ターゲット20/嵐の前の『フレンチトースト』②



 お揃いのピンクのエプロンを着て台所に立った二人は、手分けして材料を取り出した。

 フレンチトーストに必要な材料は、そう多くはない。

 早速並んだ材料達に、雷蔵と貴咲は顔を見合わせ笑いあう。


「よーし、材料の確認からいこうか」


「食パン、卵2個、砂糖30、牛乳150、バター15、今回はこれね」


「お、レシピを見ずに言えるなんて得意料理?」


「ふふっ、旦那様に作って上げてもいいかなって。少し前にネットの動画で予習してたのよ」


「ほほうッ!! 嬉しいよ貴咲!!」


 愛する妻が己の為に、手作りのお菓子を。

 雷蔵は胸に熱い何かがこみ上げてくるのを実感した、これが幸せか、夫婦か、己はなんと果報者なのか。

 どうやってこの幸せに報いるべきか、夫として今、できる事とは。


(完璧に準備してみせる!!)


 スッと意識が切り替わる、仕事の時よりスムーズに。

 どんなに難しい標的を殺す時よりも早く、正確に、確実に、今の雷蔵は正しく機械。

 誰かを殺す機械ではなく、調理の準備をする機械である。


「準備は任せろぉ!!」


「はやっ!? え? ちょっと旦那様!? 気持ち悪っ!? なんでそんなに――って、ああっ、ちゃんと計って!! そんな適当に……!!」


「――準備、完了ッ!! 安心してよ貴咲、今まで培ってきた経験を生かせば秤なんてなくても正確な量を計れるさ」


「どこまで人間辞めてるんですか旦那様?? ――――うわ、本当に全部1グラムの狂いもなく用意されて……!?」


 どうやったら、こんな神業ができるのか。

 冷蔵庫からバターと卵と牛乳を取り出し宙に投げたかと思えば、いつの間にか卵の中身がボールに移され殻は生ゴミ入れに落下。

 牛乳パックは一回転し適量が計量カップへ、残りを一滴もこぼさずパックは掌で弾かれ冷蔵庫の元あった場所へ。


(それに加えて、バターもジャストで小皿にある……えぇ……?? 三つ同時に全部こなしたって言うの??)


 その瞬間、貴咲は気づいた。

 三つ同時にではない、全部だ。

 砂糖も食パンも用意されてる、夫は五つの事を同時かつ一秒もかからず完了したのだ。


「…………はぁ、じゃあタッパーを用意して」


「オッケー」


「それから、食パンの耳を切っておいて。私は卵液を作っておくわ」


 諦めの境地に達した貴咲は、卵と砂糖を混ぜて卵液を作り始める。

 砂糖が卵に全部とけるまで混ぜたら、後はパンを浸せば準備完了だ。


「へぇ~~、卵液は半分先に入れて、パンを入れた後に残りをかけるんだ」


「これで冷蔵庫で30分、少し待ちましょう」


「どんな味になるのかなぁ、フレンチトーストを食べるの初めてだから楽しみだよ!!」


「実は好きなスイーツの一つなの、旦那様も気に入ってくれると嬉しいわ」


 うっかり忘れてしまいそうになるが、お嬢様として育ち、権力者の女になるよう教育を受けた貴咲と違い雷蔵の食生活は悲惨の一言だ。


「…………これから、色んな物を一緒に食べましょうね」


「うん、一緒に作って食べよう! あー、早く30分たたないかなぁ……、待ち遠しい……、――――――あ」


「どうかしたの旦那様?」


「いや、君に話さなきゃいけない事があったのを思い出したんだ」


 深刻な顔をしだした夫に、妻は思わず可愛く小首を傾げて。

 その仕草に雷蔵は思わず抱きしめたくなったが、ぐっと我慢した。

 パンが卵液に漬かるまで三十分もある、この機会に話してしまうべきである。


「驚かないで聞いて欲しいんだけど……僕らを狙う奴がいるんだ。このマンションの部屋も監視されてる、今もね」


「ああ、そういう事もあるでしょうね。犯人は誰? 三剣(みつるぎ)の連中? それとも藤堂? どちらもかしら」


 三剣、藤堂、どちらも裏社会で名を馳せた古い家であり。

 不破と並んで、業界の一角を支配する一族だ。

 この三つの家は昔から仲が悪く、不破が滅亡した今、残党である雷蔵と貴咲を狙っても不思議ではない。


「あ、そっちじゃないよ。だって僕が復讐した後にどっちの家の当主にも直々に話をつけてきたからね。僕が生きてる限りは手出ししてこないよ」


「…………何をしたかは聞かないけれど、随分と大胆な手を打ったのね」


「ま、色々と交換条件はあったけどね。僕は強いから」


「旦那様がそう言うなら信じるわ、――なら誰が私達を狙ってきているんです?」


 当然の疑問だった、三剣と藤堂が手を出してこないなら余程の愚か者以外は狙ってこないだろう。

 そして、その手の輩なら雷蔵は真っ先に滅ぼしてる筈で。


「もしかして、良美義姉さんが雇われていた所の残党かしら?」


「そっちも手を回してるから安全は確保されてる、……今回はね、どうやら表の人みたいなんだ」


「表の? え? 何故? 普通の人が私達になんの用があるの?」


「良美さんやゴトーにも動いてもらって調べて貰ってて、今は結果待ちさ」


 少なくとも公的な権力者が組織だって動いている訳ではなく、裕福な個人である事が確定している。

 良くも悪くも不破の全てを燃やし尽くしてしまった事が原因で、二人と犯人の繋がりを発見するのが困難で。


「……こういう時、普通なら警察を頼るのが正解なのでしょうね」


「でも僕たちのような人種は頼れない、それに今の所、普通のサラリーマンを杜撰な監視をさせてるだけなんだ」


「そのサラリーマンの所属は?」


「バラバラさ、ネット経由で探偵会社のバイトを請け負ったらしい。その探偵会社もダミーらしくてね」


 調査は難航している、夫の表情はそう伝えていて。


「随分と回りくどく、そしてお金を持っている、……何にしても気味が悪いわ」


「ホント面倒な話だよねぇ、なまじ一般人だから迂闊に殺せないし拉致って尋問もできないし。ま、後数日あれば丸裸って所だろうけど」


「はぁ、買い物に出るのすら注意が必要そうね」


「何が目的か分からない、――だからさ、デートしてみないかい?」


 脈絡のない提案に、貴咲は瞬きをひとつ。

 いったい夫は何を言い出すのだろうか、デート、それは確かにしてみたいけれど。

 そんな事で、いったい何になるのだろう。


「デートは解決してからの方が安全ではなくて?」


「そう? 僕がいるなら安全さに変化はないでしょ」


「……確かに、旦那様なら仮に狙撃されても対応できそうですものね」


「狙撃って独特の殺気があるから対処が楽なんだよね、ま、目的としては敵の炙り出しさ。デートしてイチャイチャしている所を見せて、出てくるなら捕まえて、出てこないなら調査結果を待って突撃訪問するさ」


 なるほど、と貴咲は納得した。

 彼女とて多少の心得がある、表の人種であるならば屈強な男に襲われても無傷で逃げおおせられる。

 そして、最強のボディガードがあるのだ。


「ふふっ、じゃあデートしましょうか。楽しみにしてるわ」


「やった! じゃあ明日にでも映画かピクニックに行こう! それともこないだのバーベキューの時の別荘を借りるのもいいなぁ」


「二人っきりで海を楽しんで、夜はゆっくり別荘で過ごすというのも悪くないわね。夜は部屋を暗くして映画を見るの」


「いいねいいね! うん、そうしよう!!」


 明日の予定は決まった、二人はあれやこれやと話し合い。

 すると、あっという間に三十分は過ぎ去る。

 ならば後は、フレンチトーストを焼くだけだ。


「――あ、飲み物を忘れてたね。コーヒーと紅茶どっちがいい?」


「なら私が烏龍茶をいれるわ、焼くをお任せしてもいいかしら旦那様?」


「勿論さ、君の指示通りにバッチリ焼き上げてみせるよ!!」


「なら、準備を再開しましょうか」

 

 にこにこと笑いあうと、二人は楽しそうにそれぞれの作業に向かったのであった。



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