七十九件目 永遠を恋うなら 其の三
溶けた紅い満月を移すぬるりとした大きな
「おお…俺の顔、心做しか少し若返ってる気がするンだが判るか!?」
「ふん。知らぬ。貴様が若返ることなど到底無理な話だろうに、何故そんな理想に近く、手が届かないものに成れたと自己を洗脳しているのだ。」
「そ、戯…お前乙女心ならぬ人間心を全っっっ然判ッてねェよな」
「別に俺は判りたいとも判ろうとも思わぬ」
「んだとおおおお!!?」
その二人の会話を観察しているお岩は、小さな兄弟の会話みたいで可愛らしい、と頬を緩ませながら見ていると、水がごぽごぽと音を立てて沸騰し、海月に扮した綺麗な半魚がゆらりゆらりと水中を踊る様に泳ぐ様子が見えてきた。
「わぁ…綺麗。何処かの姫君様でしょうか。」
「?姫君?…水中に何かいるな」
お岩の声に感化され、続いて二人も水中に顔を近づける。その間も海月の半魚は、此方の視線に気づいているのか解らぬ様子で終始目を閉じきった儘水中遊歩を楽しんでいる様子が伺える。
「あの〜〜!!そこで泳いでる海月なのか人間なんかわからん人!!俺の相棒のマイズミが何処に行ったか知りません?いやぁ〜…困ったことに、つい先刻知らん輩に連れて行かれちゃいまして…」
「おいマイナス五歳児。こんなところで泳いでる魚に居場所が判る訳が…」
戯はあまり気乗りしない反応で、恐神に他を当たるぞと言わんばかりに肩を叩く。然し、予想外の回答に恐神の表情が日向のように明るくなった。
’’知ってるよ’’
「え’’!!ほんとか!!そしたら泳いでるところ悪いけどさ、何処にいるのか、教えてくれよ」
’’いいよ’’
’’でもその前に、私のお願いも聞いてほしい’’
「お願い?何だ、お願いって。ツーショット撮ろうぜ〜とかか?」
’’農夫、知らない?’’
「は?農夫?何だそれ。俺農家じゃあねぇから知らねェな」
’’農夫だよ。農夫。’’
半魚は水を良いアクセントに優雅に飛び跳ねて見せたり、泡を沸かせてはそれを上手くハートの形に見せたりと様々な芸達者な姿を目の当たりにさせる。然し、恐神の回答が自分の求めるものと違うのか、徐々に水が毒々しい色と温和な甘い匂いを噴かせた空気が漂い始める。
「外野からすみません。その’’農夫’’というのは、何かの略称でしょうか。それとも異名ですか。他にも情報を下さらないと、私達には何も判らないです。」
“なに、わからないの。’’
’’最高神に仕える農夫、通称死神―――聞いたこと、あるよね?“
半魚は熟した果実の様な粒状の瞳を瞼から露わにさせ、三人の目の前に彼らが想像する
「悠寿…?あれ、何で…?紙…か、、、なんとかさんに連れて行かれて…」
最近は所々自分を避けたり距離を空けられていた気がし、気分が少し下がっていた恐神の鼓動が、数センチの距離感によって心拍数の上昇に比例しバクバクと騒がしい。
「なにときめいてんだよ」
口をぱくぱくさせて完全に油断している恐神を見かねた聞き慣れた声が、恐神の背中をばしっと強く叩いた。
「本物よりも、キミは錯覚のボクの方が好きなの?」
片手には先程の火傷の痕跡、見慣れたあの金髪ショートカットとスポーティな服装をくまなく視線で追うこと十数秒。大きな時差と共に「悠寿だ」と確信した。
「…本当は裏方で支援したかったんだけどねぇ…、皆が幻像のボクとばかりいちゃいちゃするからさ」
悠寿は半魚に対して、こんにちわ〜と柔らかい笑顔で手を振ると、水中であっけらかんとしていた半魚の下半身から伸びている数本の触手に三人の体を絡めて、一気に水中へと引き摺り込もうと力一杯な攻撃を仕掛ける。
「あは、最初からそうして自分の不足した栄養素を補充しようとしてたんでしょ?人間にそんな優しくする人のフリなんて、それで騙されるのは“中身が優しすぎる人“だけだよ」
「しにがみ、しにがみ、しにがみ、しにがみ。なんで。おまえはとれれば、わたしは、わたしは、わたしは、わたしは、わたしは。」
「はいはい…まぁ取り敢えず、そんなに私が欲しいならこうしよう」
悠寿が親指を鳴らすと、水中に引き摺り込まれそうになっていた筈の三人の立ち位置が悠寿と代わり、身代わりとして水中に引きずり込まれた悠寿の姿がある。
「は!!?おい、悠寿!!息切れして窒息するぞ!!」
「し。悠寿さんが危険行動に足を踏み出すときは雅客さんも居る筈。だから大丈夫だろう。気にするな。」
慌ててパニックになり、自分も一緒に飛び込もうとする恐神を抑えて説得している戯が会話している最中でも、容赦なく半魚の触手が悠寿の身体に絡みつく。然しその苦しみでさえ、悠寿は胎児の様に目を瞑りその苦しみに身を預けているようであった。
「…しにがみ、しにがみ、しにがみ」
半魚はしにがみ、とずっと連呼し続ける。
「そんな名前を呼んで私の事を求めるとか、だいぶボクの事好きだねぇ。でも申し訳ないけど、ボクはその気持ちには答えられないんだ。だから――」
身動きが取れない程、あんなに触手でぎゅうぎゅうに締め付けていた筈の悠寿の身体が綺麗に剥がれ、代わりに悠寿の抜け殻からは、半魚にとっては見知らぬ男が姿を表した。
「しにがみ、しにがみ、しにが、…」
「ごめんねえええええええええ??俺、ノーシニガミ、ノーヒューマン、ノーフシンシャの自分でも誰だか存在が判っていない、その名も〜〜〜」
男が名前を云おうと口を開いた刹那で、半魚の視界が一瞬にして暗くなる。代わりに水面にはどろりとしてよどんでいる深紫色の液体が海月のように揺蕩っている。
「おい悠寿!!大丈夫か!!?おい、返事しろ!!」
水で篭ってきこえる声が男の耳に届くと、水泡と共にまた元通りの姿へ変化していった。
「ごめーーん、ちょっと手こずっちゃってさぁ。皆はだいじょーぶなの?」
「俺達の事は先生が気にしなくていい。それより、雅客さんは一緒にいないのか?終始姿が見られなかったのだが。」
「ん?あぁ、園でお仕事してるんじゃない?」
「そうか。…因みに先生は真泉が何処に居るか判るか?」
「さぁ?可能性があるとしたら、学校の怪談で有名な所とか?気になるなら自分達で回ってみてよ。ボクはこれ以上は守秘義務があるからいえなーーい」
悠寿は軟体動物の様に手をふにゃふにゃと動かしている。この動きに意味があるのかと問われれば、それは大の難問であるが彼女にとっては日常生活動作の一部だ。
「そうなると…次は何処を探索しましょうか。図書室や理科室なんてどうでしょう?悠寿さんが好きな学校怪談の小説でよく舞台になっているんです。」
「配膳室とか、家庭科室もいいな!」
「マイナス五歳児は腹が減るのが早いな。本当にそんな所にいるのか?」
「わからん」
「それなら、先ず最初に恐神さんが提案された場所に行くのはどうです?確か此処に来る前に’’配膳室’’の看板はあったので…」
お岩はあやふやな記憶を何とか正確に思い出そうと頭部を指先で刺激したり、手持ちのメモ帳にキーワードを書き出したりしてみる。メモ帳には、“配膳室“ “鍵“ “恐神さん“ “空腹“ “二階?“ と達筆で書かれている。
「…恐神。」
「おぁ!!遂に俺の名前を覚えたのか、戯!!偉いな〜〜今日は沢山ナデナデしてやるからな!!」
恐神はピクリとも動かず静止する戯の頭をよしよしと撫でまくる。特に狐の耳の方を。
「貴様のせいで、女の思考回路が更に乱れている」
「へ?女ってお岩の事か?どうしたお岩〜、オマエもナデナデ所望するか?」
「え、ぁ…いや、大丈夫、です」
手指を不規則に動かす奇妙さと、悪戯する前の少年の様な不敵な笑みに多少の危機感を感じたお岩は無意識に戯の背中へ身を隠す。先程から黙り気味な悠寿(渚々世)は、この
「懸命な判断だ」
「ちぇー…んで、結局何処に行くんだよ。配膳室か?それとも
「言い換えてはいるけど、何方も配膳室の事指してるよね…?」
「ちぇ、バレたか。」
「取り敢えず望みは薄いかもしれませんが、配膳室にて探索を再開しましょうか」
一人の濃い影に連なる二人の影が、次へと室内へ消えていく。そして、水面を名残惜しそうに見ていた影もやがて居なくなった。
***
「そういえば先生、最近の怪我は大丈夫なのか。後は、何故此処に先生が来たのかという経緯が知りたい」
配膳室へ向かう道中、お岩と恐神は通常のペースで足を進める中、戯らはそれの半分以下のペースで悠寿を引き止める様に声という鎖で近くに縛り付けている様にも見受けられる。
「ん〜?最近怪我なんてしてたっけ?ボクにとって怪我はお友達みたいなところあるからさ、ごめん全然覚えてないや!…あ!それと此処に来た理由だっけ?そんなの皆がいるからついていきたいな〜と思っただけだよ?」
「…“火傷“も’’骨折“も何もしていない、ということか?」
「え、なに?そんな怖い顔して聞かないでよ〜ボクびっくりしちゃうじゃん」
悠寿はけらけらと笑い飛ばした。
その後、背伸びしては戯の頭を母性溢れる優しい手つきで撫で回す。自分の方へと伸ばされたその手には、確かに火傷の痕跡らしきものが見えるのに、何を滑稽なことを言っているのかと戯は不思議に思った。
確かに悠寿が云う通り、怪我の痕跡と言えるものは特に見当たらないし、服で誤魔化している様子もない。普段と変わらない安定の金髪、人間が持つ癖など、全てに違和感はない。否、違和感はなかった’’筈’’だったというのが正しいだろうか。
「先生、少し此方に顔を近づけてくれるか」
「ん、どしたの?」
「顔に汚れがある。少しじっとしていてくれ」
「はーい」
僅かな隙間から明らかに先生の髪色とは違う紫色の髪、タートルネックにより隠れた喉仏、遠目で見たら判る筈のない人毛製のウィッグ、光の入り方に裸眼とは違う作られた瞳、厚塗りで隠された血液の跳ねた痕が戯の視線を捉えた。
「…そう云えば先生、少し雰囲気が変わったな。気分転換か?」
「え?そお?いつもと変わらないと思うけど。…あ、もしかして香水つけてるのバレた?流石狐さんだねぇ…おねーさんが褒めてあげよう!よしよし〜」
悠寿、を名乗る其れが言う通り、確かに狐の鼻腔にも匂いが残る程普段とは違う甘ったるい香水の匂いがする。普段の悠寿からは、金木犀の懐かしい香りがトレードマークの様に感じている戯。だが、この見知らぬ匂いが体調を悪化させているのかと自覚して以降、成る可く彼女の傍を歩かない様にとしているものの、本能的に無意識に気づけば彼女の傍へいるのは、戯の性なのかもしれない。
「急に趣味が変わったのだな、先生」
「前と変わらないけど?君が言うように、ただの"気分転換"だよ」
其れはにこにこと笑い流すが、この甘ったるい匂いのせいで更なる疑問が生まれても、嗅覚の違和感につい意識がいってしまう。
「…それと先生、俺達に会う前に誰かと会ったのか?」
匂いと彼女の存在に翻弄される中、戯は賭けに出た。
「ん〜特に誰とも会わなかったかな。それにボク、異空間を伝って皆との最短距離になる場所と繋げて移動して来たし」
其れは、─────否、悪魔は甘ったるい瞳を猫の様に光らせて、にこりと微笑んだ。
其の反応は、戯が今この状況から推測する判断材料になるには十分過ぎるものであった。
「ん?あれ、戯達〜!!何でそんなにオレ達と離れた所で密談してるんだよ!!混ぜろよ〜〜」
「ふん。先生と話したいなら、順番を守れ」
普段なら愛らしい顔が、今ならこの上ない程不気味に見える。何故なら彼女の口が開いた瞬間、探している仲間の血の匂いがしたからだ。ここまで強い香水の匂いを付けているから、生身の人間ではきっと気づけないだろう。
「…疲労で体調崩さぬ様にな」
それだけ述べると、戯は恐神らの傍へと身を寄せた。
「何話してたンだよー?」
「真泉に関する情報とただの杞憂になる話だ」
「…真泉さんの件で良い情報は……、…その反応だと厳しそう…ですか」
「諦める事は無い。地道に探せば必ず会える」
中々見つからぬ仲間の存在に落ち込む三人が各々背中を支え合う刹那で、悪魔の喉から伸びる手の正体に気づいた者は未だ誰も居ない。
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