八十四件目 繭括り【お岩・戯】前編

「ッ…、頭痛が…、ッ゙お岩、平気か??」

戯は状況が急に一変する直前に自身の頭に容赦なくぶつかってきた本によって出来たたんこぶを撫で、少し苦しそうに頭を抑え乍らあたりを見渡す。然し、そこにお岩の姿はなく、四十人程度収容できる一つの教室、夕暮れ時の室内に、オレンジ色に溶けた太陽の木漏れ日が一人の少女の姿を幻想的に照らしている。

彼にはその姿がすごく見覚えがあった。

「先生か?」

無意識につぶやいたその声が届いたのか、少女はゆっくりと此方へと振り向いた。

「あ!戯じゃん!来るの遅かったね〜。てか先刻はヤなもの見せてごめんね?あ、でも身体は全然元気もりもりだし、この通り大丈夫だから!!」

先生、と呼ばれた少女悠寿は、にこにこと笑顔を振り向きながら二人きりの空間を盛大に祝うように、木漏れ日をアクセントにして器用に机や椅子にぶつからないようにしながらくるくると回ったり、ジャンプしたりとコスプレに過ぎない服装をゆらゆらと揺らしながら楽しそうに踊りだした。

「元気そうだな、先生。安心した」

「ん〜?ボクはいつも元気だよ?でも今は、戯があまりテンション高くないからそういう意味ではあまり元気じゃないかも。…あ!でも戯のせいじゃないんだよ!?」

「承知している」

「それならいいけど…何かあったの?」

悠寿は彼との身長差を少しでも埋めて、彼の目を見て話そうと背伸びを試みる。然しバランスを崩して、終いには戯の胸に飛び込むのであった。

「うぁっ!?ご、ごめん…えへへ…」

「…ふっ」

「…あー!?今笑ったでしょ!!もう!ボク真剣なんだからちゃんと話聞いてほしいんだけど?」

頬を膨らませ戯を見つめる彼女と、それを見てつい頬を緩ませる戯の姿は、まさに年相応の恋仲同士に見受けられる。少なくとも、戯はそれを無意識に感じていた。然し、それを阻む事実の存在があることを、惜しくも戯は心の何処かに塞ぎ込んで、頭ではちゃんと理解っているつもりなのが現状である。

「然し先生、その真剣さとちゃんと話を聞いてほしいという気持ちは俺にもあるぞ」

鬱陶しいとも、正夢になってほしいとも思えるこの夢に終止符を打とう。戯は悠寿に擬態している目の前の人物に、警戒心を悟られないように慎重に成り乍ら、彼女の瞳に視線を合わせる。

「む?そうなの?…でも今はボクの質問に答えてよ。なんで戯はそんなにテンションが高くないのさ。普段ならもうちょっとふふふ〜って笑うじゃない!」

「…俺のてんしょん、とやらが普段より低い理由ということか。理由は簡単だ、先生。それは…」

戯は先程までの柔らかい表情から、真剣な表情へと早変わりした。だが目の前にいる悠寿は変わらずにこにことしながら、戯の次の言葉を物理的に塞いだ。戯がそれに気づいた時、彼の口に蛸の吸盤の様なものが侵食してやろうとしていた。

「ふ、ぁが、?ッ!!」

’’貴方は俺のお慕いしている先生ではない’’

その言葉なんて聞かなくても分かってるんだよ、という反応を察しろと言わんばかりに、彼女は不敵な笑みを浮かべ云った。

「ふふ、あはは!戯くん。そこのタコはナイーブなんだから、自分勝手にタコ足噛みちぎって食べようとしないでほしいな」

戯を仕留めたのを合図に、ぞろぞろと悠寿の面をした化物が現れた。初めて彼女と出会った時の姿の悠寿、制服の悠寿、白無垢姿の悠寿、蛸足を生やした悠寿、そして唯一顔を狐のお面で隠している悠寿など、ぞろぞろと姿を見せては、戯を嘲笑う声がどんどん近く、大きく聞こえてくる。それに並行して、戯の食道を強制的に拡大させる様に、蛸足が次から次へと侵食してくる。

白無垢の女が言った。

「ひっ…か、彼の喉、すごい広がってます。これ、やばいんじゃ…」

「これくらい平気でしょ。そのまま甲状腺が破裂して消えちまえばいいのに」

「そうよ、大体恩も義理も何も無い男に、何であんた庇うような発言するのかしら」

白無垢の女を袋叩きにする発言が飛び交う中、白無垢の女は再び同じ事を繰り返し発言してから、首を90°回旋させて、そっぽを向いてしまった。

「……」

彼は口から泡を吹き出した。

蛸の身体が侵食しきったのを悟らせる様に、喉や腹部が膨張し、寄生虫に体を乗っ取られた蟷螂の様な姿をし喋らなくなった戯を他所に、悠寿達は楽しそうに談話している。彼の耳には、醜い子と呟く悠寿の発言だけが最後に残った。

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