ターゲット21/嵐の前の『フレンチトースト』③
曰く、フレンチトーストを美味しく焼くコツというのは。
「――ええ、そう、バターは溶けてしゅわしゅわしてきたわね? なら弱火でじっくり焼くの」
「フチが色づいたら焼けてる証拠、フライ返しで裏返して同じように焼く、だったね」
貴咲がお気に入りの花柄のティーポットに烏龍茶を用意している隣で、雷蔵はフライパンと睨めっこ。
早く焼けないものか、そう思うと同時にこの待っている時間がとても楽しくて。
ちらりと隣を見れば、妻も鼻歌交じりで茶葉を準備しており。
「そういえば知らなかったよ、君がそんなに烏龍茶が好きだったなんて」
「実はね、最初は優香の趣味だったのよ。あの子がいれた暖かい烏龍茶がとても美味しくて、ええ、私も好きになったの」
「明日はお茶屋さんにも行くかい? 近くにあるかな?」
「それなら丁度、駅前に行きたかったお茶屋さんがあるの、――ふふっ、着替えだけじゃなくて色々持って行こうかしら」
上機嫌の妻を見ていると、とても幸せな気分になって。
贅沢を言うなら、誰かに狙われていなければよかったのに。
いったい、誰が何の目的で狙っているのだろうか。
「………………うん、そろそろかな」
よいしょ、と彼はフレンチトーストを裏返す。
素人目ではあるが、とても理想的に焼けているような気がして。
香ばしく甘い匂いが台所に漂い、とても食欲がそそられる。
「やっぱり便利ね、電気ポッドって。つくづくそう思うの」
「あー……、不破ではそういうの禁止だったもんねぇ……あれ何だったんだろうね、ご飯を炊くのにも竈だったし」
「とにかく時代錯誤な家だったわね、ええ、私たちの子供にはそんな苦労はさせたくないわ」
「同意するよ、でも土鍋でご飯を炊くのは覚えて欲しいっていったら感傷かな?」
懐かしむような言葉を、妻は笑い飛ばさなかった。
灰になって当然の家だった、だが良い思い出もあったから。
その一部だけでも、と思うのは彼女も同じで。
「私も同じ考えよ、でもそれ以外は普通に育てたい」
「あ、それは僕もまったく同じだ。ある程度は強く育って欲しいけど、殺し屋とかなるべきじゃないからね」
「教育方針が一致して嬉しいわ、では勉学の方は?」
「大学を出てくれたらって思う、僕は小学校すら通ってないからね」
貴咲としても、大学に行きたくても行けなかった身だ。
我が子には、そんな想いはさせたくない。
それはそれとして、彼女はふと気になって。
「ところで旦那様? その……勉強はどこまで出来るの?」
「自慢じゃないけど期待しないで欲しい、ああ、子供に教えられるように勉強すべきだねぇ……教えてくれるかい? 一応、中学ぐらいの知識はある筈なんだけどさ」
「ふふっ、なら一緒に勉強しましょう。きっと楽しいわ」
「うん、君と一緒なら楽しそうだ。――っと、出来た!」
未来に思いを馳せている間に、フレンチトーストは完成した。
雷蔵はそれを皿に移し、貴咲が仕上げだと言ってその脇にホイップクリームを絞る。
最後にフォークとナイフを用意すれば、楽しいおやつタイムだ。
「「いただきます!!」」
二人はまずは一口と、小さく切り取ってフォークを刺す。
貴咲はまず匂いを堪能し、雷蔵は口に運んだ。
「ああ、堪らないわね……この砂糖が焦げた香ばしさと、牛乳と卵の甘い匂いが好きなのよ」
「んぐんぐ、ああ、口の中で溶けてしまいそうなぐらい柔らかくて、暖かくて、甘さが体全体に広がっていくっていうのかな? ああ、……美味しい!!」
「ふふっ、気に入ったみたいね。じゃあ私はホイップクリームをつけて――――美味しい!」
「こんな美味しい物を食べてこなかったなんて、うん、人生損してた。ああ、なんでこんなに美味しいんだろう!!」
もう一口、もう一口を二人はフレンチトーストを頬張る。
途中で烏龍茶を飲み、口の中をリセットするのも忘れない。
「へぇ~~、あったかい烏龍茶って美味しいんだねぇ……」
「中々良いでしょ? 冷たいのより匂いが強く感じられて好きなのよ、ああ、……胸に染み渡るわぁ」
「もぐもぐ、成程。ホイップクリームで甘さを足すのもいいものだね」
「実はその為に、少しだけ砂糖を減らしているのよ。……今度はバーナーを買ってきて、キャラメリゼに挑戦するのも悪くないかもね」
このフレンチトーストがもっと美味しくなる可能性があるらしい、その事に雷蔵は目を丸くして。
料理とは、なんと素晴らしいことか。
食べる手が止まらない、だがあくまでオヤツとしての量。
「…………もっと食べたいなぁ」
「ふふっ、これ以上食べると夕飯に響くからダメよ。御馳走様でした」
「残念だけど仕方ないか、……御馳走様!!」
「じゃあ明日のデートの予定を、もっと詳しく――」
貴咲が言い掛けた瞬間だった、ぴんぽーんと呼び鈴の音が。
二人はアイコンタクトで、来客予定を確認する。
しかし雷蔵にも貴咲にも心当たりはなく、荷物が届く予定もない。
「僕が出るよ、なんだろう新聞とかかな?」
「新聞だったら断ってね、テレビとネットで購読してるので十分だから」
「へぇ、そういうの使ってたんだね。僕は職場で読んでるから気が付かなかったよ」
「便利よねスマホって、旦那様に買って貰うまで優香が触ってるのを見るだけだったから新鮮だわ」
スマホを取り出し、満足そうに撫でる妻をもっと見ていたかったが。
来客の対応をしなければならない、いったい何処の誰が来たのか。
雷蔵は襲撃も想定し、インターホンの通話ボタンを押そうとしたその時だった。
――ガチャ、と音がしドアが開いて。
「ふおおおおおおおおおおおおお!! ここが我が貴咲の住まう部屋か!! なんて狭苦しい!! ボクならばこのような貧乏暮らしなど――」
「ちょっと!? 誰だよ君ッ!! 土足で入ってきた上に、我が貴咲? 貴咲は僕の妻だ!! 名を名乗れ無礼者!!」
「はっ、貴様こそ我が貴咲と勝手に結婚した無礼者ではないか!! ボクが誰だと思ってる!! あ、貴咲さん!! 貴女の最愛の婚約者、長谷部重定が参りました!! ささっ!! どうぞ我が屋敷で婚礼をあげましょうぞ!!」
「――――――えっと……、どなたですか?」
二人の家に文字通り土足で入り込んだ侵入者、大柄だがひょろひょろとし。
不健康な青白い肌をした、顔だけは整った男。
(長谷部……重定? え? 誰? どなた? というか無礼すぎない?? 土足で入り込んだ挙げ句、狭いとかなんとか――――)
あまりにも突拍子のない出来事に、貴咲の脳味噌はフリーズ寸前だ。
だが、侵入者の名前をどこか聞き覚えのあるような気がして。
「ねぇ貴咲、ぶん殴って叩き出していいよね? ちょっと僕、キれそうなんだけど??」
「慎重にして旦那様、この人、どこかの御曹司よ」
「ああ、そのスーツ高そうだもんね。でも似合ってないなぁ……、スーツに着られてるって感じ」
「誰か止めなかったのかしら、この無礼で常識知らずでセンスゼロの勘違い男。というか婚約者? 知らないわよそんな人なんて」
何かの間違いではないだろうか、貴咲が嫁ぐ予定だった男は老年で太っていて、大臣職も経験のある人物だった。
どう考えても、目の前の男には繋がらなくて。
「ああ、ボクは悲しい!! でも責めないよ、仕方のない事さ……ボクの貴咲。君は名目上、父の後妻として嫁ぐ予定で何も知らされてなかったのだからね!! それを何だいそこの横入り男!! お父様が味見した後でボクに渡される筈だったのに、勝手に貴咲を奪って結婚するだなんて!! 返せ!! 貴咲はボクのだぞ!!」
「…………ね、殺していい? 監視もコイツでしょ」
「そうね、後始末には私も頭を下げて回るから、旦那様の好きになさって」
「くっ、なんて事だ……この男に洗脳されたんですね貴咲さん! だがもう安心してください、ボクの愛で助け出してあげますからね!!」
どうやったら、こんな恥知らずで常識知らずの盆暗に育つのだろうか。
着ている物からして、少なくとも裕福な育ちである筈なのに。
勘違い男とは、この男にこそ相応しい言葉に思えた。
「もう喋るなよ君、あの世で後悔するんだね」
「ほう? 暴力に訴える気か? ボクにそんな事をしたらママが黙っていないぞ? ま、もう手遅れだがな」
「――手遅れ? 貴男、何をしたの?」
「よくぞ聞いてくれた我が貴咲!! この男を懲らしめる為に銀行に手を回して口座を封鎖して貰った! このマンションも買い取ったから今すぐ出て行って貰う!! ああ、服ぐらいは持ち出していいぞ? 間男とはいえ大火事で全て焼けだされた貴咲に住むところを与えた恩ぐらいはあえて買ってやろう」
「………………まいったね、こりゃ」
彼の言葉を信じるならば、彼自身は親の七光りとはいえ、彼の家が強大な権力を持っている。
しかも銀行を動かせる、となると限られてくるが。
残念な事に、雷蔵が持つ情報にはその中に長谷部という家名はなく。
(政治家か大企業の私生児、しかもかなり気に入られているって所かな? 長谷部っていう名字はそのママとやらの名字だろう)
それが正しかった所で、この部屋を追い出され、しかも銀行口座が封鎖されているとなると詰み確定である。
もっとも、それは雷蔵達が一般人であったならば、だ。
盛大にため息を出すと、彼は長谷部に問いかける。
「…………ちょっと聞くけどさ、不破を何だと思ってるのかい?」
「不破? もうすぐ貴咲の名字は長谷部になるんだ何を気にする事がある」
「ならもう一つ、君のお父様とやらは? なんで今になって貴咲を浚いに来たんだい?」
「フン、キミから助け出すと言え。……パパは少し前に亡くなった、それがどうした? ボクはパパがいなくても全てを手に出来るんだママもうそう言ってる!! さぁ、観念して貴咲を渡せ! 否! ボクと一緒にいこう貴咲! キミを幸せにするよ!!」
長谷部がそう言いながら貴咲の腕を掴もうとした一瞬、彼女は逆に彼の腕を掴むと。
大輪の花が咲くような笑顔を向けて、勢いよく長い足を振り。
「――――死んでもごめんだわっ!!」
「おっ、あっがぁっ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」
「うわっ、モロに入ったね今の。男として同情……はしないか、うん、いやダメすぎるコイツ」
「ふんっ、私の全ては旦那様のもの! 誰が貴男となんか結婚しますかっ!! ――行きましょう旦那様!」
長谷部重定に強烈な金的をくらわせた貴咲は、肩を怒らせて歩き出す。
雷蔵はその隣で手を握り、二人とも悶絶し床に転がる彼には目もくれない。
平和で平穏な生活は、突如として壊された。
「んじゃあ……気を取り直してさ、今からデートでもしよっか」
「ええ、そうしましょう。たかが部屋を追い出されて口座を封じられたぐらい、私たちなら平気ですもの」
「なら一度、僕の会社に寄ってからにしよう。――嗚呼、この大馬鹿野郎にどうやってやり返そうかなぁ」
「復讐計画を練りましょう旦那様、徹底的にやるのです、ええ、あはっ、うふふふふっ、私達の愛の巣を土足で上がり込んで追い出してくれた罪、地獄で後悔させてやりますわ!! …………一応殺さずにっ!!」
「それが一番難しいんだよなぁ、殺さないって面倒だよなぁ……」
これが悪人や、裏に属する人種だったら何の心配も躊躇もせずに殺したのに。
殺し屋は殺すが仕事だ、しかし無闇矢鱈に殺す訳ではない。
そこには、不文律というものが確かにあって。
「なんにせよ、貴咲と一緒なら僕はどこでも幸せさ」
「ええ、私もよ旦那様……」
二人はとても素直に、そしてごく自然に微笑みあったのであった。
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