八十三件目 繭括り【お岩・戯】 お岩編
「いたた…うぅ…」
瞳に少し涙を溜めながら、周囲を確認する。本棚がぎっしりと並んでいることから’’としょしつ’’と理解した。
カーテンが引かれているせいで奥の方は何があるのか解らないが、床を辿り見ると、小さく月光が零れ落ちている所から、誰かの気配がしたが、態々そこまで行って確認する程の気力は残っていなかった。
相変わらずの血色感のない手、埃や擦れた痕のついた制服、以前よりはマシになったものの落下の衝撃により乱れた黒髪は、きっとみすぼらしく、誰かの視界に入れてはいけない。そう心の中で掟を取り付ける様に、床に拳を当てる。
その一部始終を見ていた戯がぼそっと呟いた。
「また落下したらどうなるのか気になるのか?」
「へ…?…、いえ、否、べつに、なんでも…。その、いらっしゃったんですね…。すみません、すぐ気づけなくて」
「気にするな。何か集中しているように見えたから話しかけない様にしていただけだ。その代わりにこの空間を粗方探索できた。それだけでも大収穫だ」
「そう、ですか」
お岩は再び俯いた。
この人はきっと私の落ち込む所をカバーしてくれているのだろう。だけどその優しさが何処か恐怖と不安を帯びているように感じて嫌になる。彼が悪くないのはこの場にいる私が一番知っているはずなのに、どうも水と油の様な嫌悪感を覚えてしまう。
「すみません、私少し外の空気が吸いたいのでりせきしますね、」
重くたどたどしい足を屈曲して近くの丈夫な棚に手をかける。
しかし不安定な位置に置いてしまった手は頼りなく重力に従って下へもつれていき、土産と言わんばかりに数冊の本も一緒に落下してきた。でろんとした液体と共に現れたうにょうにょと動く虫が真っ逆さまにお岩の方へと落ちていく。一瞬の光景だったが、スローモーションで見えた虫の顔は、先程見た馬鹿面の司会者と大差のない顔がこちらを見て、勝ち誇った表情をしていた。
「退け!!」
あ。
とお岩が声を出そうとした時、そして戯が自身の体格の良さで覆い被さった時、しゃんしゃんと三味線の煽る音色と共に場面が物理的、視覚的にがらりと雰囲気が変わった。
「毎度毎度忙しいな…何なんだ此処は…」
視界が朦朧とする万華鏡の様にころころ変わる場面に脳内整理が強制停止されそうになるのを堪え、目の前の出来事に対して必死に情報を搔き集める。
「おい岩、平気か。平気なら何か返事をしろ」
図書館ではないのはこの陰湿な不気味さが物語っているが、戯の獣耳が警戒を示す様に当の本人も中々足が前に進まない光景だ。手足が上手く反応しない。代わりに外側から汚い笑い声と共に、悠寿に似た顔立ちの化け物が目の前に姿を現した。
「あは、こりゃ顔立ちの善い男だねぇ。早くお前の身体の髄まで血液も臓器も何もかも私のものにしちまいたい」
「ふん、随分と悪い趣味の女には魅力を感じない所か反吐が出る」
戯は体を拘束され、体内に毒を注入されようが動じることなく、寧ろ挑発的な表情で相手を煽るように見下した。
「ほう?主妾に随分と偉そうな態度ばかりやの。今の状況下でなら妾の方が圧倒的に有利じゃぞ。試してみるかえ?例えば主の皮膚なんぞ――」
女はその挑発に促されるように、溶けた衣類から見える戯の筋肉質な身体を指でなぞる。が、戯の皮膚に指を滑らせる程女の指はどんどん蒸発し溶けていく。
「はて?何故じゃ?先刻捕まえた死神は直ぐ溶けたのにつまらんの。」
「死神の身体が溶けたようにでも見えたのか?それなら愚問だな。錯覚でも見ているんじゃないか?それこそ’’狐につままれた’’様に、な」
戯が自身の腕に強く力を入れ、自身の身体を拘束する繭が織りなす糸をびちびちと破れていく。その音を合図に、外側から繊維を引きちぎる音と女達の悲鳴が響き渡る。女の悲鳴が途切れた刹那、今度は息切れた声のお岩の姿が引きちぎれた繊維の先から現れた。
「あ…、あの、すみません。その…えっと、」
手には繭糸が絡みついていたり、ぎゅっと握りしめている包丁には明らかに事件の匂いがする痕が大きく残されている。
「刺客か?それとも使い捨ての駒かえ?」
女はくつくつと笑いながら、足元を這う様に繭糸を走らせる。だが女が瞬きした時に目の前にいたのは、先程まで身体を拘束されていたあの
「如何した?」
「はえ?あの女は何処いったんじゃ?」
女は、反射で後ろを向く。然し、あの女の姿は何処にも見当たらない。何処に身を潜めている?その怪しんだ瞳で周囲を見渡すが何処にもいないのだ。
「小癪な女じゃの。どうせ先程の悲鳴や包丁じゃて、只の茶番劇に過ぎん戯言の―、たわ、ご―…」
女はけたけたと笑い、繭糸が連なってできた髪を指に絡ませ、怒りを昇華させる。その最中で急に言葉に詰まり出す女に異変を感じ取った戯だが、瞬時に状況を察した後、足に絡みついている繭糸をちびちびと呑気に剥ぎ取り始める。
「お、おい主か?妾、の…からだ、が」
女が視線を落とした先には、自身の腹部に包丁が複数刺されておりまるで赤く綺麗に染まった繭糸を絡めた生け花の様である。
「す、すみません…なんか、ああっ、体が、勝手に」
お岩の口調とは裏腹に手先はやめることを知らないといわんばかりに刺し続ける。やがて女が喋らなくなった、という時でさえ、彼女の手は止まらなかった。
「その、すみません…悪気はない、んです…」
「その割には無数の刃物が刺さっているように見えるが?」
「あ、戯さん、これとめてもらえませんか…。私、こんなの、いやです、」
「それは本心か?ならば自分の意志を態々口で紡がずとも止められるはずだが?」
戯はそれだけ言うと、ぐったりとした女の顔面を踏み台にしながらその場を後にした。普段ならもう少し優しい狐に感じていたはずの彼だが、今お岩の視界に映る彼は普段自分が知っている’’戯’’とは違う別人にしかみえなかった。
「なんで、ですか」
旦那に
その間でもぼたぼたと、血液、手から無数に生み出されるナイフが彼女を中心にただ、ただ無様に周囲を埋めていく。そして自分の意志とは裏腹に、何度も何度も目の前にいる女の背中を刺し続けた。
「こんな光景みたいだなんて嘘でも願わない…、それに私は本心でやってるわけじゃないのにッッッ…!」
無意識に自分は悪くないと自己防衛反応を張ろうとする私の惨めな心にも刃を刺したくなる。そんな何処にも行きようのない苛つきを只管自身の心の中に吐き出し溜め込んでいると、ようやく自分の気持ちが伝わったと言わんばかりに、手の平からの刃物の生成がぴたりと止んだ。
「あ、あれ…?おちつい、た?」
ぷつりと途切れた糸の様なか細い声でつぶやけば、今までの光景が砂のように視界から消えていった。今の、今までも出来事は嘘だというの?そんな疑問と滑稽さをにじみ持った違和感にから笑いする。その間眼の前で倒れている女は、まるで今にも動きそうなほどの生々しさへ感じる程、白い陶器肌から血の気多く感じた。
「まだ元気そうで羨ましいです。お気持ち程度になってしまいますが、ここにハンケチと絆創膏だけ置かせていただきますので、どうぞお使いになってください…、ってなんだか滑稽ですね。
それと、……そんな状態な所恐縮ですが、これから駄弁る貴方より孤独な私のつまらない独り言でも聞いて、心の中で嘲笑って頂いてもかまいません。
初めて私が私を終えて、生きていた頃よりも更に醜く汚い怨霊という姿になって…―――みすぼらしく誰も手を差し伸べてくれないような状態の中、恐神さんや真泉さんなどの御方を始め、色々な方の優しさに触れられる経験が出来て嬉しかったです。ただ、私なんかがこんなことを言っても何の効力はありませんが、どうか私の友人方を痛めつけないでください。」
少し震えた声で、先程よりも自信のない弱った反応を見せる彼女は、普段よりもさらに小さく見える体を更に縮こませては、今から雨嵐が来そうな程暗い雰囲気を纏わせてその場を立ち去った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます