ターゲット16/昔、食べたかもしれない『焼きそば』①



 以前は暇を持て余していたものだが、今の貴咲にとって昼間はそれなりに充実している時間であった。

 雷蔵の出社を、行ってらっしゃいのキスをするかどうか迷いながら見送り。

 そうしたら朝食の後片づけと洗濯物、そうしたら昼までゆっくりし午後になったら掃除だ。


「偶にはお買い物に行って、夕食をあの人が帰ってくる前に……ふふっ、スーパーで待ち合わせとかもいいかもしれないわね」


 今日は何を作るのだろうか、そう考えながら掃除機を動かす。

 少し前までの、意地を張って何もしない怠惰な日々が嘘みたいである。

 これはもう、名実ともに妻と、主婦と名乗れるのではないか。


「昨日は私の部屋を掃除したから……旦那様の部屋にしましょうか」


 ほぼ個人の物置と化しているが、二人にはそれぞれ部屋がある。

 子供が生まれたら、どちらかを空けるべきだろう。

 それは遠くない未来か、それとも。


「…………雷蔵は、子供が欲しいのかしら」


 貴咲としては、まだもう少し二人っきりで過ごしたい気もする。

 だが、子供がいる生活というのも幸せな気がして。

 不安があるとすれば、己に子育てが出来るのか、という一点につきる。


「考えても仕方ないわね、……最近、独り言が増えた気がするわ、一緒に居るとそうでもないのだけれど」


 一人が寂しい、そういう事なのだろう。

 不破に居た頃は、同じように一人の時間があっても心を無にして過ごせていたのに。

 これも夫の影響だろうか、そう思うと不思議と鼻歌すら出てくる。


「――――ん? 机の裏に何かあるわね」


 雷蔵の部屋は各所に仕事道具が巧妙にカモフラージュされている。

 ゴルフバッグの中には日本刀が、クローゼットのダウンジャケットの内側に防刃、防弾ベストが。

 机の引き出しの二重底には刀の手入れ道具、本棚の辞典にはナイフなど。


「これは……本? 何かの書類のカモフラージュかしら?」


 触らない方が良いかもしれない、彼は仕事の詳しい内容を貴咲には話さないし。

 彼女とて、知らない方がいい情報があると知っている。

 だが、これは何となく違う気がして。


「――――見てみようかしら」


 侵入者に向けたトラップの可能性もあった、だが貴咲が触れる可能性がある所に、重要な書類も罠も仕掛けないと確信がある。

 ごくりと唾を飲み込み、恐る恐る手を伸ばす。

 そうして、机の裏に落ちた本を手に取ると。


「…………え? ええっ!? ど、どういう事!? こういうの見るの旦那様っ!? う、嘘でしょ――――っ!?」


 その存在に貴咲は震えた、戦慄した、女として妻として肌が粟立つ思いだ。

 だってそうだ、その本、正確に言えば雑誌は。


「エロ本んんんんん!? 爆乳お姉さん艶姿・コスプレ百変化!! グラビアアイドル・AVデビュー記念フレッシュ写真集!?」


 そう、正しくエロ本であった。

 今時、スマホやPCなどのデジタルで隠れて楽しむ事が多い中。

 正々堂々、普通の人が買わないような18禁写真集である。


「う、嘘っ!? 何冊もある!? え? は? ええっ!? どどどどどどどどっ、どういう事なの!?」


 貴咲は激しく動揺した、だってそうだ。

 どれも同じ女優で、中には折り目がつくほど繰り返し読まれた痕跡すら。


「わ、私という妻がありながら~~~~っ!! 雷蔵!! 貴男という人は!! はぁ? こんな女のどこが良いんですか?? 髪も顔も胸も腰も足も肌も何もかも勝っている極上の女を毎晩抱いておいて?? その上でまだこんな物が必要だと? 旦那様はそう仰るのですか??」


 あり得ない、こんな事はあってはならない。

 貴咲は怒りにぷるぷると震え、雑誌を持つ手は力が入りすぎてページをぐしゃっと潰す。

 男とは性欲の生き物だ、貴咲はそう教えられて育った、その全てを受け入れるべく育てられた。


「私が――――、この触れる事すら、実際に生で見ることすら出来ない女に……、負けていると??」


 あれだけ沢山の愛を囁いておいて、首輪と鎖とつけるぐらい執着心をみせておいて。

 他の女に性的関心をもつのか、己では足りないと、或いは。


(嘘、なの?)


 ぐらりと視界が傾くような、激しい目眩に貴咲は襲われた。

 考えたくはない、こんなの只の妄想だ、だが、己という最高級の女を独占し好き放題しておいて。

 他の女に、そう、妻でも恋人でも妾でもない、会ったことすらない女に情欲を、――否、愛を。


(私は……遊ばれていたの? 雷蔵に? 全部……全部、嘘、だったの?)


 あの愛の言葉も、執着も、夫婦として少しづつ歩いている今も、全部が嘘だったのではないか。

 雷蔵の復讐はまだ終わっていなくて、貴咲が生き残ったのは彼に愛されているからではなく。

 不破の最後の生き残りとして、死ぬまで絶望を繰り返し与える為なのでは、と。


「し、しっかりしなさい……そんなのただの悪い妄想よ、ちょとショックだったから、悪い方向に考えてしまっただけよ――――」


 はぁ、はぁ、と息が荒くなる。

 視界が赤く染まる、脳が勝手に思い出してしまう。


(違う)


 助けてと繰り返される悲痛な叫びを/妹の苦痛と驚きに満ちた死に顔を/夥しい血で真っ赤にそまった廊下/燃えさかる屋敷を/その中で犯された痛みが。


(違う、違う違う違うっ!!)


 何で、どうして、罪を犯さなかった者もいた、連れさられた無垢な赤子だっていた筈だ、彼と同じように殺しを強制させられた者だって。

 でもその全てが、貴咲ひとりが生き残って。


(ち、ちが――う、はぁ、はぁ、はぁ、違う、私は本当に愛されてる、愛されてるのだから……)


 己に言い聞かせるように繰り返す、愛されてるのだから、愛してるのだからと。

 寒い、しきたりを破った罪で雪の日に庭で正座させられているような凍える寒さが襲う。

 震える体を抱きしめて、貴咲はきゅっと目を瞑る。


「どうして……なんで、信じられないのよぉ……信じたいのに、どうして、なんでぇ……」


 早く、帰ってきて欲しい。

 こんな悪い妄想、考えすぎだって言って欲しい。

 強く抱きしめて、キスして欲しい。

 ――でも、雷蔵の帰宅時間はまだ遠く。


「………………電話、……そ、そう電話よ、一声、一声だけでもいいから」


 何度もスマホを取り落としながら電話をかけても、雷蔵には通じなくて。


「なんで……なんで出ないのよぉ」


 鈍った頭で必死に考える、もしかしたら仕事中なのかもしれない。

 邪魔をしてはいけない、でも伝言なら、会社に伝言を、同僚の誰かなら。

 貴咲はヨシダのスマホに電話し、通じる。


『雷蔵? 今日は有給で休みだぞ? ――あ、もしかしてサプライズで何かしたかったのかも、奥さんの事が好きで好きでたまらないって感じだからなぁ。ま、知らぬフリをしてやってくれよ』


(――嘘、そんなの嘘よっ!!)


 頭をハンマーで殴られたような衝撃、今日が有給であるなんて一言だってなかった。

 サプライズなんてある筈がない、彼は貴咲の事となると途端に分かりやすくなるからだ。

 でも、……それすら嘘であったなら?


「――――許、さない。あはっ、嗚呼……許さない、雷蔵、許さない許さない許さない、私に夢を、幸せな夢をみさせて、愛さてれてるって、私、愛してるってまだ…………っ!!」


 ぷつ、と何かが切れた音がした。

 ぐるりと何かが反転した音がした。

 裏切られた、疑念は確信に変わって、でも変わりきれなくて。


「今更っ、どう貴男を憎めば~~~~っ!!」


 貴咲の瞳が漆黒にきらめいて、体は勝手に台所に向かう。

 無意識に大振りな包丁を選び、両手で握りしめ玄関に立ち尽くし。

 ――同時刻、雷蔵は一般男性としてのカモフラージュの一貫で配置したエロ本が、とてつもない誤解と悲劇を生み出しているとも知らず。


「ああ、久々に苦労した感じだよ。……でも、これまでだ。ね、何で僕らを狙ってるのかな? 答えてくれると嬉しいんだけど」


 自宅マンションの向かいのビルの屋上にて、巨乳ライダースーツの女性の首筋にナイフを押し当てていたのであった。





※本日から1エピソード(三話分)が書きあがった後に投稿します(三日四日みてください)、残り半分もお楽しみ頂けると嬉しいです(朝昼夕あたりに投稿予定です)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る