TRUE END 分愛

「……よし、出来た」


 俺は目の前の机の上にある物を見て独り言ちる。机の上には多くの文章が書かれた一冊のノートと筆記用具が置かれており、書き終えた満足感に浸っていると、後ろから声をかけられた。


「青志君、完成したの?」

「……あ、夏子叔母さんに愛奈。うん、どうにかあの8月の事は書き終えたよ。俺の主観で日記のような形で書いたメモだから、後はこれを元にして原稿を書くだけ」

「そっか」

「二人はどうしてここに? さっきまで一緒に台所で料理してたと思ったけど……」


 俺が疑問を口にすると、愛奈はにこにこと笑いながらそれに答える。


「お義母さんが後は私がやっておくからって言ってくれて、私は夏子さんと一緒に様子を見に来たの。私の頼もしい旦那様がしっかりやってるかなって思ったからね」

「心配はいらないよ。この件は俺が責任を持ってちゃんとするべきだからさ。もう10年も前の事ではあるけど、一番の関係者として責任はしっかりと持つつもりだ」

「10年……かぁ、あの8月からもう10年が経つんだね」


 愛奈がどこか懐かしそうに言う姿を見ながら俺もあの夏を、特に8月31日やその翌日からの出来事を想起した。

母さんと夏子叔母さんが和解し、愛奈を父さんの手から救い出した後、警察に逮捕された父さんと少し落ち着いた愛奈から警察と義両親が事情を聞いた。

俺が男子水泳部の部室で愛奈の体を味わい、酷い言葉を言い放ったその日の夜、寂しさを抱えた愛奈は夜の街を歩き、偶然見つけた父さんを俺の代わりにしようとした。

水泳の大会や三者面談などで父さんの顔を前から知っていた愛奈は父さんに近づき、愛奈がいる事に驚いた父さんに対して一夜だけの関係を迫った。

その頃、父さんは夏子叔母さんの件で母さんと喧嘩していたストレスも溜まっていたのもあったが、前々から愛奈の事は可愛い子と思っていたらしく、俺の同級生である愛奈が誘ってきた事をラッキーだと感じてその誘いに乗ったようだった。

だが、夏子叔母さんに女性の扱いについて実技で手解きを受けていた俺とは違って、父さんはあまりにも自分勝手で乱暴だった事から、愛奈は本当に一夜だけの関係にしようと考えていたが、幼さの残る中学生の体にすっかり魅了された父さんは愛奈との情事や裸体を隠し撮りしてそれをネタに脅し、その後も関係を続けさせた。

その後も父さんは録音や録画をしたり媚薬や排卵誘発剤を騙して飲ませてまともに考えられない頭にした状態で事に及び、父さんは母さんと別れて愛奈と結婚したり自分の子供を産ませたりする計画をしていたようだった。

だが、愛奈がお義母さんに託していた手紙を俺が読んだ事でその計画は頓挫し、父さんは未成年への淫行で逮捕され、会社もクビになった上に母さんからも離婚を突きつけられ、今は一人で生活をしており、日雇いで暮らしながらも援助交際にハマり続けているそうだ。

父さんの行いは大きなニュースとなって、俺達もしばらくは好奇や嫌悪の視線を向けられたり新聞記者やテレビのリポーターから取材をさせてほしいと言われる生活を続けていたが、それよりも辛かったのは被害者の愛奈だった。

事件から少し経った頃、周囲から避けられたり様々な視線を向けられたりしていた愛奈は父さんの子供を妊娠してしまった事が判明し、義両親は責めないから堕ろした方がいいと言った。

けれど、愛奈はこれは自分の犯した罪の証なのだと言って産む事を決意し、俺も愛奈に対して酷い事をした責任があると感じていたため、愛奈を抱いた日の事を義両親に話し、子供の父親となって愛奈を生涯支えさせてほしいと土下座した。

俺の告白に義両親は複雑そうな顔をしていたが、俺の覚悟を義両親は認めてくれ、義父からの本気の一発を受けてから、俺は愛奈に生涯支えさせてほしいと言い、愛奈もそれを認めてくれた事で俺は愛奈の恋人兼子供達の父親となった。

妊娠の報せはすぐに周囲に広まり、愛奈や俺を見る目は更に冷たくなったが、そこに救いの手を差し伸べてくれたのが夏子叔母さんと母方の祖父母だった。

母さんとの和解の後、夏子叔母さんは母さんと一緒に実家に戻り、自分の両親にも心情を吐露してそれをわかってもらえた事で和解していた。

その後、母さんを通じて愛奈の妊娠や俺達の現状について聞いており、当時の俺達に対しての周囲からの冷たい視線や未だに来ていた新聞記者やテレビのリポーター達が母体には良くないと判断して、こっちへ移り住めば良いと言ってくれた。

これまであまり意識はしてなかったが、母方の祖父母はその地域でも有数の資産家だったようで、自分達が住む土地と家以外にも幾つかあるから、その内の一つに移り住んで出産や子育てをしながらこちら側の学校にも通えば良いと言ってくれていて、少しずつ愛奈の精神にも影響が来ていた事から、俺達もその言葉に甘える事にした。

そうして引っ越しと転校でバタバタはしたものの、結果的にこの選択は正解だったようで、少しずつ愛奈の精神も落ち着き始め、双子だった子供達、青奈せな愛志あいしも無事に産まれてくる事が出来た。

その後も子育てをしながら俺達は学校に通い続け、愛奈のマタニティブルーや奔放な子供達の相手にも苦労しながらどうにか大学を卒業する事も出来ていて、卒業と同時に俺は改めて愛奈にプロポーズをし、俺と愛奈は正式に夫婦になったのだった。

因みに、子供達には実の父親が俺の父親であり、俺は腹違いの兄である事は小さい頃に伝えてある。それを聞いてだいぶショックを受けるかと思っていたが、驚きはしたものの、子供達も小さいながらも俺達の苦悩や事情は雰囲気から何となく察していたようで、そういう事情があっても自分達の両親は俺と愛奈であると言ってくれて、それを聞いた俺達は安堵から涙を流した。

そんな子供達も今では小学生として毎日楽しそうに学校に通い、夫婦となった後に出来た俺達の子供の青夏せいかも無事に産まれてきてくれて、少し年の離れた兄妹ではあるが、三人とも仲良くしてくれている。


「……思えば、夏子叔母さんの復讐からあの8月は始まったんだよな」

「そうね……今ならあの時の私の行動はとても馬鹿馬鹿しいと言えるし、みんなに迷惑をかけた事も反省してる。私があんな事をしなければ、青志君も愛奈ちゃんももしかしたら普通に恋人関係になって、向こうで楽しい生活を送れていたかもしれないもの」

「たしかにそうかもしれませんけど、私はこの人生を後悔してませんよ。結果的に青志君と夫婦になれて、あんなにも良い子供達も出来て、色々支えてくれる人達もいる。これ以上なんて望んだらバチが当たっちゃいます」

「これ以上、か……」


 愛奈の言葉を聞いた後、俺は二人を見回しながら話しかけた。


「二人とも、もしもあの8月の初めに戻れたとしたら戻りたいか?」

「あの8月の初めに……そうね、私は戻らないかな。戻ったところで他にやれる事もないしね」

「私も戻らないかな。戻ったら、勇気を出して青志君に積極的にアタックはするけど、たぶん青志君は中々それに気づいてくれない気がするし、今の生活に私は満足してるから」

「そっか」

「青志君はどうなの?」

「青志君は戻りたいと思う?」


 二人からの問いかけに俺は静かに答える。


「俺も戻らない。戻ったところで俺は人付き合いが苦手なままだから何もない8月を過ごすだけになるし、あの8月31日の選択も後悔してない。俺には幾つかの選択肢があって、二人から目をそらしたり夏子叔母さんとの関係を保留にしたり、それとは逆に関係の進展を望んだり愛奈のところへ行ったり、と色々な可能性があったと思う」

「そうね」

「でも、これがたぶん一番の選択だったんだよ。夏子叔母さんも母さん達と和解出来て、愛奈も父さんとの関係を絶てた上に自分の両親や子供達とも良好な関係でいられる。愛奈の言う通り、これ以上なんて望んだらバチが当たるくらいだ」

「うん、そうだね。まあ、どの選択をしても青志君のお父さんだけは結末が変わらない気がするけど」

「それは間違いないわね。私は叔母を文字ってオオバって名乗ってたけど、あの人は愛奈ちゃんとの関係を隠すためにアナって呼んでいて、その理由の一つが結構最低だったもの」

「愛奈のいを抜いてアナだけならまだ良かったですけど、自分の欲求を満たす“穴”という意味でもアナって呼んでたのは本当にショックでした」

「それに、今でも援助交際にハマってるって聞くし、前に一度俺だけでもやり直さないかって言ってきたのを断ったのは間違いじゃなかったな」

「同感。私もその件で彼への未練も絶ちきったし、今は新しい恋の相手もいるから。戻るよりも私は前に進むわ」

「私も夏子さんと同じかな。戻るよりも今を受け入れて前に進みたい」


 そう言う二人の姿はとても美しく見え、俺はこの二人が幸せになれる道を選べた事を心から嬉しく思えていた。

さっきも話していたように俺には幾つかの選択肢があった。もしかしたら今みたいに愛奈と結婚した道や夏子叔母さんと添い遂げた道もあって、中にはまた別の爛れた人生を送っていた道や自分の選択を後悔していた道もあったかもしれない。

だからこそ、俺はこの道を進んでいく。一つの選択によって手にしたこの幸せをしっかりと噛み締め、大切にしたい人達との関係を決して離す事なく、俺はこの愛を分かち合える道を進んでいくんだ。

そう心に誓っていた時、夏子叔母さんは俺を見てクスリと笑う。


「……良い顔してるわね、青志君。まだ青くて固い果実だった貴方も今はすっかり甘く熟した良い香りの果実になったんじゃない?」

「それは夏子叔母さんと愛奈がいたからですよ。ほら、リンゴやメロンを熟したい果物と一緒にしておくと、早く熟せるっていいますし、同じくまだ青かった愛奈とすっかり熟していた夏子叔母さんと一緒だったから、俺はちゃんと成熟出来たんです」

「ああ、たしかエチレンガスの影響だっけ。それなら、青志君にとって私がリンゴで夏子さんがメロンかな?」

「あら、それはどこの事を言ってるのかしらね? でも、私だってまだ少し青いところはあったわ。だけど、あの夏が私達にとってのエチレンガスになり、青かった私達はちゃんと甘い果実に成熟出来たのよ」

「そうですね。さてと……あの8月の事はメモ出来たし、少し休憩したらプロローグを書いてから情報をまとめ直そうかな」

「夏子さんから紹介してもらった出版社の人達と一緒にそれを元にした物語を書くんだもんね。タイトルは決まってるの?」

「……一応な」


 愛奈からの問いかけに答えた後、俺は決めていたタイトルを口にする。


「“青い果実達は甘い果実と共に夏に熟れる”、だよ」

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青い果実は甘い果実と共に夏に熟れる 九戸政景 @2012712

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