ターゲット19/嵐の前の『フレンチトースト』①



 誰かが雷蔵と貴咲を狙っている、それも裏の人間ではなく表の人間だ。

 向田良美は雷蔵との血縁関係を調べる為、DNA検査を某社に依頼した、まだ結果は出ていない。

 二つの問題は解決していない、だが夫婦にとってさしたる問題でもなく。


(――そうだね、問題は僕が貴咲の気持ちを察していない事にある)


(まだまだ旦那様への理解と信頼が足りないわ、……もっと知らないと)


 穏やかな日曜の午後、静かなリビングにて。

 雷蔵と貴咲は、夫婦としてのコミュニケーション不足が何よりの問題だと痛感していた。

 だってそうだろう、それが不足していたからこそ先日の醜態がある。


(今はソファーでボーッとしてる訳だけど、テレビは付けてるけどBGM状態。――うん、この状態から貴咲が何を望んでるか考えてみようか)


(こういう時、二人だと何をして過ごしたらいいのかしら? ゲームでも買うべきなのかしら、それとも映画でも? けれど……この沈黙が苦ではないのよね)


(…………別にこういう空気は嫌じゃないっていうか、むしろ貴咲となら嬉しいんだけど。でも貴咲が暇でしかたないっていう可能性がある)


(手、を。……握ってみてもいいかしら。隣に座っているワケだし? でも突然すぎないかしら? でも夫婦なら普通よね?)


 早速、微妙なすれ違いを見せる二人。

 更に深く考え込もうとした雷蔵の右手に、貴咲はそっと己の左手を重ねて。

 瞬間、彼はビクっと肩を震わせ驚いた。


(え? ――手を……、どういう事?? 何の意味が……でも視線はテレビの方向だし、何か、何か変化は――)


(不自然じゃなかったかしら、不快だって思われないかしら? で、でも、手はそのままだし……うん、ええ、やっぱり夫婦なら自然なスキンシップなのよ!!)


(………………耳が少し赤い、恥ずかしがってる? それとも――――もしや怒ってる!? 気が利かないって暗に言ってる?? この状態で何かが欲しくて、それをして欲しいと催促している可能性……)


(っ!? へぁっ?? な、なんでそんなに真剣な目で見てるの?? え? もしかして勘違いさせちゃった? 誘ってるって思われてる?? スるのこれから? いえ問題はないけれど、そういう空気なのかしら??)


 途端、貴咲は首筋まで真っ赤にして。

 夜の生活の多くは、雷蔵が強引に求める事が多く。

 自分から、というのは滅多にない。


(ううっ、……誤解、誤解なのだけれど、でも旦那様がどうしても我慢できないって言うなら? 妻として受け入れるのも吝かではないけれど? ――でも、もう少し、こうして手を繋ぐだけというのも……)


(あ、そっぽ向いた。――あれ? これもしかして怒っているのでは?? い、いやでも、今日は何もしてないし……何もしてないのが問題? このまま手を繋ぐだけでも幸せなんだけど、それだけじゃ不満足って事??)


(み、見てるわよね、視線が突き刺さってる気がするっ、でも何もしてこないし……、もしかして、何かを要求している?)


(考えろ――僕なら正解を導き出せる筈だッ、貴咲は何を望んでる? きっと押し倒すのはNGな筈だ、小腹が空いたって可能性もあるかもしれない、いや違うな……、そ、そうかッ!?)


 互いに何かを要求している、そう誤解した二人は深呼吸をひとつ。

 貴咲はゆっくりと姿勢を戻した上で、何気なさを装って雷蔵の顔を見る。

 彼は彼女の一挙手一投足を見逃すまいと、身を乗り出して。


(近い……っ!? うう、でもこの真剣な目……ちょと弱いのよ、うん、でも分かるは、この次は私を誉めたり、愛の言葉を囁いたり、髪を撫でたりする筈よ)


(目を閉じた!! あわわわわわッ、これは怒ってるかもッ、次に目を開けるまでに何か行動に移さないとッ!!)


(――――…………何も、してこないわね?? 違う? え、もしかして勘違いだった? で、でもならこんなに密着してないし、手だって繋いだままだし、……………………私から雰囲気を作る、そういう事なのね!!)


 ごくり、と貴咲は唾を飲み込んだ。

 雰囲気を作るとはどうすればいいのだろうか、体に染み着くほど不破で教えられた筈なのに、不思議なぐらいに思い出せない。

 一方で浮ついた雰囲気を出し始めた妻に、非常に大きな焦りを覚えて。


(どうする分からないッ、このままだと失望され……、いやそれは今更かもしれないけど、なら僕に出来る事は愛を――――いやまてコレだッ!! いつもは僕が強引に口説く感じだった、だが…………頭を下げて土下座して、平服して、愛を請う、これだァ!!)


(ううううううっ、口が開かない!! ちょっと好意を示すだけだっていうのにぃっ!! す、好きよって、それだけなのに!! なんでこんなにも恥ずかしいのよっ!! おかしい!! 世の中理不尽だわ!!)


(くッ、もっと怒り出してる気がする!! この状態でただ分からないと降参しても逆効果だ!! ならどうする? 聞かないと分からないのに!!)


 焦りに焦った二人は奇しくも同時に、重なる手の感触を思い出して。

 口に出せないなら、行動で示せばいい。

 そうと決まれば、今すぐに。


(――――えっ、旦那様も手を引っ張ってる? なんでどうしてっ、手の甲にキスしようとしたコトがバレてるっていうの!?)


(まさか被った!? 手の甲にキスして反応を伺おうと思ったのに…………貴咲もそうしようとしてる!?)


 ぐいぐいと引っ張られる手、夫婦はお互いを信じられないような目で見ながら引っ張り合う。

 けれど決してその手は離さずに、しっかりと指が絡み合って。

 どうすればいいのだ、ここから。


「あー…………その、手の甲にキスしてもいいかな?」


「ダメよ、私が旦那様の手の甲にキスするのよ」


「なるほど、引っ張り合いになる訳だね。なら……左手をくれないかな」


「なら、右手は貰うわね」


 平然とした声色だが、二人の心臓はドックンバックン激しく鳴っており。

 キスの後はどうなる、何を言う、何が始まるのだろうか。

 怖々と、恐る恐る、一時も相手の目から目を離せない。

 ――――そして。


「……」「……」


(何か言ってよ!! え? これ何が正解なの!? 怒ってはいないみたいだけど、何を求めてるか分からないッ!)


(ううううっ、恥ずかしい気持ちを押さえてキスしてあげたのに!! 一言あったりしてもいいでしょう!! 何を求めてるのよ!!)


 こうなったら、直接聞く他に道は存在しない。


「ごめん、何を求められているか分からない?」


「旦那様こそを何を求めているの?」


「…………あれ??」


「どういうコトなの??」


 二人は思わず首を傾げる、これはもしかしてと疑問が答えを導き出す。


「僕は、てっきり君に何かを要求されてるのかと。平服して愛を請うのかと思ったんだけど……」


「偶には、私から誘うものだと……、だってもっと旦那様を知りたいから、手を繋いでみただけなのに」


「つまりは……深読みしすぎた?」


「多分、お互いに」


 なーんだ、と空気が弛緩して。

 けれど両手はしっかりと繋がれたまま、不思議とキスをした唇と、キスされた手の甲が熱く感じる。

 でも、肩の力は抜けた。


「そっか……こうやって空回りする所が誤解を産むんだねぇ……ちゃんと口に出さないとダメなんだね」


「お互いに、人間関係が得意という訳ではないですからね。夫婦であることですし……ええ、ちゃんと口にしないと」


「うん、なら言うけど。こうして君とただ手を繋ぐ時間って幸せだ。なんでかな、それだけなのに幸せなんだ」


「…………私も、悪くないわ。旦那様とこうしてゆっくり過ごすのが。言葉もなく、手を繋ぐだけの時間が……、そ、その……い、愛おしいと思うのよ」


 隠しきれない恥ずかしさが滲みでた妻の言葉に、夫は目を輝かせて歓喜した。

 嗚呼、と感嘆がもれる。

 自分たちは、もっと愛し合えるとすら思えてくる。


「愛してる……君も愛してくれていると、そう自惚れてもいいのかな? あんな始まり方をしたけれど、僕らは愛し合えているって、そう思っていいのかな?」


「………………好きに、解釈してくれていいわ。でも覚えておいてくれると嬉しいの。いつか貴男の子を孕んで、産んで、幸せな夫婦で、家庭で、今の先にある幸せを貴男となら築いていけるって信じたい――いいえ、信じてるってコトを」


「嗚呼――――今、それが聞けてとても幸せだよ貴咲…………」


「旦那様……」


 二人の顔が近づいて、瞼がそっと伏せられて。

 彼我の距離が、ゼロになろうとした瞬間であった。

 くう、と小さな音が一つ、続いてぐぅともう一つ。


「――――あははッ、ごめん、もうオヤツ時かな? ちょっと小腹が減ってきたみたいだ」


「わ、私も同じだから、ええ…………一緒にオヤツでも作りますか?」


「そうだね、それもいいね!! 何作る??」


 貴咲は少し考えた後、賞味期限が明日の食パンが残っているのを思いだし。


「――――フレンチトースト、いいと思わない?」


「フレンチトースト!! いいね! じゃあ作ろう!!」


 二人は仲良く、おやつを作る事にしたのであった。



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