ターゲット15/お嬢様と護衛の『ブリの塩焼き』③



 優香の予想どおり食卓には、ぶりの塩焼き、玉葱の味噌汁、ほうれん草のゴマ和え、そしてご飯が人数分並んでいた。

 それを前に、野咲は戦々恐々。

 貴咲の腕は信頼できるだろう、だがしかし、雷蔵の方はどうだ。


(い、いくらあんな絶技を見せても、味が良いとか限らないっスからね!! ――匂いはスゲー良いんスけど……)


(うーん、野咲くんまだ緊張してるみたいだね。何かサービスして稽古とかつけてあげた方がいいのかな?)


(――殺気っ!? こ、殺される!? やっぱり最後の晩餐なんスね~~~~!?)


(とうとう震えだした!? あ、もしかしてお腹減ってたのかな? それは悪いことしたなぁ)


 男たちがすれ違ってる一方、貴咲と優香はなごやかに。


「じゃあ食べましょうか。――いただきます」


「はいッ、いただきますッ!! ~~~~んん!! これですわコレ!! お姉様のお味噌汁、優しいお味……、玉葱の甘みがよく出てますわぁ」


「しばらく料理をしない日々が続いてたから、貴女にそう言って貰えて嬉しいわ」


「またまたぁ……、あ、でも雷蔵様は料理人なんですよね? なら作る機会が無いのも道理ですわ」


「料理人? ああ、どっちかというと野咲さんと同じよ旦那様は。刃物ならなんでも上手く使えるのよ」


 苦笑しながら告げられた言葉に、野咲としては震えるしかない。

 雷蔵が殺戮人形と認識してはいたが、1パーセントぐらいは別人の可能性があると縋っていたのだ。

 ああ、終わった、人生終わったと観念した彼は主人と同じく味噌汁から手をつけ。


「………………、あ、美味い」


「だろう? いやぁ、僕も最近食事時が楽しみでさぁ!」


 料亭のように極まった味ではない、ごく普通の、飲み慣れた実家の味という味。

 しかし、それが故に刺さる。

 男二人のように、いつ死ぬかも分からない裏家業にとって安心する味こそ至宝だ。


「嗚呼、……美味い、美味いっスねぇ……へへっ、なんか妙にしょっぱい気もしますけど」


「うぇっ!? ちょっと野咲!? なんで貴方泣いていますの!? そんなに美味しかった!?」


「あー、気にしないでやってよ八条さん。僕らみたいな人種には家庭的な味が何より嬉しいんだ」


「ふふっ、貴女も作ってあげたらいいわよ優香」


 八条のお嬢様は、そ、それなら偶になら、と頬を赤く染めていたが。

 しかして、目の前の料理に夢中である野咲は聞いていない。

 彼は続いて、あじの塩焼きに箸を伸ばすと。


「くぅ~~~~、これも美味いっス! さすがお嬢が絶賛してた料理の腕前!! 塩加減が絶妙で、魚の臭みも料理酒でちゃんと取ってる感じっすねコレ!!」


「あ゛あ゛ーー、ご飯が進みますわぁ……!! あじの油っぽさが塩焼きにする事で適度に押さえられ、あっさりしてて、でも幸福感があるといいますか……」


「ふふっ、そんなに絶賛されると照れるわね」


「うーん、僕もこれぐらい言えるように勉強した方がいいかなぁ?」


 負けてはいられない、貴咲に関しては負けられない。

 妙な対抗心を燃やす雷蔵は、手元の箸を見てふと気づく。

 こうなったらアレしかない、初挑戦だがやるしかないと。


「――――はい、あーん」


「…………だ、旦那様っ!?」


「はい、あーんだよ貴咲、食べさせてあげるよ」


「ッ!? なんて羨ま――じゃない、貴重なお姉様の照れ顔……でもない!! くッ、見せつけてきますのね!!」


「あ、俺らもやりますお嬢? はい、あーん」


「ッ!? ~~~~ぁ!?」


 初めてのあーんに照れる貴咲に、不意打ちをくらって同じく照れて言葉がでない優香。

 二人はきょろきょろし、同時に目をあわせる。

 男たちは何を考えているのか、だがやってみたかった事の一つでもあり。


(い、行くわよ私っ!! 優香に幸せな結婚をしたって見せつけて安心するのよ!!)


(こ、この男はまたそんな無自覚に~~ッ、何なんですの野咲!! どうして無自覚にわたくしを口説くんですか!! そんな気もないくせに!! でも嬉しいって思ってしまうのが悔しい!!)


(どきどき、食べてくれるかな? やってみたかったんだよね)


(腕疲れるんで、早く食べてくれないっスかねぇ……)


 それぞれの想いを胸のうちに、女性陣は決意に目を光らせて。


「――――あーん、……うん、美味しいわね」


「今度は僕にもやってよ!」


「っ!? ――くっ、わ、分かりましたわ旦那様!! 卑怯な人ね貴男って!!」


「ぱくっ、…………ああ、美味しい(とは言いましたが緊張して味が分からなくなってきましたわ~~!!)」


「あ、俺にもお願いするっス(これが最後の晩餐なら罰はあたらないっスね)」


 またも貴咲と優香に試練が与えられた、何故こんな事になっているのか。

 貴咲は耳まで真っ赤にしながら、震える手で箸を持ちぶりを一切れ差し出す。

 優香は唸りながら赤い顔で睨み、しっかりと白米を野咲に差し出して。


「――ん、美味しいねぇ……!」


(で、出来たわ!! ええ、ええ、私ならこれぐらい簡単よ!! …………ま、まぁ次は私からやってあげてもいいですけれど??)


「んぐんぐ、白米がこんなに美味しく感じたのは初めてかもっス」


(~~~~ッ!? わたくしが食べさせると、そんなに美味しく感じると!? そ、それってもはや告白なのではッ!?)


 食卓にはほうれん草のゴマ和えより甘い空気に包まれて、無言のまま、しかし暖かな雰囲気が流れる。

 雷蔵は実に機嫌良く、貴咲はそんな彼をチラチラ見ながら。

 優香は体をくねらせ、野咲は平然と味を楽しみ。


「「ごちそうさまでした」」


「おそまつさま」


「いやぁ、そんなに美味しく食べてくれるなんて作ったかいがあったなぁ」


 とても和やかなムードで食事は終わった、貴咲は食後のコーヒーを用意する為に席を立ち。

 それを手伝う為に、雷蔵も席を外す。

 残された二人は、はふぅと仲良く幸福感にみちたため息を出し。


(いつか……うん、いつか結婚に至った話を聞かせてくださいましねお姉様。今日は何も聞きません、貴方が幸せそうだから、わたくしは――)


(さー、後は殺させるだけっスね。秘密を知ったからには死あるのみってのが裏の常っスし、何より不破はそのへん厳しいって聞くからなぁ……、お嬢だけでも見逃してくれないっスかねぇ、足掻くしかないかぁ)


 野咲は最後の晩餐として、とても良かったと覚悟を決め。

 優香は過去と今に想いを馳せる、あの不破貴咲がこんなにも普通の幸せと掴んでいるだなんて。


(あの包丁さばきが本職ではないとすると、ならば音に聞こえた殺戮人形、それが雷蔵様の本当。貴咲お姉様が知らない筈がなく、なら本当に二人は……)


 いくら姉妹のようだと言っても、他人である優香に詳しい事情を知るすべは無い。

 でも分かる、敬愛し尊敬するお姉様は幸せな新婚生活を送っていると。

 もう二度と、不破という古すぎて黴の生えた家に振り回される事はないと。

 ――コーヒーの用意が出来て。


「あ、これ駅前に出来た高級な店のシュークリームだよね? 嬉しいな食べたかったんだよ」


「もぐもぐ、こっちのエクレアも美味しいですわよ旦那様」


「本当かい? 一口ちょうだい」


「ええ、どうぞ」


 二人は食べかけのデザートを交換して、それがごく自然で、とても仲の良い夫婦のように優香には見えた。

 この光景を見たかったのだ、彼女がそんな風に幸せなら、きっと。


(わたくし達も、いつかそうなれますか野咲?)


 ふいに隣の護衛の手を握りたくなった、いつになく素直な気持ちで行動できる気がする。

 だから。


「――お姉様が幸せそうでよかったですわ」


「あら、そう見える?」


「ええ、とっても!! ずっと……ずっと心配してましたの。お姉様は望まぬ結婚をするしかないお立場でしたから。僭越ながらいつか、わたくしが救って差し上げたいと。――でもそんな心配はいらなかったみたいですわ」


 優香の視線の先には、雷蔵がいた。

 彼女は頼もしそうな視線を彼に送っていて、思わず貴咲は苦笑する。

 どうやら己の夫は、そんに頼もしそうに見えるのかと。


「酷い人なのよ?」


「でも、お姉様と幸せにできる方ですわ。お姉様の望む幸せと一緒に生きてくださる方、わたくしはそうお見受けしました」


「…………ありがとう、八条さん」


「ふふっ、優香がそう言ってくれて私も嬉しいわ。――貴方が変わらず元気でいてくれて私も嬉しいの」


 ひとつ、気づいた事がある。

 正確には、思い出したというべきか。


(私は……孤独ではなかったわ優香。貴女が居てくれたから、こうして今も友達でいてくれるから)


 実の妹より妹のように思える、大切な親友。

 その存在に貴咲は、あらめて感謝の念を送った。

 女性達が絆を確かめ合っている中、雷蔵は野咲にアイコンタクトを送って。


「そういえば野咲くん、ちょうど君に渡したい物が出来たんだ。ちょっとベランダまで来てくれない?」


「――――ええ、分かったっス」


「何? 男同士の話ですか旦那様?」


「そうなんだ、彼、見所があるから先達としてアドバイスを少しね。――ちょっと野咲くんを借りるよ八条さん」


「ええ。よろしいですわ?」


 首を傾げる優香と微笑む貴咲をリビング残し、二人はベランダへ移動した。


(来るっ、ここが生き残れるかの大勝負っス!! せめてお嬢様だけでも!!)


(あー、やっぱり誤解してるねコレ。まぁ無理もないか、同じ立場なら僕だって警戒するし死闘を覚悟するよ)


 年齢としては野咲の方が少し上だろうが、業界にいる時間も実力も雷蔵の方が上だ。

 何より、殺し屋ではあるが護衛を主としている彼と、専門として常に実戦を繰り返してきた雷蔵との間には天と地との差があって。


(扉が閉まった、――今っス!!)


(はい、これで無力化完了ってね)


 女性達の視線がなくなった途端、野咲は懐の銃をクイックドロー。

 それを予想していた雷蔵は、袖口から取り出したナイフで銃を七つに斬り裂く。

 続いて首筋にナイフをあて、その早業に野咲が気づいたのは一秒後。


「っ!? ――――――参りましたっス、出来るならお嬢だけは」


「誤解だよ野咲くん、僕は妻の親友とその想い人を殺すような奴じゃないさ。まぁ業界に流れてる噂からしてみれば意外だろうけどね」


「……………………本当にっスか?」


「本当さ、何より不破はもうない。僕が全て滅ぼした。僕が不破を名乗ってるのは、貴咲に名字を残してあげてるだけであって」


 殺さない、本当にそうなのか、野咲は緊張した面持ちで唾を飲む。

 喉元のナイフが恐ろしい、一歩間違えれば死ぬのだ。

 騙して悪いが、は騙される方が悪い業界なのだ。


「…………信じるしか、なさそうっスね」


「うーん信頼ないなぁ、まぁ殺し屋なんてやってたらそんなもんだよね」


「繰り返して悪いっスが、本当に? 俺らが雷蔵さんと貴咲さんの事を言いふらさないとも限らないっスよ?」


「八条さんも君もそんな人じゃないでしょ、それに君たちが意図しなくても何処からか情報なんて漏れるものだし、そもそもさ、狙った時点で相手は死んでるでしょ」


 当たり前のように出された言葉には、絶対の自信が感じられて。

 野咲は今度こそ降参だと、両手を上げた。

 確かに殺すならもう死んでいる、ならば本当にその気は最初からなかったのだろう。


「すみませんっス、誤解して……」


「まぁまぁ、気にしないで。僕だって同じ事をしたさ」


「どうか、どうか今後も、お嬢様の来訪を許してくださいっス。十二分に気を付けるんでお願いしますっス」


「うん、僕がいる時が妥協点かな。あ、そうだ渡したい物があるのも本当なんだ、はい名刺、今ゴトーに勤めてるから。何かあったら力になるよ、君たちならタダでもいい」


 ゴトーの名に野咲は目を丸くした、ゴトー・クリーニングサービスは政府の息がかかった企業だ。

 そんな所に彼がいるということは、本当に不破は滅んで。

 かつ、後ろめたい事がなければ命を狙われないという事で。


「ありがたく頂戴するっス! 今後は仲良くお願いしますっス雷蔵さん!!」


「うん、分かってくれて何よりだよ。さ、中に戻ろうか」


 中に入ると、貴咲と優香が楽しそうに笑いあっていて。

 男二人は、それを見て笑みを浮かべる。

 そして一時間後、優香と野咲は満足そうにして帰宅し。


「――――ふぅ、賑やかだったねぇ」


「ええ、こんな風なのも悪くないわね」


「素直じゃないなぁ、すっごく嬉しかったんでしょ?」


「ふふん、旦那様の前で素直になるのは閨の時だけで十分ですわ」


「僕もまだまだ旦那力が足りないなぁ……」


 二人を見送ったまま玄関で、雷蔵と貴咲は扉をみつめたまま。

 旦那力とまだ不思議なワードを、と貴咲は思ったが口には出さず。

 そっと彼に体をすり寄せ、雷蔵は妻を腰に手を回した。


「今度はさ、僕らが二人を誘おうか」


「ええ、そうしましょう。今度は街で遊んで……ふふっ、今から楽しみですわ。私、そういう事をしてこなかったから……」


「僕もだよ、うーん楽しみになってきた」


「じゃあ、私から連絡しておきますね。――はふぅ……そろそろ後片づけをして、ゆっくりしましょうか」


 そうして二人は、静かに仲良く、そしてしめやかな夜を過ごし。

 一方、そんな二人の家を観察している者が一人。

 髪の短い、黒のライダースーツを来た不審者。

 ――――その胸は、貴咲より大きく。


(さっきは焦った、気づかれたかと思った……)


 彼女はとある依頼で、雷蔵と貴咲の二人を監視していたのだ。


(貴方達二人に恨みはないけれど……殺すわ。…………殺せればいいなぁ、爆弾で殺せればいいけど)


 新米夫婦に、驚異が迫っていたのであった。


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