬱憤が溜まる。
手持無沙汰で時間だけがいたずらに過ぎていき、時間の喪失感を覚える日もあれば、やけに時間が過ぎるのが遅いと感じることもあり、苛立ちは募るばかりだ。
怠い身体を起こして制服に着替え、食堂に降りる。
配膳された料理をほとんどの生徒は美味しいと言って食べているがミスティアはいくら食べても味がしない。
あまり喉を通らず、ほとんど残してしまう毎日だ。
「あんた、またそんなに残して! 倒れても知らないよ!」
寮母の中年女性に見つかる度に言われるが食欲がないものは仕方ない。
ミスティアは寮を出て他の生徒に混ざり校舎へと向かう。
「おはよう、ミスティア」
振り向くとそこにはまたもや嫌いな男子生徒の姿がある。
無視して歩くが向かう場所は同じなので自然と並んで歩くことになった。
朝はちゃんと食べたか、よく眠れたか、昨日は星が綺麗だったとか、たあいもない話ばかりしてくるから鬱陶しくて仕方がない。
自宅からの登校するキースは寮での生活について興味があるのか、色々聞きたがるが面白いことは何一つない。
仕舞には一度寮生になってみたい、などと言うから腹が立つ。
家族と一緒に何不自由なく暮らせて、学校では優等生だと持て囃される彼にはミスティアの苦しさなんて分かるわけない。
そう思うとイライラして怒鳴りたい衝動を堪えるのもかなり大変だった。
「ねぇ」
ミスティアは立ち止まり、キースに向き直る。
「お願いだからもう私に構わないで」
イライラしておかしくなりそうだ。
ミスティアが願っても叶わない自由を手にしてのうのうと生活しているキースを見ているといつか本当に暴力的な衝動に駆られてしまいそうだった。
「困ったな」
ミスティアがいなくなった廊下でキースは呟く。
全く心を開いてくれる気配がない。
距離の詰め方を間違えただろうか。
餌をあげようとしても懐かない黒猫がシャーっと威嚇してるような感覚を今まで面白がっていたが、関係に進展がないのは問題だ。
このままでは威嚇だけでなく爪を立てられそうだな、とキースは察した。
どうしようかと考えあぐねていると窓の外に紫色の花が目に留まる。
ミスティアの瞳と同じ色の花弁は瑞々しくとても美しかった。
そこでぴんっと閃いた。
確か草花は好きだったはず。
ここへ来てからも庭園や花瓶に生けた花を眺めるミスティアの姿を見ているため、花が好きだということは分かっている。
これなら関心を引けるかもしれない。
キースはそう思い、教室ではなく用務員室に足を向けることにした。
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