七十四件目 変わった依頼は噂のあの子
久方振りに社員全員の揃った探偵事務所。元々は二人だけの殺風景な空間であったものの、今は五人の賑やかな場となっている。
「おい紀伊、お岩さんを口説くな。」
「え〜?だって岩ちゃん可愛いもんねぇ?そりゃ男たるもの狙いたくなっちゃうのが本能でしょ?」
「五月蝿いぞ、トマト髪。」
お岩に近距離で絡みつく紀伊に背後から背中の急所を攻撃する戯。今日も此処は平和である。
「ッッだ"ぁ"!?お、俺っちオマエよりも先輩なんだけどなァ〜…おかしいなぁ〜…♪」
下手くそな口笛で気持ちを紛らわせるが、気持ちが晴れない紀伊の眉毛は気持ちの赴く儘に痙攣している。
「はぁ…何処ぞのヘルパー勢が居なくなっただけで、此の事務所の治安の悪さが如何なものか分かるわ…。」
「あ、はは…は、之は困ったもんっすね…。て、あ!そうだ!恐神先輩に伝えたい事があるんすけど、実は此処最近で噂になってる喫茶店があるんすけど知ってるっすか?」
マイズミは机の棚を漁りお目当ての資料を手に取ると、恐神の目の前に広げて見せた。
「ンだこれ…《
「そうっす。コンセプトが《神様が経営する喫茶店》なんすよ。何だか神秘的で良くないっすか!?」
「真泉さんは儚げなものが好きなんですか?」
「お岩さん良い所に目がいきますね〜!そうなんすよ、大雑把な言い方すると、''儚い''って言葉から連想出来るものは全て好きっす!へへ、今度皆さんで行きたいな〜って思ってまして!!」
楽しげに笑う真泉の笑みを見てお岩もまた頬を緩ませる。然し、悠寿と雅客に背中を押されて新入社員となった戯だけ堅苦しい表情を浮かべていた。
「あれれぇ、戯ちゃん?キミは喫茶店が嫌いなのかにゃ?ん??」
「喫茶店は嫌いではないが、その喫茶店の概念の先が読めないのが気に入らぬのだ。付け加えて、トマト髪は弄り倒した所で互いに利益が生まれる訳じゃない、辞めろ。」
「はぁ!?何度も言わせんなし、俺っちはトマト髪じゃねーって言ってんだろ!ちゃんと見ろよ、綺麗なケチャップカラーだろうが!!」
どっちも然程変わらないだろ…、と思った恐神が止めに入る。だが紀伊が抵抗し暴れる事により、戯は細長くも頑丈な紅色の糸で紀伊を拘束した。然してタイミング良く、扉から客の入る音が鳴り響く。
「こんにちは〜、探偵事務所へようこ…て、あの時の…黒髪撫子の女子高生?」
来客の対応にいち早く動いた恐神は、客の容姿を目にした瞬間鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔で静止した。そこに立っていたのは、数ヶ月前に起きた会社員の事件に助言をくれた一般人の女子高生という事実が恐神の感情を揺さぶる。
「何だ、子供か。」
「いや、オマエはそれだけしか言うことないワケ?清楚だけど可愛らしいJKって感じ〜♪」
「紀伊さん、徐々警察に突き出しても良いかなって心の中で決断できそうな発言を無闇矢鱈に言うのは辞めて貰えないっすかね…。」
再びざわざわと騒ぎ出す社員達。先程恐神に黒髪撫子と言われた女子高生、久田は人形の如くその場に佇んでいる。
「依頼があるの。私の代わりにクラスメイトの犬飼と明日の夜、《学校七不思議全部発掘オカルト探検》に参加して。」
空気が静まりつつあった所で淡々と述べる久田。それを見て、場の空気が少しひんやりとした気がした社員達。其の中で古参に当たる恐神と真泉は、最近の依頼とは違ういつかの平凡な依頼を思い出した。
❀ ❀ ❀
依頼内容を更に具体的に伝えた後、お岩が用意した茶を一杯飲み干し、にこりと微笑みながら礼を告げる。
「…じゃあ、私はもう帰るので。この後の事はよろしくお願いしますね。」
一例をし、からからと開閉時に鳴る心地好い飾り物の音と共に久田が其の場を去っていった。終始表情筋を使い続けていた社員達は、腰が抜けた様にソファや椅子に寄り掛かる。
「ッ…はぁ〜〜…、今までの依頼とはまた違うっすけど、それなりに面倒な内容っすね…。クラスメイトの誘いを承諾しちゃったものの、後々何か用事が出来たなら断ればいいのに。」
未だ人の温もりが残っている久田のいた席をじっと見つめながら、真泉がぶつぶつと呟いた。
「''あの子に成りきる''なんて依頼は、抑々声が違えばバレるもんなぁ…。てか男がやったら尚更バレるよな…。」
それに続き恐神もうじうじと呟き、其の近くで溶けたアイスの様な動きをする紀伊をつつく戯。誰しも普段と変わらぬ様子だが、お岩だけが端で困り果てた様な複雑さを表情に露にしていた。
「(あの人…、私の想い違いじゃなければきっと悠寿さんの筈…。何か用事があったのかしら…?)」
丸型のお盆を抱き締めながら、普段よりも難しそうに考え込むお岩。悶々と考えた末、彼女は一つの結論に至った。
「…!(そういえば、悠寿さんが言うには
《今年は雅客やボクみたいな危険視されてる怪異による怪異文化祭があるんだ〜!!…って、こんなの面倒だから、本当はやりたくないけど…。》
とか言ってたっけ…。もしかして、それの関係で変装して依頼に来たのかしら…。そうだとしたら、此処で普段の御礼に私が頑張らなきゃ…。)」
脳内回想に耽る彼女は或る物事を心に決めると、誰かに背中を押された様に周囲の注目を集めた。
「ん?どーした、お岩?」
「あ、あの…その、あの子の代役…私でも務まる…でしょうか?私、普段から皆さんの足を引っ張っているばかりで何も出来ていない、ですし…今回は其の分のお返しとして頑張りたいんです。」
俯きながらもごもごと一生懸命に喋るお岩。各々が考え込む中、真泉は''頑張れ''とお岩に合図を送り続ける。
「お岩が''やる''って言うなら、オレは止める気は無いし、むしろ応援する。でも、無理はしないでいざと言う時に周囲を頼るって約束してくれるなら、頑張れお岩!」
「…!ありがとう、ございます…!」
普段よりも表情が険しくなっていたお岩だが、恐神の言葉を聞いて少し顔を赤らめながら頬を緩ませるお岩であった。
「あ、お岩さん笑ってる〜。そんなに恐神先輩に褒められたのが嬉しかったんすか〜?」
普段よりも柔らかい表情を浮かべるお岩に、真泉はお岩に対して小学生男児の如くいじり出す。
「え!?あぁ…その…」
何処かから湧いた羞恥感に近い感情から更に顔が赤くなるお岩。普段なら謝る真泉だが、今回は悪戯っ子の様ににまにまとはにかんでいるように見えた。
「おいマイズミィ〜…。お前はオレとお岩の行動に嫉妬してるのか?」
「はぁ!?してませんよ!全く…悠寿さんじゃないんすから、意地悪を言うのはやめて下さいっす。」
再び和やかな空気に包まれた社員達。恐神が戸締りを確認しながら電気を消せば、紀伊が裏声できゃーと叫ぶ程の自由度だ。
「…後は悠寿が居れば完璧だったんだけどな。」
集団で美味しい匂いが食欲を唆る誘惑の歩道を歩く最中、無数の星を眺める恐神が一言零す。其れを聞き逃さぬ程の優れた聴力を持つ妖狐の戯は、煮え切らない表情を浮かべた儘各々が帰路へと向かった。
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