ターゲット25~27/皆で祝う『レモンおろしウドン』
恭二郎が皆に情報を話す必要はなかった、何故ならば誰もがすぐに状況を把握したからだ。
長谷部重定をめがけて走ってくる女性二人、そしてそれを追う黒服の男が一人。
「お待ちなさいクソ虫ッ!! わたくしが直々に地獄へ逝かせてあげますわッ!!」
「お待たせしました師匠! 雷蔵くん!! わたしが来たからにはもう安心よ!! このウジ虫を排除します!!」
「待って!! 待ってくださいお嬢様!! それに芽依子様も!! ゴトーの皆さんと雷蔵さん達に任せましょうって言ってるじゃないッスかぁああああああああああ!!」
「ひいいいいいいいいい!! 追いついてきた!! 死ぬ!! 死ぬより酷いことされる!! 特殊性癖の薄い本よりガチでヤバい事されるぅ!! 助けて!! 何でもします後悔してますもう二度と顔も見せないし関わらないし命以外は全て差し上げるのでボクを助けてえええええええええええええ!!」
どうしてこうなってるのか、の一言に尽きた。
二人が貴咲を慕っている以上、この事態を知れば動くことは予想されたが。
いくらなんでも行動が早すぎるし、直接的すぎる。
「すまん……またも身内が……芽依子が恥を……。おい、何でココに居るんだ??」
「まぁまぁ、一応ね、僕らの事を心配して来てくれたんだし」
「ハァ……そこまでよ優香、一応聞いておくけれど何のために此処に来て、何をしようとしている訳?」
すると二人の女性は胸を張って答えた、その後ろでは護衛の野咲きが頭を抱えてとてもお労しい。
「お姉様の家に遊びに行こうとしたら連絡取れなったので、心配になって訪ねたらそこのクソ虫がペラペラ喋ってくれましたわ」
「全力を持って仕事を片づけて師匠の家を訪ねたら同じく」
「「知ったからには殺すなんて生温い!! 望んでも死ねない永遠の生き地獄を味あわせてくれましょう!!」」
二人はまるで長年の親友のように、ハイタッチし笑いあう。
貴咲を慕う者同士、とても気があったのはいいことであるが。
少しばかり、アグレッシブではなかろうか。
「お願いしますボクを助けてください!! 金玉が片方感触が無いんです!! 部下達も全員ボコボコにされて……うううっ、一度は捕まったんですがやっとの思いで脱出して来たんですうううううう!!」
「まったく、どっかの誰かさんが逃がさなければ……」
「護衛としての役目ですし気持ちは分かるけど、野咲さん? この場合は主人の行いを全力で支援するのが筋ではなくて?」
「お嬢も芽依子さんも気持ちは分かりますけども!! 初手でボコって拉致って情報全て吐くまで拷問はやりすぎでしょうが!! そりゃあオレらの様な家業は舐められたら終わりですし、最終的にはそうする必要があると思いますけど!! まずは家同士の話し合いとか警告とか、色々あるッスよね!?」
「あー、うん、苦労したんだね野咲君……。君は凄く頑張ってると思うよ」
この暴走機関車二人を前に、長谷部重定が五体満足である事は奇跡かもしれない。
当の本人達より二人はヒートアップしていて、今にも襲いかかりそうな雰囲気だ。
その事に、恭二郎も頭を抱えて盛大天を仰いでいる。
「私の為に行動してくれたのは嬉しいけれど、落ち着きなさいな二人とも。事態は少し込み入っているのよ」
「ふっ、そんなの把握しておりますわ!! 八条を舐めないでくださいまし!! このクソ虫が分不相応にも雷蔵さんに決闘を挑んだことも」
「このウジ虫の命を狙って、ウジ虫の親族が三十人ほどフリーの殺し屋を雇って襲撃を企んでいる事も知っていますわ!!」
「うっそマジなのそれええええええええええええ!! 身内にも狙われてるのボク!! ボクが何をしたんだ!! ただ与えられた地位で好き勝手して仕事は全部彼らに任せて都合のいい御輿になってやってたのに!! うん!! ボクでも殺そうとするかもな畜生!! そんな日が来る前に素敵なお嫁さん見つけて引退金せびって早隠居して遊んでくらす計画だったのにいいいいいい!!」
「うーん、見事に動機までゲロってくれて気持ちいいぐらいだねぇ……」
最初の印象より彼の事が、少しはマシに見えてきた雷蔵達であったが。
それはマイナス百が、マイナス九十九になったぐらいであり。
しかして、問題なのは。
「ねぇ恭二郎? これ戦争の火種消えてないよね? むしろ増えてる感じ?」
「ああ、八条まで飛び火する可能性があるな。まぁ八条は表とはいえコッチよりでゴトーとも関係が深いから想定の範囲内ではあるが……あー、どうすんだこれ、もうコイツ殺して手打ちにする方が早くて平和まであるぞ」
「ほら兄さんもそう言ってるし! ウジ虫を渡してくださいハリーハリー!!」
「殺していいならわたくし達が引導を渡して差し上げますわ!!」
どうするべきか、本当に困る事態になった。
貴咲はぐるりと思考を回し始める、こうなった以上仕方がない。
二人の説得は時間がかかるだろう、最悪、このまま襲撃される可能性すらある。
「――――旦那様?」
「なんだい貴咲」
「優香、芽依子さん、ちょっといいかしら?」
「「はい!!」」
何を言い出すのかと全員が見守る中、貴咲はそれはもう艶やかに笑って。
横にいる雷蔵の肩を叩きながら、大きな声で告げた。
「手を引きなさい、納得しないのなら旦那様が三人の相手をします」
「オレも巻き添えっスか!? ひええええッ、ここは任せましょうよお嬢!!」
「何を言ってるんです野咲ッ!! 男を見せなさいジャイアントキリングはロマンでしょう!! ここで意地を見せて心を鬼にしてでもお姉様の役に立つのです!! 貴男なら殺し屋三十人だろうが行けます!!」
「そうですわたしも一緒に戦いますから、ここは勝ち取りましょう!! お師匠と雷蔵くんの間に邪魔が入るとか解釈違いにも程がある!! 絶対に許さない!! ふざけんな!! ぶっ殺してやる!!」
三人は一人を除き戦意満々、雷蔵は恭二郎に視線を送ると。
彼はとても深い溜息を吐き出して、貴咲と同じく雷蔵の肩を叩いた。
「すまん、相手してやってくれ。お前に勝てないのは百も承知だろうがやらずにはいられないんだ。……私も、気持ちは理解できるからな。同じ気持ちだからこそ今、お前の側に居るわけだし」
「……私からも頼む弟よ、理性と感情は別なのだ」
「………………やるしかないか、僕だって気持ちは理解できるしね」
もし長谷部に狙われたのが雷蔵と貴咲ではなく、恭二郎であったなら、良美であったなら、芽依子や優香であったなら。
彼らの心配と、犯人への怒りにより長谷部を地獄に突き落とすと決意しただろう。
(実際に、恨みで不破を族滅させた僕としては。――嗚呼、とても理解できるんだ)
大切な者を守るために、報復する為に、つまる所。
邪魔者を排除する為に殺し屋は存在するのだ、そんな世界だからこそ復讐の連鎖は止まらず。
果てに力を求め、雷蔵のような者が生み出される。
(誰かが復讐の連鎖を止めなきゃいけない、なんて事は思わないし、しようとも思わない。でもね、命は軽いから……喪わない方がいいんだ)
刃物がなくても人は死ぬ、誰にでも平等に死が訪れる。
命なんて軽い、金や面子、あるいはちっぽけな欲の前にあっさりと消えゆく。
カチリ、カチリと雷蔵の心が冷え込んでいく、機械の冷たさが久しぶりに戻っていく。
「――――旦那様」
「ああ、ごめんね。少しぼぉっとしてたよ」
「………………雷蔵、くれぐれもお手柔らかに頼む、マジで」
「これが……ああ、生で見るのは大違いだな。私との時は入ってなかったのか」
ごくり、と誰かが唾を飲んだ。
雷蔵達を護衛していたヨシダ達は思わず身構え、優香は一歩後ろに下がり、芽衣子は己の死を錯覚する。
野咲に至っては気絶寸前、主人の前に出て庇う姿勢をみせるだけで精一杯。
「さっきまでの威勢はどうしたんだい? 君もそう思うだろう長谷部さん? 嗚呼、気絶しちゃったか。誰かビンタして起こしておいてよ」
「す、すんませんでした雷蔵さん!! どうかお慈悲を!! お嬢だけはどうか!! 俺の首ひとつで何とかしてくださいっス!!」
「あわ、わわわわわわわっ!! 芽衣子負けな……やっぱダメ死ぬ!! わたしが終わる!!」
「ひぅッ、ぁ、ぅ、ァ――――(怖すぎて!! こ、言葉が出ませんわ!! ああ、死ぬのですねわたくし!!)」
まだ戦ってもないのに、降参状態の三人。
しかし、ここで止めたら意味がない。
暴走への罰の意味合いもあるのだ、この戦いには。
「うーん、実力差がありすぎるね。でも落ち着くのを長々と待ってあげられないし…………うん、10秒だけ待つ。何もせず立ったままだ、それで僕に膝を着かせたら君たちの勝ちだ」
正直に言って、無理ゲーである。
恭二朗達は、出荷される豚を見る目で三人を見て。
その中で貴咲は一人、雷蔵から放たれるプレッシャーを物ともせずに微笑んだ。
(こうなった旦那様はどうあっても止められないし、敵わないもの、ええ、情に訴えかけた泣き落としも、命を捨てる覚悟の一撃も、全て、ええ、全てが無駄。どこまでも鍛え上げられた天才を前に全てが無力なのよ)
たった三ヶ月程前の事なのに、どうにも懐かしく思える。
貴咲はこれより強い殺気の中、憎しみと共に犯されたのだ。
不破の中には殺気なと気にせず抵抗した強い者もいた、もっとも秒で殺されたのだが。
「1、2、3、4、5、6――」
時計の正確さで雷蔵がカウントを始める、三人は動けない。
彼らには、処刑台の死刑宣告そのもので。
「――7、8、9、10」
その瞬間であった。
「はい、これで終わりだね。納得してくれたかな? 特に芽衣子ちゃん、優香ちゃん?」
誰の目にも見えなかった、気づけば三人は地面に倒れていて。
野咲に至っては、スーツの下に身につけていた防刀防弾チョッキが懐の拳銃と共にバラバラになって落ちている。
その上、雷蔵が持っているのは何処に持っていたかも分からない一本のナイフで。
「…………お、恐れ入ったよ雷蔵。相変わらず見事な腕前だ刀すら使わずコレとは」
「ふふっ、流石は旦那様ですわっ」
「………………すぐにそれが言えるとは、肝が太いな二人とも」
「いやぁ、大人げなかったね。でもこれで分かっただろう? 全て僕らに任せておいてよ」
「「「はい!! 申し訳ありませんでした!!」」」
悲鳴のような返事に、雷蔵は満足そうに微笑んだ。
それは誰の目にも死神のそれに見えて、この場にいた非戦闘要員の中には少し漏らしてしまった者も。
トラブルが一つ解消され、空気が弛緩したその時であった。
「――――総員警戒!! 敵襲!! 防衛ラインの連中から連絡!! 損害なしであるが抜けられたと!! 名うての殺し屋三十人がこっちに向かってくる!!」
少し離れた所にあるテントの別荘防衛の為の仮設本部から、通信士が飛び出して緊急を告げたのであった。
■□■
いち早く動いたのは雷蔵だった、彼はナイフをしまいつつ全員に指示を飛ばす。
「ヨシダさん、貴咲と恭二朗と芽衣子の守りを頼んだ!! 優香もその中に、野咲はヨシダの指示を仰げ!!」
「っ! 分かった大人しく守られておく! 撤退判断はヨシダに任せていいな!!」
「そうしてくれッ、……ちょっと貴咲? ほら早く向こうのテントで――」
「――――ん、景気付けよ怪我一つせずに戻ってきなさい」
慌ただしく動き出す中、貴咲は雷蔵の唇にキスをした。
今が一刻を争うと理解している、けれどキスしなければいけないと心が訴えていたからだ。
雷蔵は少しだけ強く、そして短く妻を抱きしめて。
「朝食がまだだからね、手短に終わらせても遅くなるけど一緒に食べよう」
「ええ、旦那様こそが最強だって見せつけてくださいまし」
「――――僕が奴らを片づける、流れ弾だけに注意しておけッ!!」
愛する嫁の応援があるなら、負けることなど絶対にない。
世界最強の夫は、いつもより軽々と想定された戦場へ歩きだし。
一方、本部テントの中に集まった恭二朗達は各所に設置してあるカメラで殺し屋達の姿を確認しており。
「うわっ、あの姿ってドクターマシンガンじゃないっスか!? アッチは刀狩りの……、有名所しかいない!? 国内の上位がそろってる勢いっスよねコレぇ!!」
「気持ちは分かりますが大声を出さないでくださいまし野咲? というか、どういう状況ですの? つまり?」
「…………普通なら、全員が命を落とさず逃げ延びるのも非常に困難な状況よ優香さん」
「わたくし達、死ぬううううううううううううううう!?」
護衛に注意しておきながら、一番大きな声を出したお嬢様に。
恭二朗としては苦笑しかなく、そこでヨシダが代わりに言った。
「八条のお嬢様、どうぞご安心あれ。私らは運が良い、不幸中の幸いとも言いますがね。――雷蔵が前に出たんだ、流れ弾すら飛んでこないしスナイパーだって、ほら」
「嘘だろ!? 流石は不破さんだ!! なんでスナイパーライフルを刀でピッチャー返しした挙げ句に無力化してるんだよ!! おい! 誰かあの不幸な殺し屋が気絶してる間にとっとと捕虜にしてこい!!」
「はい?? 何か今、変な事を聞いた気がするのですが?? 人類に可能なんですかそれ??」
「お嬢お嬢、もう一人いたスナイパーも同じく無力化したようっスよ? ……どっちも、一キロは離れてるっスよね??」
「雷蔵の仕事っぷりを見ると、常識が破壊されるよなぁ……」
恭二朗の諦観が混じった台詞に、誰もが頷いて。
一方、別荘から百メートルほど離れた海岸線にて雷蔵と殺し屋達は向かい合う。
彼我の距離は十メートル、余裕綽々の雷蔵とは正反対に殺し屋達の顔は緊張に溢れている。
「やぁ、死ぬには良い天気だと思わないかい? 何人かは久しぶりで、残りは初めましてだね」
「――――不破の殺戮人形」
「いやだなドクターマシンガン、もう不破なんて存在しないんだ。僕は君らと同じただの殺し屋だよ」
ただの殺し屋はキロで離れたスナイパーを刀一つで返り討ちに出来るのだろうか。
それに彼らの目の前の最強は、不破なんて存在しないと言った。
つまりそれは、不破が彼によって滅ぼされた事の裏付けとなり。
「――――では只の殺戮人形、コチラに着く気はないか? 或いはコチラが其方に寝返る事は?」
「この局面でそうする者を信じられるとでも? まったく、僕が言える事じゃないけどさ。君もたいがい獲物を前にペラペラ喋るよねドクター?」
「仮にも医者だったからな」
「嘘だね、君のそれは仕掛ける為の時間稼ぎだ」
雷蔵は見逃さなかった、彼らがそれぞれの得物を構えながらじわじわと包囲の準備をしている事を。
あえて見逃していたのだ、そうされても構わないが故に。
「そういうお前のは、強者の余裕だな。――交渉の余地はないか? 私達は長谷部重定を殺せれば最低限の目標は達成できる」
「差し出してもいいんだけどね、だが一応まだアレは僕の個人的なターゲットでね。生かすも殺すも僕の気分次第なんだ。――君たちの介入は許さない、長谷部の上からの依頼だろう? 帰って伝えるなら見逃すよ」
「そうはいかない、お前も分かるだろう。我らはフリーランスだ依頼は投げ出せない。それに……」
ドクターマシンガン、白衣を着てマシンガンを両手に持つ男は残りの者に同意を求める様に叫んだ。
「クハッ!! 最強に挑めるんだ!! 嗚呼、こんな業界で上澄みに至ってしまった私達だ!! 最強の名が欲しいに決まっているだろう!! 悪いがここで終わって貰う殺戮人形おおおおおおおおおお!!」
瞬間、彼の両手のマシンガンが火を噴き。
文字通り戦いの火蓋は切って落とされた、ドクターの射線に入らぬよう殺し屋達が雷蔵へ向かう。
「包囲が甘い!! ドクターも不意打ちならもっと丁寧にする事だね!!」
「ハッ!! これを回避する事は読めて――チィッ!! 怯むなやれぇ!!」
だが十メートルでのマシンガンなど雷蔵に当たる訳がない、続けざまに放たれた四方八方からの銃撃だって同じだ。
雷蔵は砂地で戦っているとは思えない俊敏さで、一人、また一人を斬り捨てる。
(ハハハハハハハッ!! 化け物め!! 私達など殺すにすら値しないという事か!! ご丁寧に武器だけをバラバラにして気絶させるとは!! そんなんどうやってんだよバカ野郎!!)
今回の襲撃でリーダーを任されていたドクターマシンガンは冷や汗を隠せなかった。
先ほど叫んだ言葉は本当だった、そして彼の戦いを見たことがあるし、敵対した時は無事に逃げ出した経験もある。
――手が届くと少しでも思ったのは、とんだ思い上がりだった。
「嘘だろ!? 俺の備前長船が――アガッ!?」
「大事な刀なら飾っておく事をオススメするよッ」
「なんで火炎放射器の炎を斬れるんだよテメェはよぉ!! ――ぐは!!」
「あ、爆撃ドローンも射撃ドローンも壊されたわ、うん、降参するか――――ぐぅ」
この場に集まった殺し屋は、それぞれ一流と呼ばれた存在だった。
誰も彼もが百%の依頼達成率を誇り、同業者達の屍を乗り越えてきた歴戦も猛者だ。
己の腕に自信があった、絶対に死なない術を身につけて今日まで業界で生き延びてきた、だがそれが無惨にも打ち砕かれていく。
「――――お前も趣味が悪いな殺戮人形、わざわざ私を残したとは」
「いやいや、君の二丁マシンガンの段幕は中々に面倒だったよ。今回じっくり見させて貰ったけどさ、ドクターはそれで全弾ピンホールショットできる腕前だよね?」
「嫌みか、まったく最強の名は遠いな――」
ドクターの両手のマシンガンはバラバラに斬られて、ついでに隠し持っていたマガジンも全て。
靴の踵に隠していた煙幕装置ですら、無力化されて。
完敗という他、表現のしようがない。
――雷蔵は刀を鞘に戻すと、スマホを取り出して。
「よし、これで終わりっと。……あ、ヨシダさん? コッチは終わったよ」
『大変だ雷蔵!! 早く帰ってこい!! 貴咲さんが、貴咲さんが――』
「はいっ!? どうしたの恭二朗!? なんで君がっていうか貴咲がどうしたんだよ!!」
『貴咲さんが嘔吐したんだよ!! 私の予想なら命に別状はないし、普通に戻ってくるのを待てばと思ったのだが女性陣が鬼のように言うから直ぐに戻ってくれ!!』
「――――どういう事ッ!?」
だが考えている暇はない、今すぐ戻らなくては。
どうして貴咲は嘔吐したのだ、何故、体の不調、どうして気づけなかった、そんな予兆はなかったのに。
慌てに慌てた雷蔵は、咄嗟に眼前で気絶したドクターマシンガンの脇腹を蹴り飛ばし。
「ぐぁっ!?」
「オラ起きろドクターマシンガン!! ちょっと僕の妻が急患なんだ君は医者だったんだろう起きて診察しろ殺されたいか!!」
「ッ!? い、今すぐ診る!! 診よう!! 診るから刀をしまってくれ診る前に死ぬ!!」
「――? あ、ごめん慌ててさ、ついね?? じゃあ行くよドクター!!」
「首根っこを掴むなちゃんと走るから!!」
ヨシダ達が気絶した殺し屋の集団を確保する為に走ってくる中。
雷蔵はドクターマシンガンを引き連れて、一心不乱に走り出したのであった。
■□■
「――――殺戮人形、まずはおめでとうと言っておこか」
「は? いきなり何? それより貴咲はなんの病気なんだよ治せなかったらお前を殺すぞ??」
「はぁ……落ち着きなさいな旦那様、そう悪いことではないわ寧ろ逆よ」
「逆? どう言うこと?? っていうか、なんでそんな呆れたような嬉しそうな顔で僕らを見るのさ!?」
訳が分からなかった、ドクターマシンガンを連れてテントまで戻った時には。
彼女達はとても楽しそうにしていて、恭二朗もどこか嬉しそうで。
それは、ヨシダ達も同じだった。
(悪いことの反対? 良いこと? えぇ……? ゲロしたのに?? 体調悪いのに良いことってどういう事!?)
鈍さここに極まれり、というのは言い過ぎだろう。
端的に言って、雷蔵は今日までその手の知識を教えられずに生きてきたのだ。
不破が使い捨て予定だった殺し屋に施した教育はひどく歪で、偏っていて。
「不破雷蔵、先に断っておくが私はそちらの専門ではないのでね。後日、来院すればより明確に分かるだろう」
「だから何??」
「…………不破の奥方? 彼は本気で言ってるのか?」
「ドクターマシンガン、と言ったわね。旦那様は元々、使い捨ての予定だったのよ。だから――」
「成程、理解した。この業界では偶に聞く話だな、まったく裏の名家というのは何処も……いや話が反れた、ならはっきり言った方がいいな」
一人だけ状況が飲み込めない雷蔵を余所に、貴咲達はアイコンタクトを交わし。
やがて彼女は頷いて、花開くような笑顔で伝えた。
「――恐らく三ヶ月ですって、ふふっ、赤ちゃんが出来たのよ。来年の今頃はもうお父さんよ、旦那様」
「………………………………え?」
んんん?? と雷蔵はフリーズした。
貴咲の変調がぐるぐると頭の中で回る、妙によく食べていた、酸っぱいものを好むようになった。
(そういえば、どっかで聞いたことある!? それって妊娠!! つわりの症状!? という事は――――)
きっかり一秒沈黙し、先ほどまで見せていた軽やかな動きとは一転。
グギギギと錆び付いたブリキの玩具のように、とてもぎこちない足取りで貴咲に近づくと。
まるで、壊れ物を扱うかのように抱きしめ。
「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 子供!! 僕と貴咲の子供!! 子供ができたのかい!! やった!! やったああああああああああああああああ!! 凄いよ貴咲!! 今日は人生で一番めでたい日だああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
「きゃっ!? だ、旦那様!? も、もう~~、そんなに強く抱きしめたら痛いわ……それに――泣いてるじゃない、バカね。する事をしていたら、そうもなるわよ」
「だって赤ちゃん!! 僕の!! 貴咲の!! うううううううううッ!! 上手く言葉が出てこないよ!! 嬉しい!! ありがとう貴咲!! ああ、夢みたいだ……僕に子供が……ッ!!」
「――――ありがとう、私の雷蔵」
夫の背に手を回し、抱きしめ返しながら貴咲は呟いた。
実の所、僅かな間だが少し不安だったのだ。
彼が家庭を、家族を求めている事は知っていた、己の事を愛してくれているのも、だから喜んでくれると思った、でも。
(少しだけ、ええ、もし子供なんていらないって)
可能性は否定できなかった、貴咲も雷蔵も、決して幸せな子供時代を送ったとはいいがたい。
親の愛情なんて、知らずに育った。
だから子供なんて、そう言われるかもと頭の片隅によぎって。
「いっぱい愛してあげようね!! 嗚呼、今から楽しみだなぁ……男の子なんだろうか、それとも女の子なんだろうか、あ、ベビー用品買わなくちゃ!!」
「もうっ、気が早いわよ旦那様」
「おめでとう雷蔵、親友として心からの祝福を送るよ。そうだ、育児休暇を取るならちゃんと申請しろよ? 育児手当もあるし、他にも色々な福利厚生があるからな?」
「私もおばさんと呼ばれる様になるのか……おめでとう雷蔵、貴咲さん。子育ては勿論、妊娠中のサポートも是非協力させてくれ!!」
恭二朗と吉見のお祝いの言葉を皮切りに、次々と二人へ人が押し寄せる。
「お゛め゛でと゛う゛ござい゛ま゛す゛お姉さま~~~~~~~!! ああ、わたくしは嬉しい!! お姉さまにお子が出来るなんて、なんて素晴らしい日でしょう!! 雷蔵さんもおめでとうございます!!」
「師匠!! 雷蔵くん!! おめでとう……ううっ、おめでとおおおおおおおおお!! くぅ~~~~、なんだか自分の事みたいに嬉しいです!! 本当におめでとうございます!!」
「いやーめでたい! めでたいな不破! それに貴咲さん!! おめでとう!! ウチのカミさんは三人産んでるからな! 不安に思ったら遠慮なくそうだんしてくれ!!」
「――おめでとう、と言っておこうか殺戮人形。……違うな、お前は既に殺戮人形ではなかったか最強。仕事の手が足りなくなったら私に言え、今回の敗北で殺されなかった温情、そして子への祝福として貴様の配下になろう、ククッ、あとで他の者にも聞いてみるといい、同じ言葉が返ってくるぞきっと」
優香、芽衣子、ヨシダ、そして最後にドクターマシンガンがそれぞれ夫婦を祝福した。
貴咲はありがとうと微笑み、雷蔵は照れくさそうに笑い。
とても幸せな光景で、その時であった。
――くぅ、と小さな音が一つ。続いてぐぅ~~と大きな音が一つ。
「…………ちょっと旦那様?」
「いや君もだろう??」
「くくくッ、ふふふふふッ、ああ笑ってすまないな二人とも。そういえば朝食がまだだった、空腹なのは皆同じさ」
「フフッ、そういえばゴタゴタしてて忘れていたな。その様子だと貴咲も食欲があるようだし――」
つまりは朝食だ、この場にいる誰もが朝食を食べ損ねており。
幸いな事に、まだ朝食の時間でもある。
ならば。
「ねぇ貴咲、君は何が食べたい? 何でも言ってよ!!」
「今の私に聞いても、酸っぱいものが食べたいとしか言えないわよ? 食欲は普通にあるから何出されても食べられるけど」
愛する妻は酸っぱい系の食事がご所望である、雷蔵のスイッチが再びパチンパチンと入り始める。
殺気はない、しかし妙な圧力が貴咲以外の全員に降り注いで。
「――――さぁ意見を出して欲しい、酸っぱさを感じられる妊婦さんに優しいメニュー案を出すんだ」
「お、おまッ!? 雷蔵!! 気持ちは分かるが目が怖いぞお前!! 落ち着けッ、暴走するんじゃない! 良美さんも何か言ってくれ!!」
「ふむ、……妊婦に優しい食事で酸っぱさを、そして朝食か、少し難題のように思えるな。それはそれとして威圧しすぎた雷蔵、他の者達が固まっているぞ」
「え、そう?」
そんなに威圧感があるのだろうか、それともこれが父親としての貫禄なのだろうか。
暴走しているが故に雷蔵が見当違いの納得をしている一方、ドクターマシンガンや芽衣子達は。
「(どどどどどど、どうしましょう芽衣子さん!! 野咲!! なんかヤベェですわ!! さっきとは違った意味で危険を感じますわ!! ここは何としてでもお姉さま好みの朝食を考えないと何かがヤバイですわ!!)」
「(お嬢!! と、取りあえずベタですがレモンを使った何かでどうっスか!?)」
「(ううっ、ドクターとヨシダさんは何かあります? レモンと言ったらレモネードしか浮かばないのよぉ!)」
「(ふむ……、体を冷やすのは避けておこう。暖かく消化に良いもの……)」
「(あ、俺に案があるぜ。カミさんが妊娠中によく食べてたんだ!)」
円陣を組み小声で会話していた四人の中から、代表としてヨシダが出てくる。
何を言うのかと、雷蔵達が興味深く見守る中。
「俺たちの案……というかウチのカミさんお勧めなんだがな。おろしうどんはどうだ? レモンを乗せてるヤツなんだが」
「それだよヨシダさん!! とても心強いしベストチョイスだよそれ!! ――よし、なら全員分作るから姉さんはヨシダさんと指揮を頼む!! 買い出しは僕がアイツら叩き起こして行ってくる!! 今ある材料で出来る所までしておいて欲しい!!」
「ちょっと待った雷蔵、アイツらとは? ヨシダはともかく他の奴らは護衛で残しておきたいが」
「居るでしょ、そこに気絶してる残り29人が。さ、必要な物を言ってよ、コンビニでもスーパーでも農家の人を叩き起こしてでも揃えてみせるから!!」
何という猪突猛進、恭二朗達は思わず貴咲に説得を期待したが。
彼女は苦笑をひとつ、しっかりと頷いて。
「じゃあ任せたわ」
「貴咲さん!?」「貴咲?」「お姉さま!?」「師匠!?」「あー、不破の奥方?」
「安心して、あれは喜びすぎてはしゃいでるだけよ。実害は無いから気の済むまで暴走させておいて」
他ならぬ妻がいうなら、そうするしかない。
叩き起こされた挙げ句、有無をいわさず買い出しに行かされる殺し屋達には命があるだけマシだと思って貰うしかない。
全てはレモンおろしウドン(温)の為に、彼らは行動開始して……約一時間後。
「――――出来たよ貴咲!!」
「知ってるわよ、一緒に作ってたでしょうに……もう、旦那様ったら可愛いんだから」
殺し屋達も含めて全員の前には、レモンおろしウドンが。
「まさか俺らも食えるとは」
「しゃーねぇ着いていくしかねぇか不破の旦那に」「敗者の定め、強者には従うべしっていうか馬に蹴られて死にたくない」
「負けたのに五体満足で生きてるしゴトーに雇って貰えるし不破様がいるなら我ら勝ち組では??」
などなど、少し前まで殺し合いをしていたとは思えないぐらいに和気藹々とした空気。
ヨシダ達もこれには苦笑しながら、同僚になるのだからと受け入れ。
「ささっ、お姉さまと雷蔵さんはコッチに座ってくださいまし」
「食事の前に記念撮影ですっ! さ、にっこり笑ってお二人さん! ――――はい、撮れました! 後でデータと現像した写真渡しますね」
「終わったか? 流石に私も腹が減った、そうでしょう良美さん?」
「…………何故、私に同意を求めるのだ恭二朗さん? ふむ、デートを申し込むなら食後にしてくれ」
「マジでやったぜ! 今の聞いたか雷蔵!!」
別荘からイスとテーブルを持ち出し、海岸にて全員揃って。
「「「「いただきます!!」」」」
少し遅い朝食の始まりである。
途端に、美味しい、うまい、楽しげな声があがり。
そんな中、貴咲は暖かなスープを一口。
(あー……暖まる、それにおろしとレモンがさっぱりと酸っぱくて、ふふっ、ウドンにレモンって案外あうのね)
自分と雷蔵と、生まれてくる子の為に皆が、敵だった者まで協力して朝食を作ってくれた。
それが何より嬉しくて、こんな幸せな結婚生活が送れるなど昔は想像すら出来なかった。
(ここまで来るのに、色々あったわね……)
これからの人生、色々とあるだろう。
きっと裏社会と自分たち夫婦、家族は縁を切れないし。
雷蔵と貴咲は何度だって喧嘩を繰り返す、でもこれからは。
「――――幸せって、こういう味なのね」
「これからも、君と一緒に幸せの味を探して、それで今度は子供一緒に味わおうよ!」
「ふふっ、一生離さないでね旦那様?」
「勿論だよ!!」
雷蔵とならきっと乗り越えられる、幸せになれる。
周囲にはこんなにも祝福してくれる人たちがいて、幸せを願ってくれる人がいて。
恵まれているとは、こういう事なのだ。
「はぁ――――嗚呼、美味しいっ!」
「いやー、ホント美味しいねぇ……!」
ずずずっと麺を啜る、スープを味わう、今日のウドンは二人にとって一生忘れられない味になったのであった。
――――――そして一週間後である。
「ちょっと旦那様? 心配なのは理解するけども…………いい加減に鎖を外してくださらないかしら??」
雷蔵と貴咲は元の部屋を取り戻し、生活を続けていたのだが。
以前とは違う所が一つ、否、複数箇所。
「そうは言うけどね貴咲、これも君の為なんだよ!」
「私の為ではなく、旦那様が安心したいだけでしょう……まったく、首は妥協するからせめて手と足の鎖は外して欲しいって言ってるでしょ!!」
なんという事だろうか、元々部屋では首輪と鎖をつけていた貴咲であったが。
今の彼女には、それが手足まで増えていたのであった。
※次回、最終話で完結です。
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