七十七件目 永遠を恋うなら 其の一

紙子は呑気に鼻歌を口ずさみ、悠寿の手をやや強めに握り締めながら城下街と洋風の建物などの様々な文化が融合した空間を、ただひたすら前へと歩き続ける。


「…ねぇ、何処に行くの?これからの目的は?」


「あらら、もう答えが知りたくなっちゃった?ゆっけも随分とお子ちゃまに戻ったもんだねぇ。」

紙子は先程と変わらぬ様子でけたけたと笑った。然し、その笑い方はまるで人を嘲る様な、退屈な空間で空笑いする様なものと酷似している。


「答えが知りたい、とかじゃなくて、あんた先刻からボクの手を強く掴みすぎだし、無言なのが悪いの。…あ、もしかして''先生''の金遣いの荒さが酷くて、遂に紙子までも怒りが有頂天に達したとか?」

悠寿は飽くまでも軽くあしらうと、紙子は何も答えぬまま、やがて紙子の影が徐々に伸びていくのが目に見えた。


「…まったく、答えは教えてくれないくせに。」

紙子、そう呼ぼうにも、今の悠寿の水晶体に映し出される相手は、紙子だけど紙子者になってしまった。視界に映る相手を見て、悠寿の脳内に浮かび上がった言葉は、かつてボク達を縛り付けて土に還した彼の人、に尽きる。悠寿はそんな彼を毛嫌いしていたのは、果たして幾つの頃だっただろうか。


「久しぶりに教え子の姿形を目にしたら、声くらい掛けたくなるのが教師の性ってやつだからな。…あぁ、そうだ。そういえば、前の授業は途中で終わっていたな……、ふむ、それなら…────」

紙子と姿は似ているものの、背の高さや血色感、目つきだけは相変わらずだな…なんて思いながら、悠寿は目の前の男、苦賠 嚶鳴(くべ おうめい)に睨みを効かせる。そして、彼女は背中部分に隠していた小型のサバイバルナイフを取り出す。


「…お前の授業なんぞ受けたくないっての。」


「?…何かいったか。」

ふとダダ漏れた言葉に突然の如く苦賠は食いついた。然し、悠寿は焦りの顔一つも見せること無くにこりと笑って見せた。


「苦賠先生から教わる問題には、正解や不正解って意味を持たせる価値なんて一つも無い。心底思うけど、すごく面白くな〜い。」


「何だ急に。授業に対する不満か?悠寿が何を言おうが、結果はこの通り変わらない。変わるのは、御前の周囲にいる人間のみ、きっとこの先も劣等生の御前にはいつまでも理解出来ないだろうがな。」

両手を広げ、呆れた素振りを見せる苦賠。ちらりと見えた苦賠の口内には、此方をじっと見つめる目玉、そして未だに時系列の合わない電子時計と目が合う。紙子が出ている時は、こうして私や他の生徒を監視していたのだろうか、だなんて考えただけで寒気がする。


''まぁ良いか。紙子には悪いかもだけど、この場を離れたら直ぐに紙子が戻ってきてどうにか丸く収まるはずだし。''

と、心の中で誰にも知られないまま記憶の底に溶けていく言葉をつらつらと述べ、標的の急所からやや離れた位置に視点を向ける。


「おい?聞いているのか、劣等生風情が教師の大事な話を無視するとは遺憾だな。大事な事はいつも一度しか言わないと言っているだろうが。」


「ほへ?でもさ、大事な話だからこそ何度も言うのが普通なんじゃないの?ボクは知っての通り物分りが良くないから、何度も言ってくれないと困るぅ〜。」

魂の抜けた様なへらへらとした顔で苦賠を眺めていた悠寿に苛立ちを感じたのか、苦賠は顔を赤くして手の平を上げ、悠寿に向けて手を下ろす。そのタイミングで、悠寿はサバイバルナイフを狙いを定めた位置に刺してやろうと手を動かした。

然し、肉壁を抉る様な感覚はいつまでも来ない。


「はいステイ。おじょーさんも、おにーさんも、落ち着こうねぇ。いい?お姉さんとの約束よ〜。」

黒髪ロングの和らげな雰囲気が印象的な女性警察官が止めに入ったのだ。それに対し、苦賠も悠寿も悔しそうな顔を浮かべながら手を引っ込める。


「少し口論になってきてる所までは確認してたんだけど……、先に手を出そうとしたのは……って考えても無駄か。取り敢えず、おにーさんは女の子の手、離してあげようか、ね?」

にこりと笑う女性に、苦賠は顔を歪ませてながらも、中々女性の言う通りには行動しない。その代わりに、悠寿の手から骨が軋む音が聞こえてきた。


「…なるほど、そういうタイプね。ならいいよ?私忠告してあげたのに、やめる気がないなら……



──────…よし、かかれ餓鬼共!!」

あの和らげな女性の声からは一変し、聞き覚えのある男らしい声が響いた。思わず「は?」と口に出した悠寿は、何度か女性警察官の方を見る。「え、真逆…」と自分の予想と照らし合わせるように、女性警察官を見るが、にこりと笑っている為、彼女(仮)が何を考えているのかは思いつかないものの、苦賠が子供(仮)に襲われる姿を見て、やっと苦賠の手が離れている事を自覚した。


「ふふ、……はぁ〜〜…今回の不審者退治訓練は今までで最高潮で面白いわ。いや、面白い…って言ったらアウトか。後でご褒美にお菓子でもやるとするか。…よし、行くか。」

男性的な声でぼそぼそと感想を述べる姿を見て、やはり自分の予想が確信へと変わった。そして、女性警察官は妖美に微笑み乍ら、のらりくらりと人混みへ融解されていった。



❁︎ ❁︎ ❁︎


「結局、紙子がボクをこっちに連れ戻してきた理由が分かんないし、先生にも会うし最悪ー!!」

人混みを掻き分けた先で、脳味噌型の建物の前で二人は立ち止まった。すると、女性警察官風の衣装に身を包む''男"、雅客はやれやれといった表情で悠寿にでこぴんをくらわせた。


「いっ"だ"ぁ"!?ちょっと、何でデコピンなんかする訳!?今の会話でボク変なこと言った!?」


「はいはい、まだお前もお子ちゃまだねぇ〜。俺の事馬鹿に出来るほど生きてる癖して、中身はちっとも成長してねーでやんの。」


「はぁ!?ボクはあんたよりも長く生きてる分、身も心も成長してるんだけど!!」


「へぇ、具体的には?」

雅客のでこぴんを機に、二人の間で物理的にも禍々しい黒煙の様な不味い空気が周囲を覆い出す。その影響なのか、二人の背景にある脳味噌を模した建物から、小人サイズの人間と其れを支える影に溶けたスレンダーマンの様な者が中から顔を出した。


「…悪いけど、店の前で喧嘩しないでもらえるかな。悠寿姉と雅客園長の会話ってね、二人が思うよりも遥かに騒がしいから。」


「����Ȃ͂�炽���ȂȂ�͂킽��΂���」

小人サイズの人間ことえんじゅが言い終わると、スレンダーマンらしき者も口から黒煙を吐き出し、ぱくぱくと何か呟いた。そして、吐いた黒煙からはくるくると回ったり、半円を描いたりなど意志を持った文字が綴られていく。


「おぉう……、君は意外と毒舌なタイプだねぇ…。意外とボクの心に刺さる言葉ばかり吐きやがる…此奴こそが苦賠先生の大好きな劣等生だろ…。」


「劣等生かどうかは知らないけど……、そもそも悠寿は何で此処に来た訳?研修かなんかで現世にて過ごすって噂で聞いてたんだけど。」

しょもっとふやけた海藻みたく凹む悠寿を無視し、槐は先程の二人の会話に再度話を戻した。


「なんか紙子に連れ戻されたらしーぞ。恐らくだが、最近怪我しまくってるのと、無茶な行動が原因で連れ戻されたんじゃねーのか?」


「あちゃ、そうなの?じゃあ此方にいる間は暫く暇過ぎてゲシュタルト崩壊しそうだね。」


「����Ȃ͂�炽���Ȃ���」

<折角だから、その先生?って人の授業でも

受けてきたらいいんじゃないの?>

スレンダーマンらしき者は、人差し指を立てながら首をこてんと傾げた。心做しか、少しだけにこっと笑っているように見えた。


「え、え"ぇ"……。いやぁ〜…で、でも…ボクは恐神達の介抱もしたいし、何より深夜の肝試し?の心配もあるから…」

悠寿は後退りで逃げようとした刹那で、石のような固さの何かにぶつかった。


「ね、悠寿ぅ〜?俺と一緒にくんせーの授業受けに行こ?♡♡…あ、それなら次いでにせきちゃんも連れてきた方が盛り上がるかも。」


「げっ…誰かと思えば悠寿のストーカーじゃん。何でお前が此処に居るんだよ、普段は独房にぶち込まれてるじゃねぇか。害虫は排水溝にでも詰まってろ、しっし。」


「えぇ〜!?そ、そんなこと言っちゃう…?つか、かくには保育園で育児しててパパみた〜い!!そーいや、さっきヤーが園児連れて''園長探してる''って言ってたよぉ?」

紫色の髪型だけでなく、別の部分からでも分かる、いかにも毒々しい雰囲気を身に纏う渚々世は、悠寿と腕を組みながら、やけに楽しそうに雅客をいじりまくる。そして、渚々世の話を聞いた雅客は「やば」と呟きながら、慌ただしくその場を立ち去った。


「さてと、じゃー悠寿は補習でも受けに行こーな」

目元まで口が裂けた笑みを浮かべながら、空中飛行を楽しみながら目的地へと向かった。

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