ターゲット22~24/馬に蹴られる『麻婆豆腐』(※今話から残り最後まで、手間を省くため三話分をひとつに纏めて投稿します)
寝る場所があるという事は、心が落ち着くのだろう。
雷蔵と貴咲は、バーベキューの時に訪れた社長の別荘を借りることになり。
冷静になってみれば、怒りは残るもののワクワクが勝っていた。
――二人はソファーで肩を寄せ合って。
「いやぁ、久しぶりだなぁ。この追いつめられてるって感じ、子供の時以来かな? うーん、楽しくなってきたねぇ……!!」
「呆れた……どこまで暢気なの旦那様? 私たちは大切な家を追い出されたのですよ?」
「そういう君だって、レモネード飲みながら笑ってるじゃん。本音をいいなよ、――ちょっと楽しいでしょ?」
「…………まあ、少しは」
貴咲はストローをズズズと音を出しながら、最後の一滴を飲み干した。
下品な行為であると理解しているが、普段なら気にするソレが気にならないぐらいに心が浮き立っている。
隣のコップに手を伸ばしながら、彼女は伸びやかに笑った。
「それ僕のだけど? 言ってくれたら新しいの持ってくるのに……」
「ふふっ、貰うわね」
「そんなに喉が乾いてたんだ、気づかなかったよ」
「そういう訳じゃないのだけれど……、妙に美味しく感じるし何杯でも飲めそうな気がするのよ。適度なスリルのせいかしら?」
適度なスリルと、貴咲は現状をそう言い表した。
それは雷蔵も同じで、だってそうだ。
命の危険はなく、大切な家ではあったが元々はセーフハウスとして使っていた部屋だ。
「一息ついた所でさ、これからどうしようか? 新居の話でもする? それともあの長谷部某の次の手でも予想する?」
「そうね……、詳しい事はゴトーが良美さん経由で分かり次第知らせてくれるのよね?」
「その手筈になってる、さっき連絡があったからボチボチ来るんじゃないかな?」
「なら、あの勘違い男の次の手でも予想しましょうか」
彼自身は愚かでも、その周囲までが愚かである筈がない。
監視の件を考えても、周囲に頭脳役がいるのは間違いないだろう。
故に、警戒するに越したことはなく。
「この別荘を襲撃されるのも想定しておかないとね」
「尾行は撒いてきたけれど、途中で普通に買い物したものね。この私の美貌なら覚えている者も多そうだし……」
「美しさは罪って貴咲のことを言うんだねぇ。まー、あのマザコン男が来ようとしても周囲が止めるでしょ流石にさ」
「あの男に伝手はなくとも、周囲にはこちら側の人間だっているでしょうしね。――旦那様の素性もバレていると見ていいでしょう」
裏社会で最強の名を欲しいままにする雷蔵を前に、出来ることは限られている。
その上、ゴトーという会社がバックアップに回っているのだ。
直接事を構えるのは愚の骨頂、理性が残っているならばこのまま向こうが撤退するまであり得る。
(なーんか嫌な予感がするんだよね、馬鹿の行動って予想を遙かに下回ってくるからなぁ……)
雷蔵の経験と勘が、決して油断をするなと囁いている。
一人ならば難なく切り抜けられるだろう、だが貴咲がいるのだ。
彼女は決して足手まといではないが、どうにも変調を来している気がしてならない。
「ちょっと貴咲? なんでレモンを食べ始めたの?? 君ってば酸っぱい系が好きだったっけ?」
「あら、言ってなかったかしら? 不思議なものよね、大人になると味の好みが変わるっていうけど。何日か前から急に酸っぱいものが美味しく感じるのよ、それに妙にお腹が空きやすいし……まだ育つのかしら、この胸は」
「むむむ……?? 確かに最近、少し大きくなってきた気が?」
「困ったわね、これ以上となると服も買い直さなきゃいけないのだけれど」
(誤差程度だけど、ウェストも……って指摘した方が良いのかな? いやでも気にするよね絶対)
もしかするとこれが噂の幸せ太りなのかもしれない、ならば自分もそうなっているのかもと雷蔵は危機感を覚えた。
己の第六感が発する警告は、しあわせ太りによる運動機能の僅かな低下、それに伴い緊急時の行動に無視できぬ影響が出ているのでは。
「――――もうそろそろ晩御飯だけど、辛いものはどうかな? 脂肪燃焼的な意味で」
「あらいいわね、脂肪を燃やせば胸のサイズも維持できるかしら」
雷蔵としては、妻の胸が大きくなる事柄に非常なる楽しみを覚えたが。
彼女の機嫌を守るため、しっかりと胃袋へと押し込む。
男が考える以上に、女性はスタイルを気にするものだと結婚生活で学んだからだ。
「よし、なら今日のメニュ「雷蔵おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「わわっ!? よ、良美さん!?」
「これ!! これを見ろ雷蔵! 貴咲! なんて、なんて喜ばしいんだ!!」
「ちょっと落ち着きなさい良美さん!! 旦那様が返事出来ない!!」
突如として別荘に入ってきた良美は、そのまま雷蔵に駆け寄って抱きしめた。
ソファーに座っていたが故に、彼は大きな胸に抱きしめられ。
そして彼女はライダースーツを着ていた為、もはや息苦しさしかない。
「――ぷはッ!? ちょっと良美さん??」
「ああ、すまない雷蔵……少し興奮してしまってな」
「これが少し? なら離して欲しいんだけど」
「おっと、お嫁さんの前ですまなかったな。すまない貴咲」
「い、いえ、それはいいのですけれど。情報を持ってきてくれたのでは?」
戸惑いながら訪ねる貴咲に、良美はそうだったと頷き足下に投げ捨てていたジェラルミンケースを拾う。
そしてその中から、書類を取り出し。
「これが例の阿呆の調査結果、そしてこっちが――私と雷蔵の血縁関係が認められたDNAの調査結果だ!! うむ!! 嗚呼――どう喜べばいいか私はもう分からないんだ、色んな感情が止まらない!! ううッ、父さん母さん、吉武は生きていた~~~~!!」
「…………………………え? マジで??」
長谷部某の情報より、遙かに驚きの情報。
不破雷蔵の家族は生きていた、そうであればいいと思ってはいたが本当だとはそこまで信じておらず。
思考停止に陥った彼に代わり、妻は冷静に訪ねた。
「こんなに早く結果が出るものなの?」
「札束で叩いて割り込ませて貰ったからな、念のために五社に頼んだが結果は全て同じく間違いなく姉弟であると!! 嗚呼、弟よ!! そして義妹よ!! 私は嬉しい!! 嬉しくて顔が笑顔で固定されてしまった助けてくれ!!」
「ふおおおおおおおおおおおおお!! 知ってたかい貴咲!? 僕と良美さんは……いや姉さん!! 本当に姉さんなの!! 姉さん!!」
「そうだ、そうだ雷蔵…………、嗚呼――それとも吉武の方がいいか? いや……お前には馴染みのない名前だろう、だが覚えておいてくれ。お前の本当の名は吉武なんだ」
「向田吉武、ふふっ、なら私は向田貴咲になるのかしらね?」
二人の喜ぶ姿に貴咲も嬉しくなって、涙まで浮かんでしまう。
――貴男は、私の家族を殺した癖に。
じり、と暗い感情が心に染み出てきたが押し殺して。
(不思議ね、本当に嬉しいのに。でも少しだけ、本当に少しだけ……憎いわ。貴男の幸せが憎い。でも――――)
それでもいいと、貴咲は一度だけ目を伏せた。
死んで当然の家族だった、妹なんて特に嫌いだった、不破の屋敷にいた頃は憎しみから目を反らしていただけだ。
それでも家族を殺された憎悪がある、決して消えない憎悪がある。
(この憎悪を抱えたまま、旦那様と生きていたいのだもの。幸せになりたいのだもの。ふふっ、我ながらどうしようもないわ。だって……今、こんなに私は嬉しいのだから)
「姉さん!!」「吉武!!」「姉さん!!」「雷蔵!!」「姉さん!!」「吉武!! 雷蔵!!」
(旦那様の笑顔ひとつで、生きていける体になってしまったの……)
堅く抱き合う姉弟に、貴咲も抱きついて。
しばらく三人で笑いあった後、急に雷蔵は困ったような顔を良美に向けた。
「ところで姉さん、ぶっちゃけると吉武より雷蔵を名乗りたいんだけど……ダメかな?」
「え? 吉武の名を使わないのですか旦那様?」
「構わないが、理由を聞かせてくれるのだろう?」
「まぁ……なんというかね」
妻の顔を、ちらと夫は見て。
その意味が貴咲としては分からない、いったい何を言いたいのか。
良美もそれを察し、視線で続きを促す。
「雷蔵っていう名もね、三ヶ月ぐらい前に使い始めてさ、そこまで慣れ親しんだ名前じゃないんだけど……貴咲が、名付けてくれたから。番号でしか呼ばれなかった僕に、貴咲が人としての、夫としての名前をつけてくれたから」
「そうか……なら雷蔵と名乗ればいい。吉武の名は大切にしてくれるのだろう?」
「勿論! ――あ、もし僕らに子供が産まれたらさ、男の子だったら吉武って名付けようよ!!」
「ふふっ、なら女の子だったら義母さんの名前を、義父さんの名前は次男という風にしましょうか」
貴咲は雷蔵と共に子供に囲まれる光景を夢想して、実に幸せそうに微笑んだ。
そんな妻の姿に、夫もまた微笑んで。
仲睦まじい夫婦を目の当たりにし、良美は妙に結婚したくなった。
――次の瞬間、空気をぶち壊すように申し訳なさに溢れた声がして。
「あーー、本当にすまないが、俺としても幸せな空気を壊したくないんだがな」
「恭二郎!! 君も来てたんだね、ごめん気づかなくて……」
「気にするな、今来たところだ。――おめでとう、戸籍の名前を変更したくなったら何時でも言え、すぐに手配しよう」
「ありがとう、……でもその様子じゃお祝いを言いに来た訳じゃなさそうだね」
恭二郎の顔はどこか疲れ、そしてうんざりした様子で。
「悪いニュースがある、長谷部からな……ウチ経由でお前に貴咲さんを賭けて決闘の申し込みがあった」
「……………………………………マジで??」
これは面倒な事になるかもしれない、雷蔵のみならず貴咲も良美もそう確信したのであった。
■□■
決闘なんて、久しく聞いていなかった単語だった。
不破雷蔵は最強の殺し屋である、それが故に勝負、決闘を挑まれる事が多かったし。
以前は不破という家そのものが、彼への挑戦権を販売していた過去もある。
「えぇ~~……?? 決闘? 僕とあの長谷部某が? 喧嘩すらまともに出来なさそうなズブの素人と僕が決闘??」
「その困惑は非常に理解できるが、すまない。まだあるんだ……」
「まだ何かあるの!?」
「その、な? 向こうの親御さんがな? 金も出すし頭も下げるから……態と負けてくれとな?」
「ちょっと僕、理解が追いつかないんだけど??」
決闘を挑まれるのですら困惑しているのに、親は親で負けるように要求してくるとは。
謝罪と金銭の準備をしているという点ではまだマシな様に思えるが、そもそも裏の世界でも非常識極まりない。
裏であるからこそ、金銭より命や面子といったものが重要視される事を彼らは知らないのだろうか。
「頭を抱えたくなる気持ちは俺も凄く理解できる、そして我々にとっては門前払いな事である事も。――その上で、もう一つ聞いて欲しい」
「まだあるの!? どうなってんの長谷部某はッ!! 聞きたくない、すっごく聞きたくないんだけど!?」
一緒に聞いていた貴咲と良美も深く頷き、しかして恭二郎の疲れ切った顔をみると聞かなければいけなくて。
恐らく、とても重要な情報だろう。
だが、一番面倒な情報でもあるだろうと。
「――――長谷部重定の命を狙っている奴がいる」
「うわぁ……、なんか予想できたよ?? 聞きたくないッ、絶対に面倒な事態になってるでしょ!?」
「長谷部の跡継ぎは重定だが、あの馬鹿っぷりだろう? 当然不満な奴がいるというか、どうも父親の依怙贔屓で末息子の奴に席を譲ったらしくて…………、兄と姉が結託して……な?」
「………………それだけじゃないよね絶対、どうせ今回の決闘を聞きつけて馬鹿を殺そうと殺し屋を雇ったとかいう話でしょ、決闘を受けたら襲撃に巻き込まれて、受けなくても襲撃は決行され殺害の犯人は僕! みたいな事になるんでしょソレッ!!」
「おお、よく分かったな雷蔵! そうなんだ、その通りなんだよ――――馬鹿じゃねぇのアイツら!! 雷蔵を狙うって事は俺に、いやゴトーに喧嘩売ったって事実が分かってねぇのかよ!! いやだよ俺、あんな面倒そうな家をぶっつぶすとか手間しかなさそうなの!!」
「「ああもう!! なんで勝手に死にそうになってんだよ馬鹿野郎!!」」
そう、ここに至って問題は急拡大。
夫婦と馬鹿という個人間から、表の名家と裏の大企業との争いにまで。
とても不本意な事に、そんな発展の兆しが見えてきてしまったのだ。
(不味い事になったわね、誰か一人でも関係者が死んだら戦争は始まって。最悪――旦那様の手で、長谷部が族滅まで大いにあり得るわ)
誰が想像しただろうか、馬鹿の横恋慕でこんな大惨事が発生しつつあると。
しかし、不幸中の幸いとも言うべきか。
まだ、そう、まだ始まっていない、誰も死んでいないし傷ついてもいない。
(――――旦那様なら)
どうしようと頭を抱える二人から意識を外し、貴咲は思考を巡らせた。
雷蔵は強い、誰にも負けない、例え殺し屋がダース単位で送られてきても貴咲を完璧に守って殲滅するだろう。
(だから考えるべきは落とし所ではない、……如何に利益を引き出すかよ)
戦争を回避し、あくまで個人間の諍いに留め。
なおかつ、馬鹿の命を守った上で長谷部から慰謝料を限りなくむしり取る。
(問題は――、あの馬鹿男の心をへし折る方法ね)
馬鹿は学ばないから馬鹿なのだ、コチラの話を聞かない相手を言葉で納得させるのは無理筋。
故に選ぶなら暴力、しかし心を折るような暴力で極力物理的に傷つけないような方法とは何だろうか。
(…………襲撃、敗北依頼、何かに使えないかしら?)
貴咲はレモネードを一口、更に思考へ没頭し。
それを見ていた恭二郎は、疑問を雷蔵へと投げかけた。
「こんな時になんだが、アレ、いいのか? いくらレモネードと言っても飲み過ぎじゃないのか?」
「これで四杯目だね、止めた方がいいって思うんだけど。でも本人喜んで飲んでるしなぁ……」
「いくら嫁バカとはいえ、その判断は甘過ぎだろう。……しかし、ここのレモネードそんなに美味しかったか? ウチのシェフの自家製とはいえ普通の材料だった筈だが」
「あ、なんかね。最近急に味覚が変わったらしいんだ、酸っぱい物が好物になったんだって」
「へぇ、酸っぱい系がねぇ………………んん??」
はて、と恭二郎は首を傾げた。
雷蔵は気づいていない様子ではあるが、彼にとってはそうとしか受け取れず。
しかし、己は男であるが故に判断が間違っているかもしれないと良美に目で問いかけて。
「…………今の話を聞いて、私も同じ疑念を抱いた。もしかすると、もしかするかもしれない」
「やはりそうか……、この分かってない我が親友に教えるべきか?」
「どうだろうか、貴咲も気づいていない気がする。私たちの見立てが間違いでぬか喜びさせたくない」
「だが遅かれ早かれだろう? 特に雷蔵はその手の知識が不十分だ、そこまで教えられてない筈だからな」
あーだこーだと相談しあう恭二郎と良美、そして一人で考え込む貴咲。
一人取り残された気がして、雷蔵は妙な寂しさを覚えた。
妻が考えている事はある程度想像がつく、だが二人は何を言っているのだろうか。
(うーん、絶妙に言葉がボカされてて理解できないなぁ……。僕と貴咲に関わることで、特に貴咲の問題……、いったい何なんだ??)
直接聞いてみるべきか、と雷蔵が顔を上げた瞬間だった。
「――――整ったわ、ええ、全てが丸く収まる作戦があるの!」
「本当かい? 聞かせてよ!」
「ほう、興味深いな」
「俺にも是非聞きかせてくれ貴咲さん」
すると貴咲は、胸を張って得意げに口を開いた。
「あのバカ男に負けましょう旦那様!!」
「それって、向こうの親の依頼を受けるって事?」
「ふふっ、依頼を受けて報酬を毟り取るのよ。勿論、襲撃の事も忘れてはいないわ」
「となると、バカへの襲撃阻止と、決闘と、二手に分かれる必要があるって事だね」
決闘で負けるとなれば雷蔵はそちらで戦う必要があり、必然的に襲撃者の相手をしていられない。
三人は誰もがそう考えたのだが、貴咲は首を横に振って。
「いいえ、そのまま決闘を襲撃させます。ええ、旦那様ならバカも私達も守りながら全員を無力化できるでしょう?」
「うん、普通に可能な範疇だね」
「必要なのは三つ
『金を毟り取る為に依頼を受ける』
『襲撃者をバカの目の前で無力化する』
『その上でバカが勝利を認めるまで旦那様が徹底的に痛めつける』
そうすれば、戦争は起こらずバカは諦め長谷部から金を搾り取る事が出来るのよ!!」
「おお!! それなら全てが丸く収まる……って、え?? 最後の何? どういう事??」
握り拳で力説した妻には悪いが、夫は最後の一つが今一つ飲み込めなくて。
何がどうして、あの馬鹿殿が勝利を認めるまで痛めつける事になるのだろうか。
「ふふっ、実に簡単な事よ旦那様……。あの馬鹿はちょっとやそっとじゃ諦めないでしょう……、ならば!! 徹底的に心を折るのみ!! 襲撃者を馬鹿殿の目の前で完封する事で旦那様の実力を見せつけ、その上で負けたと言えば、向こうは侮辱されたと怒り狂う筈、そうなった馬鹿殿を旦那様が叩きのめした後で馬鹿が己が勝者だと宣言するまで叩きのめす!! あはっ、あはははははは!! 潰す!! あの馬鹿の心を徹底的に折るのよ旦那様!! 許すものですか、ああ、私と旦那様の愛の巣を汚した愚か者を決して許してなるものですか!!」
「えぇ……??」
瞳を爛々を輝かせて、狂気すら感じる笑みを浮かべた貴咲。
その光景に雷蔵はドン引きし、しかして恭二郎と良美は。
「うむ!! その心意気やヨシ!! 私も是非とも協力させてくれ!! 必ずやあの馬鹿とその一族に思い知らせてやろう!!」
「我がゴトー・クリーニングも総力をあげて協力するぞ!! はははははは!! 雷蔵! お前だけに苦労はさせるものか!! あの日、お前に命を救って貰った借りはまだまだ残っているのだ少しは返させろ!!」
「なんでそんなに乗り気なの??」
本当にそれでいいのか、妻の目論見通りに上手く事が運ぶのか。
雷蔵としては、とても疑問に思えたが。
ともあれ、三人はとてもやる気で。
「よっしゃあ!! では雷蔵! 貴咲さん! 良美さん、今日の晩御飯はこの俺、否、この私、恭二郎に任せて貰おう!! 景気付けに――簡単お手軽良い感じに辛い麻婆豆腐を作ってご馳走しようではないか!!」
「ふっ……手伝いますわ!!」
「うむ、私も手伝おう……!!」
「あー、じゃあ僕も手伝うね。……なんでこうなってるんだろう??」
夕刻の時間という事実はあれど、とても不思議なことに四人はその勢いのまま夕食の支度をする事になったのだ。
■□■
果たして麻婆豆腐を作るのに四人も必要なのか、そんな疑問はともあれ。
恭二郎は手早く冷蔵庫の中から、目当ての食材を探し出す。
「私の特製麻婆に必要なのは――ニンニク!! 挽き肉!! 長ネギ!! 椎茸!! 人参!! 豆腐!! 甜麺醤!! 豆板醤!! 味噌!! そして……市販の麻婆豆腐の素!!」
「あ、1から全部作るわけじゃないんだね?」
「良いことを教えてやろう親友……、料理ってのはなぁ……美味しければ楽してもいいのだ! 故に今回は所謂、アレンジレシピ!!」
「カレー作る時もルゥは市販のものだし、ええ、麻婆豆腐でも似たようなものなのね」
関心する新米夫婦とは対照的に、プロレベルの腕をもつ良美は真剣な顔で考え込む。
恭二郎の作り方や方針に口を出す訳ではない、家庭料理なら大いにアリと彼女もそう思っているからだ。
問題はそこではなく、もっと他の。
「うん? どうしたのさ姉さん。何か探してるの?」
「少しな……ああ、あった、あると思った。――後藤社長、これを使ってもいいか? 食後の杏仁豆腐というのも乙なものだろう」
「おお! そうかデザートを作ってくれるか! よしソッチは任せた!!」
「あら、なら私は義姉さんをお手伝いしようかしら」
複数人の料理人が使用する前提のキッチンは広く、四人は男女に分かれて調理する事になった。
彼女達が楽しげに作業開始したのを横目で見ながら、雷蔵は恭二郎に問いかけた。
「というか君、料理するんだね」
「…………お前にな、いつか手料理を食べさせたかったんだ」
「ありがとう恭二郎、僕は君みたいな親友を持てて果報者だね」
「ふっ、そんな事で礼を言うな。俺、いや私はお前に一生かかっても返しきれない借りがあるんだ」
恭二郎にとって、雷蔵はヒーローだった。
彼がまだ殺戮人形と呼ばれる前から、唯一無二の英雄であり。
彼がいなければ既に死んでいただろう、彼に助けられなければ社長の座に着く前に死んでいるし、他にも挙げればきりがない。
「恭二郎は僕に恩義を感じてるみたいだけどね、うん、その逆もあるって覚えておいて欲しいな。君が僕を親友って、友達になってくれたから僕は人で居られたんだ」
「なら――お互い様だな、ああ、お前への大きな借りがあるのは譲れないが。俺たちは対等なんだ」
「そうだよ恭二郎、だから今日も借りを増やしてあげるから何を手伝えばいいか言って欲しい」
「これはこれは大層な貸しになりそうだな、では先ず食材を切って貰おう。その間に私は追加の挽き肉を炒めておく」
余談であるが、白米の心配はいらない。
パンより白米が好きな恭二郎の趣味により、白米だけは何時でも食べられるようになっているのだ。
――雷蔵は、長ネギのみじん切りを開始して。
「へぇ、挽き肉ってバラバラにしないで焼いていいものなの?」
「ああコレか? 物によるがな、パックの形のまま片面を焼いて、それからひっくり返してからヘラで押すようにざっくり分解すると……」
「なるほど! 歯ごたえが嬉しい感じにある程度のお大きさを保った小ささになるんだね!」
「付け加えると、肉汁も良い感じに閉じこめられるという訳だ」
これは覚えておかなければと、雷蔵が心のメモに残しながら豆腐を切っている一方。
恭二郎は、調味料と小さじを手に取り。
「ここで甜麺醤を小匙1、同じく豆板醤も小匙1、味噌は小匙半分、それを挽き肉とよーく絡めて…………おお、そうだ。もし辛いのが平気なら甜麺醤と豆板醤は大匙でもいいぞ、しかし味噌は隠し味の意味合いが近いから分量はそのままだ」
「オッケー、今度チャレンジしてみるよ!」
「奥方と一緒に楽しむといい、ああいや待て、もしかすると来年以降にした方が良いかもしれないな。私は専門家じゃないから断言できないが」
「え、なんで来年??」
雷蔵はとても不思議に思ったが、ともあれ野菜類を炒める作業に入って。
それが終わったら、後は二つを合体しつつ麻婆豆腐の素のパッケージ通りに作るだけである。
「まだかなぁ、うーん良い匂いでお腹が空いてくるよ……!」
「向こうは――っ!? なっ、この短時間でどうやってあんなインスタ映えしそうな杏仁豆腐を!? これがプロの実力か!!」
「何ソレ!? うわッ、ホントだ、透明なグラスになんかお洒落な感じで入ってるし、赤いのはイチゴかな? ジャムかゼリーみたいなのを入れてるね」
「流石は向田良美っ、…………良いな、本気で口説き落とすべきか……??」
それは料理の腕を見込んでか、それとも異性としてか、はたまた裏の人間としてか。
ともあれ、雷蔵として親友に送る言葉は決まっている。
「これは麻婆豆腐丼にすべき? それとも普通に食べる?」
「そっちなのか? そこは姉さんに手を出すなとかじゃないのか??」
「いやどんな意味にしても姉さん次第だし、姉さんの意志を無視するなら、大切な君と言えど、ね?」
「あ、はい、その気は無いって分かってるが包丁置いてくれないか雷蔵?? 凄く怖いんだが?? 漏らすぞ? お前の勤め先の社長が幼児のように漏らすぞ??」
躊躇無く恥を捨て懇願する恭二郎に、雷蔵は苦笑を一つ。
思えばこんな所も初めて出会った頃から変わっていない、いや正しくはこれでもマシになっている気がする。
なにせ、あの時は。
「懐かしいなぁ、助けてくれなきゃウンコ漏らすって言ってたっけ」
「懐かしいのは俺も同じだが飯を作ってる時の話題じゃないぞ??」
「あ、そろそろ出来上がるんじゃない?」
「スルー!? そういう所も変わらないなお前!! 丼にするか聞いてきてくれ各自の好みにあわせる!!」
杏仁豆腐も出来上がっている様だし、ならば盛りつけるだけだ。
そして。
「「「「いただきます!」」」」
待望の夕食開始である、雷蔵は親友の手作りという現実に友情を噛みしめつつ。
まずは匂いから、レンゲで丼の中の麻婆豆腐の部分だけを掬い。
(匂いだけでも辛いって伝わってくるね、うん、これが麻婆豆腐か)
例によって、麻婆豆腐も初めて食べる料理であり。
期待に目を輝かせ、最初の一口。
「――からっ! うまっ! 美味しいねコレ!!」
「豚挽き肉を追加する事により甘さと旨味を、そのままだと辛みがなくなる所を甜麺醤と豆板醤で、ええ、いいわねコレっ」
「ふむ……、隠し味に味噌を小匙半分といった所か」
「我ながら今回も良い出来だ……、そうだ、なぁ良美さん、今度は貴女の手料理を食べさせて欲しい、とても美味しいと聞いてな気になっていたんだ」
良美を口説き始める恭二郎、彼女はそれを満更でもなく受け入れ。
雷蔵と貴咲は、ひたすらに味を楽しむ。
「ご飯が進む!! 辛旨いってこういう味なんだね!!」
「甘いのに辛い、ええ、本当に美味しいわ。これなら私も作れそうね、具を追加してもよさそう」
「具を追加? いいねソレ! 今度二人で考えようか! いやー、美味しい!! 美味い!!」
「ふふっ、ご飯おかわりしちゃおうかしら」
普段なら一膳で止めておく所を、貴咲はいそいそと席を立ち白米のおかわりを求めに行く。
それを見て、恭二郎と良美はアイコンタクトを繰り返し。
やはり、何かあるのだと雷蔵は確信した。
(二人の反応から、そう悪い感じではなさそうだけど……貴咲の身に何か起こってる事は確かだね。注意しておかないと)
守らねば、と決意を新たに箸を握りしめるも。
「――あ、僕もおかわりしよーっと」
雷蔵もまた、席を立つ。
人数分以上の量があった筈の麻婆豆腐、すっかり空になって。
メインディッシュが終われば、最後はデザート。
四人は杏仁豆腐を珈琲と一緒に味わい、ならば明日の昼の決闘に備えて早めに寝るだけだ。
「じゃあお休み、警備は任せていいんだね恭二郎?」
「ああ、ヨシダ達を周囲に配置してある。万が一も無いだろう。貴咲さんとゆっくり休んでいてくれ」
「ありがと、じゃあ恭二郎もゆっくり休んでよ」
そうして、何事もなく朝を迎えた訳ではあったが。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!! 助けてくれ!! 謝るから土下座をするから何でもするからボクを助けて今すぐこの扉をあけて警護の者も退けて、いやそのまま守って欲しい!! 来る!! 悪魔達にボクが殺されるうううううううう!!」
「…………ねぇ貴咲、これどんな顔してドアを開ければいいかな?」
「悩ましいわね、助けを求めてくるとは……」
「弟よ、罠かもしれない刀を持っておけ」
「すまん、ちょっと面倒な情報が入った。長谷部重定を入れてやってくれ…………」
朝から助けを求めて泣きついてきた長谷部某に、全員は深い溜息を出したのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます